勝利の2Pクロス(8)

「え、まって、なになになに?」

「おい、どうなってるんだ!?」


 ジャレ子とあすくが取り乱し、身を乗り出す。


「こ、これは……」


 さすがの別斗も焦る。肝心なときに不備が起きては、誰でもゲームどころではない。こういった非常事態時、本来ならスタートボタン(ストップボタン)を押してゲーム進行を中断するものだが、あいにく別斗のコントローラーは2コン、そのためのボタンはない。この状況を慮ってバーロウが中断してくれていたらいいのだが、はたして……。

 やがてテレビの電源がついた。


「試合は、試合はどうなってる?」


 別斗陣営が固唾を飲んで煌々としたブラウン管を見守ると、ちょうど観客の歓声SEが流れて画面上に得点表示がされていたところだった。

 Gチームに2点。さきほどの『おう』の打球はそのまま外野をてんてんと抜け、フェンスまで転がったらしい。結果的にランニングホームランになってしまったのだ。


「おい、あんたたち、汚いぞ!」


 唾を飛ばしながらあすくが抗議する。無理もない。対戦中に画面を消されて、抗議しない者はいない

 だが、そんな異常事態でもバーロウ・凶子の馬場上姉弟は平然とした様子ですげもない。いや、ふたりだけではない。見届け人として中立の立場であるはずの桜花も、今の状況を目の当たりしたにも関わらず、なんの仲裁もなく沈黙する始末。


「わざとだろ? わざとテレビの電源を切って別斗の守備を妨害したんだ!」


 再び抗議したあすくに対し、口を開いたのは姉の凶子だった。


「なあにが妨害だ? てめえ、証拠はあるんだろうなあ?」

「証拠だって? そんなの、テレビが突然消えるわけないだろ。リモコンで操作したに決まってる!」

「リモコンだあ? てめえ、リモコンがどこにあるか確認したのか?」

「どこって……あんたらの誰かが持っているんじゃないのか?」

「ふざけんじゃないよ。あそこ見てみろ」


 凶子指差す先には、ブラウン管テレビの上にそっと鎮座するリモコンが。


「誰もリモコンなんか操作しちゃいないのさ。あたしらは『2Pカラー』だ。選ばれたゲーマーなんだよ。そんな卑怯な手段をとるわけねえだろうが」

「馬鹿な。じゃあいったい、どうしてテレビの電源が切れたんだ」

「あすくくん」


 興奮して口がひょっとこになる彼を、ソソミが聡明で静かに諭す。


「これは不正行為の類ではないわ。わたくしたちはこういった経験を何度も見てきたじゃないの」

「ソソミ先輩、それって――」


 息を飲むあすくに追い打ちをかけたのは別斗だった。


「裏技だろ。たぶんこれがバーロウのおっさんが持つ能力なんだ」


 認めたくはないがな。さすがの別斗も額に嫌な汗を浮かべる。どんな原理かは知らないが、テレビの電源を任意に操作する能力。もしそれが真実だとしたらこの戦い、想像以上に苦しいものになるに違いない。


「ガキどもが焦ってやがる。バーロウ、ここで一気に勝負をかけるよ。お前の裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉で再起不能にしてやりな!」


 ゲームが再開する。6回表ノーアウト、試合は代打『おう』がランニングホームランを打った直後で止まったままになっている。

 続いて打席に立つは『くろまて』。Gチーム屈指の強打者だ。


「おでの好きな『くろまて』だどー。おでは昔『くろまて』のモデルになったクロマティ選手にサインもらったことあるんだどー。おでが通ってた養護学校にクロマティ選手が慰問にきてくれたんだどー。羨ましいだろー」


 ノッてきたバーロウが隣ではしゃぎまわり、コントローラーを持つ別斗の腕にガツガツぶつかる。気が乱れるのを持ち前の集中力で打ち消し、別斗なんとか打開策を見出そうと思考をフル回転させる。

 怖いのは大きなフライを打たれることだろう。あの〈愚者の黒霧ブラックアウト〉、ほんの数秒とはいえテレビを消されては捕球できない。ゴロなら打った直後の打球方向である程度は予測できるが、それでもやはり安全にアウトを取れるやり方は三振以外にない。

 そう、ここは三振だ。打たれなければ画面を消すメリットも生まれないのだから。しかし、はたしてそれができるのか。先発ピッチャーの『えんど』は球速が落ちてきている。リリーフエースの『さいと』はとっておくとして、残りは『かけはた』と『きだ』。流れを断つにはいまひとつ火力が足りない。初代『ファニスタ』は投手枠が4人しかないため、継投の戦略はできないに等しい。となれば……。

 別斗は熟考し、


「ちっ、続投しかねえか」


 頭を横に振った。


「いいどいいどー、おで打っちゃうもんねー」


 ガチャガチャとコントローラーを打楽器にして囃し立てるバーロウ。余裕である。

 別斗腹をくくると、いざ投球。

 まずは外角スレスレのコースへ。――ボール。クサいところとはいえ、落ちている球速では見極められてしまう。ならば、と今度はフォークボールをおんなじコースへ投げてみる。ピョロロロロ……気の抜けたフォークのSEが響き、しかしボールは落ちなかった。


「ぐへへ、そんなもん振らないんだどー」


 ツーボール。さて次はどこか。さすがにスリーボールにはしたくない。フォアボールの目も出てきてしまう。ランナーはなるべく出すべきではないだろう。あのテレビの電源切り、先ほどゴロなら打球の方向でなんとか対処できると考えたが、ランナーがいればその限りではなくなってしまう。走ったり走らなかったり攪乱戦法をとられたら対処のしようがなくなってしまうからだ。画面を見ずにランダウンプレイ(走者を塁間で挟む守備)をこなすのはほぼ不可能。やはりどう踏んでも三振がベストだ。

 よし、いっぺん内角をえぐってみるか。

 そう気構え、Aボタンを押した、その直後だった。

 またしてもプツンとテレビの電源が切れたのだ。


「マジかよ!?」


 完全に不意を突かれた別斗。電源切りは打った直後、つまりのだ。それがまさかの投げる寸前、おかげでコース(左右)の方向キーを入れ損ねてしまった。

 再びテレビがついたとき、悪夢の光景が映し出されていた。おそらく『くろまて』が打ったであろうボールが一塁線の一番奥に転がっていて、打者は三塁ベースを蹴るところだった。

 もうすでに間に合わない。3点目が入った。


「やったやった、やったあ。またランニングホームランだどー」

「見たかガキども! これがバーロウの裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉の恐ろしさだ。荒巻別斗、いくらてめえでもテレビ画面を映さねえでゲームはプレイできめえ!」

「くそっ」


 勢いづく馬場上姉弟。一方、別斗陣営は純然たる絶望を突きつけられ意気消沈。歯がゆい思いを噛み締めるものの、現状を打破する糸口さえ見つけられないもどかしさに励ましの声すら出せず。当の別斗も、過去に例のない展開に焦燥を禁じ得ないといった表情で下を向いている。

 その姿にチームのブレーン役として、いや親友として放っておけないあすくが、どうにかこうにか悪い流れを変えようとババアに異を唱えた。


「あんたたち、本当にトリックじゃあないんだろうな?」

「ああ? なんのことだよ、この眼鏡のションベン垂れが」

「テレビの電源を消すなんて芸当、なにかの仕込みでもなきゃおかしいだろ」

「なんだい、インチキでもしてるって云いてえのかい。いいか、証拠もねえのに相手に対してイカサマ呼ばわりは、博打の世界じゃあ御法度だぞ? 上海の裏社会じゃあ麻雀の最中にイカサマを指摘して、その証拠を出せなかったら指一本切り落とす鉄の掟があるとかないとか。対戦中に相手を疑うってえのはそんくらい重い意味があるんだ。わかってんのかよ?」


 このババアの脅し文句に、あすくはぐぬぬするばかり。確かにインチキだと声高に叫んでみても、その証拠はない。どういう仕掛けでテレビを消しているのか、その原理すら想像もできなかった。テレビは旧式ブラウン管のおそらく32インチ、Panasoniq製。リモコンは純正品で、それは馬場上凶子の指摘通りテレビの上にある。常識的に考えて、自在にテレビを操作することは不可能だ。だがそれでも、あすくはなにか云わずにはいられなかった。わずかでも相手の不手際を突ければ、別斗の助けになるのは間違いないのだから。


「あすく、やめろ。たぶんインチキや安いトリックの類でテレビを消灯させてるわけじゃあねえ」


 その逸る気持ちを抑えたのは別斗だった。


「しかしだな別斗……」

「いや、云いたいことはわかる。けどよ、おれには感じるんだ。こうやって隣で対戦しているから、まるで冬の乾燥した空気で起きる静電気みてえに肌で感じるんだよ。あの電源操作はインチキやトリックじゃあねえってな」

「じゃあいったいなんなんだよ、どんな方法でテレビを操作してるってんだ?」


 それきり無言で歯ぎしりする2人を嘲笑うかのようにババア、ラッキーストライクをさもうまそうに大きく吸い込み、無遠慮に吐き出す。ヤニで黒くなった前歯をちらつかせ、愉快そうに口角をもたげる。


「お話は済んだのかあ? おで待ちくたびれたどー。早く投げるんだどー」


 そして挑発を続ける巨漢バーロウ。

 悪い。この状況、完全に分が悪すぎる。このまま試合を再開すれば、ずるずると終盤まで進行してあっさり負けてしまう。なにか対抗策を講じなければ。


「ちょっとタイム、タイムを押してくれ」


 明らかな苦肉の策だったが、ここはいったん間を取りたい。別斗はバーロウに手でTの字を作って見せ、その意を表した。


「バーロウ、相手はジリ貧なんだ。タイムをとっておやり。現代の野球にはリクエストとかいうやつもあるしね」


 余裕綽々の馬場上凶子に促され、バーロウスタートボタンを押す。しぶしぶといった具合いだが、内心はバーロウも余裕があるのだろう。別斗は横目で彼らを観察し、どうにか突け入る隙がないものかと目をギラギラさせる。その様子をまるで嘲るように飄々と受け返す姉弟。別斗は込み上げる怒気を抑えるため、つい握り拳を作ってしまう。


「別斗、そう焦るな。あのテレビ消しは焦れば焦るほど攻略はできないぞ」


 あすくが眼鏡をクイクイしながら口をねじ曲げる。熱くなっているのは別斗だけではない。基本は脳天気なジャレ子ですら、


「あのおばさんの口の悪さとおじさんのキモさの相乗効果、想像以上に調子狂うよね~」


 キレイファクトリーの眉を吊り上げ、頬を膨らませている。

 そんな3人が滑稽だと云わんばかりに、ダミ声で嬌笑するババア。


「生意気なクソガキどもをヤキモキさせるのは良い気分だね。高校生ゲーマー・荒巻別斗もウワサほどじゃねえみたいだし」

「な~んかムカつく~。云われっぱなしちょ~くやしい~。別斗、次の回20点とれ!」

「無理だね。バーロウの裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉を見破ったものはいないんだ。ただのひとりもな」


 ここでババア、イリュージョンのステージのごとく盛大に煙を吹き出し、


「冥土の土産に教えてやるよ。〈愚者の黒霧ブラックアウト〉の秘密をね」


 と、すでに勝ちを確信した様子でドヤりだした。


「バーロウはガキのころから不思議な力があって、そりゃあウワサを聞きつけた業界人たちに〈エスパー少年〉と持て囃されたもんさ。『清田の再来』とか云われてね、ローカルテレビやオカルト雑誌に出演したこともあった」

「なん……だと? テレビの電源は超能力で消してるとでもいうのか!」


 唾を飛ばしながら捲し立てるあすくに犬を追っ払う要領でシッシッ、とするババア、


「バーロウは海でクラゲに刺されて生死を彷徨ったことがあってね。それ以来、血中のヘモグロビンが特殊変化を起こし、赤外線を増幅させてパルスに変換できるようになったのさ。人呼んで『リモコン人間』って寸法さ」


 驚愕の事実に恐れおののく一行。よもやテレビの電源操作が人工的なトリックではなく、生体異常の賜だとは誰が予想し得ようか。

 誰もなにもツッコまないのをいいことに、ババアの話は続く。


「でもバーロウは可哀想な子だよお。本来ならマスコミに取り上げられて芸能人にだってなれただろうに。アレがアレだから奇異な目で見られてね、まるで腫れ物さね。だからあたしは、その能力を使ってゲームの世界に導いてやったのさ。ゲームの世界は実力主義だからね、見た目も性格も服装も関係ねえ。この世界でのし上がってバーロウを見限ったやつらに復讐してやるのさ。幸いミスターQもそんなあたしらの気持ちを理解してくれて、ご尽力くださる」


 そういって不気味に微笑む馬場上姉弟に薄ら寒くなる別斗。

 ――復讐。それはこれまでの『2Pカラー』とのゲーム対戦では味わったことのない感覚だった。今までの対戦相手は組織へ所属した理由はさておき、ゲームをなにかの目的のために利用しようとする者はいなかったはず。己の野心のためにプレイするなどと、ゲームを純粋に愛する別斗には到底理解できるはずもなく。

 ……駄目だな。なんだか勝てる気がしねえ。

 ゲームを遊び道具としか見てこなかった別斗には、それ以上の野望を抱く相手は驚異を禁じ得ないのだ。

 と、そこへ張り詰めた空気とは対照的な、たおやかな声が響いた。

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