7. 博士

 次の日。


 研究員の一人が運転する車の後部座席で、僕は窓の景色を見つめていた。隣の真理ちゃんは、さっきからスマホを凝視している。何かを監視している様子だった。


 アパートから車で三十分。県内の河川敷に臨時に設置されたという監視所に、件の博士はいるという。それまでは、目新しさはないものの見覚えのない景色をただ呆然と眺めるだけの時間が続いていた。罪悪感に苛まれることを恐れて、スマホでニュースを見ることも憚れていた。


 運転席の研究員は、サングラスをかけていて表情が見えにくい。助手席に座っている方もタブレット端末を弄ったり通話をしたりと忙しそうだ。真理ちゃんも似たようなものだった。それゆえに、何かを聞き出そうと会話に持ち込むことも叶わなかった。


 昨晩、真理ちゃんから色々な事情を聞き出せた。けれど、未だ全ての詳細を取得できたわけではない。シャパリュが何者なのか、という前提的な情報すらも把握できていない。唯一分かることは、人を殺す危険な生物であることだけ。


 けど、それも今日、明らかになるのだろう。


 核心に迫る予感と、それに対する緊張感。面接前に感じるものとどこか類似している。昂る感情を抑え込もうと、僕は小さく息を吐いた。そうだ、教わるより先に、僕にはやるべきことがあるのだから。





 信号で停まった時間も含めて、出発から三十五分前後。車は河川敷沿いの路上に停車する。


 白んだ青色で染まった、十一時前の空。すぐ近くには工場地帯があり、人通りはかなり少ない。たまにランニング中の人や、犬の散歩に来た人を見かけるぐらいだった。少し車を走らせた先に有名なテーマパークがあることから、そこに人を吸い取られているのでは、と変なことを妄想してみる。


 路上から川に向かって歩いていくと、内陸側に黄緑色をしたかなり大きなテントが張られているのを発見する。傍から見ても目立つそれが、真理ちゃんの話していた仮説の監視所であると察することは、実に容易だった。


 二人の研究員の後を付いていく形で、僕はそのテントへと進んでいく。


 土埃や黒ずみの目立つ蛍光色のテント。その隣には白い軽バンが一台停まっている。よく見ると、側面に何やら見慣れないロゴが貼られていた。『眞柴研究所』……達筆なフォントで記された名称。相当主張の激しい博士であると見た。


 テントの入口付近には、黒いコンテナが何台も積まれていた。その中には、何かの機械もいくつか混ざっており、これから対峙する人が本当に研究員でることを認識させられる。同時に荷積みがかなり適当なことから、ずぼらな性格も滲み出ていた。


 研究員の後に続き、真理ちゃんと並ぶように僕はテントの中へと恐る恐る足を踏み入れた。中に充満した埃が、鼻を刺激した。


「博士、例の人を連れてきました」


 真理ちゃんはテント内奥に向かってそう報告する。様々な機械、モニター、パソコンが多く並んでいる空間の隅、そこに白衣を着た丸まった背中があった。


「おう、来たか。こちとらあまり時間が無いんだ。手短に頼むぞ」


 すると、不愛想でしわがれた声が返ってくる。彼は画面に向かったままで、こちらに振り向かない。僕に興味がないことは明白だった。


 僕は真理ちゃんの方を見やる。彼女は少し困ったように肩をすくめ、老人の座るところへと歩いていく。困惑しつつもその後を追った。機械とモニター、資料の壁に挟まれた道を進み、やがて老人の着く席に接近する。


 博士と呼ばれた白衣の男はパソコンの画面を凝視しつつ、カタカタとわざとらしく音を鳴らし、キーボードを打っていた。真後ろに来ても尚、こちらに興味を示さない。再び真理ちゃんを見ると、黙って頷いた。名乗ることを促すような仕草だった。


 僕は一歩彼に近づき、姿勢を正して、口を開いた。


「初めまして、朝井武弘と申します。この度は貴重な時間を取って頂き、ありがとうございます」


「勘違いするな。お前さんのためじゃない。あくまで、シャパリュ捕獲の成功率を上げるため決断したに過ぎん。故に、特別に部外者の出入りを許可したまでだ」


 画面から目を離さずに、淡々と博士は言った。タイピングはいつしか止まっていた。


 変わらぬ態度に困惑し、どう言葉にするべきか迷った。けれど、伝えるべきことは伝えなければ。ここで怖気づいていたら、大人として情けない。


「今日は、あなたにお願いがあって来ました。実は──」


「良い。皆まで言うな。大方事情は把握している」


 ここで博士が椅子を回転させて、こちらに振り向いた。白髪の生えた頭に丸眼鏡。平たい顔の眉間に皺を寄せ、忌々しそうに僕の目を見た。


「お前さんも、あの化け猫の飼い主になった者だろう? 真理君から話は聞いている。お前さんとの生活が、少なからず奴に影響を与えていることも、データから読み取れる」


 腕を組んで、博士はまた画面に身体を向ける。


「良いだろう。シャパリュ捕獲の駒として、今後もお前さんの出入りを許可しよう」


「本当ですか? ありがとうござ──」


「但し、条件がある。感情で動いて、計画を荒らされちゃあ困るからな」


 そう言って、目線だけこちらに向けた。


「まず一つ。ここに来たからには私の命令に従え。もう一つ。お前さんに許可するのは情報提供と傍観だけだ。それ以外の行動は取るな。一つでも破ってみろ。その瞬間、お前さんを研究室に監禁し、シャパリュ捕獲まで一切の自由を封じる」


 それが嫌なら、今すぐに真理君の家に戻れ──最後にそう釘を刺された。


 情報提供と傍観のみの許可。それが意味すること。即ち現場に赴くことは一切できない。うみと直接相まみえることは叶わない。いざ捕獲や討伐がなされた際にも、最後の別れを告げることもできないということだ。正直、歯痒さを覚えてしまう。


 けど、それでも傍観は許された。別れを告げられずとも、その最期を見届けることぐらいはできるということだ。せっかく得られたこの好機、逃すわけにはいかない。


 雑念を振り払い、覚悟を確固たるものとして、僕は老人の姿を見据えた。


「ええ、それでも構いません。私もうみの家族として、計画に参加させてください」


 自分でも驚くぐらい、はっきりとした懇願の言葉。


 それを聞いて、博士はわざとらしく溜息を吐いた。その声色には、唖然とした様子とはまた別の意味が込められているような、そんな感じがした。


「……そうと決めたなら、私の指示に従ってもらおう。やるべきことはその辺の研究員に訊け。私からはそれだけだ」


 そう言い残して、彼はタイピングを再開した。


 恩に報いるべく、すぐにでも仕事に取り掛かるべきだったが、その前に一つ明白にすべき事柄があった。それも、この計画に組するためには必須なことが。


 叱責されることを覚悟の上で、僕は作業中の博士に恐る恐る問うた。


「あの、その前に一つだけお願いが……」


「何だね。私は今忙しいんだ。簡潔に問いたまえ」


 不快感を露わにしながらも、博士は質問に応じてくれた。頑固で人を寄せ付けにくい雰囲気を出しながらも、根はいい人なのかもしれない。真理ちゃんの話していた通りだ。


 彼のご厚意に内心で感謝しつつ、僕は質問する。


「……シャパリュのこと、詳しく教えて頂けませんか? 生態とか、特徴とか、色々と──」


「ええい、喧しい! 簡潔にと言ったはずだ。一言にまとめて問え」


 しかし、と博士は頭を掻いた。


「既に存じているものだと思っていた。真理君から聞かなかったのか?」


「ええ、はい。聞く余裕がなかったもので」


 すると、博士はまた溜息を吐く。そして、嫌々従うかのように再び身体をこちらに向ける。


「良いだろう。前提的な知識を知っておかねば計画に支障が起きかねんからな。私の知る全てをお前さんに教えてやろう」


 聞き終えた頃には、不快な気分になるだろうがな──。

 最後にそう付け加えて、嘲笑うように彼は口角を吊り上げた。

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