第16話 すり切り平ら


 心廻に悔いなく告白するために、伊豆ナズナは殺し損ねた心廻じぶんを再び殺す。


 矛盾だらけだと思った。もっとも自分も人の事は言えない。失うのを恐れていたのに、はなから何も持ち合わせていなかった。ただ与えられていたことに気付いていなかっただけの人間だ。


 「対等になりたいのだ」とナズナは言う。

 死神というのは人の死を決定し、魂を冥府に回収する存在だ。しかし意思にかかわらず、不死の自分はそれを覆してしまった。

 その為にクロエは使命に殉じて愛を貫いた。だからこそナズナも心廻を殺すという責務に殉じなければならない。己が愛の証明として、少女の誇りを示すために。


「長いなら『殺人機しにがみ』とでも呼んでもいいよ」


 窓から差し込む夕日がやたら眩しく見える。赤く照らされながらもこちらに近づく彼女は、処刑人の様に見えた。

 元々そう離れておらず、すぐに目と鼻の先で幼馴染と向かい合う。


「今際の際は?」


 感情を殺した表情で此方を見つめるナズナは、慈悲だと言わんばかりに問う。

 けれど心廻の頭の中は困惑と悲しみと諦観がひしめき合い、特にこれといったものはすぐには思い浮かない。


「そうだな、………この前食べた筑前煮美味しかったよ。最期になるならナズナ特製シチューが食べたかったな」


 だからこそ零れ出た言葉は友人としてありふれたもので、彼女ナズナもそれに心底同意するように悲痛な顔で、振り上げた手を下ろす。


「……私もだよ」


 その瞬間、薄暮の赤い光が消え去った。否、それを上回る白く全てを焼き尽くすような『神秘』の光が、空を焼き、天井を焼き、遂には心廻へと降りかかる。

 光に瞳を焼かれながらも、心廻は自分が死ぬということに特に疑念はなかった。『不死』といえど既にその『不死』すら殺す存在かまなしを知っていたし、光熱が燃え盛る身体と共に自分の存在そのものが焼き尽くされるのを確かに感じ取った。

 苦痛はあるがそれを感じる心すらも光に呑まれて消えていく。

 だから朧げな意識の中、突然割り込まれた女性の声にはとても驚いた。


「奇怪だぁ、奇怪だ。ドミニク、『不死者』が死んだふりをしているぞ?」

「茶化すなケイト」

「いや助言さ、心廻少年、何故君はまだそこに倒れ伏している?」


 朧げな意識が覚醒する。途端に全身が激痛に苛まれる。塵となった感覚が確かにあり、実際精神は苦痛に焼かれた筈だ。だが目を開けると自分の身体に外傷は無く、五体満足だった。自身に降り注がれた光が止む。明けた視界で声がした方を見ると、そこには三人の見知った人間が現れていた。


「悪い、ナズナ……抑えきれなかった」


 そのうちの一人は釜無だった。彼女は部屋の少し離れた壁際で座り込んでおり、よく見ると全身血だらけでぼろぼろだ。今の一言で気力を振り絞ったのかすぐに気を失った。

 それに対して現れた残りの二人、ケイトとドミニクは争った跡など無いかの様に悠然と並び立っていた。

 静まった部屋で初めに口を開いたのはケイトだった。彼女は嘲笑ともとれる薄い笑みを浮かべながら心廻に告げた。


「臓腐クロエは腹の内を晒し、伊豆ナズナは正体を晒し真実が並べられた。………だが

「異邦人、あなた……」


 反応したナズナだった。先ほどとは打って変わってケイトに敵意を向ける。


「委ねるのは貴女自身だとしても、決めるのは少年だ。異論は挟ませない。君達が対等でありたいというなら、彼もまた知り対等になるべきだ」

「───手始めに心廻少年、後ろを振り返りたまえ」


 言われた通り後ろを振り返る。そこにはクロエの遺体があるはずだった。


「なっ!?」


 しかしそこにあったのは、灰山だった。ナズナの光に焼かれたのは間違いない、だが異様なのはその灰山が人型の範囲で異常に赤熱していた事だった。まるで周りと比べて倍以上の光に焼かれたかのように高熱を放っていた。


さ、釜無女史が見つけたものと同じ、触媒となり人を宿すもの。人の形を骸でやるのはそうそう無いと思うが、


そう、形代とは己の一部を宿らせた代わり身に厄災を肩代わりさせるものだ。

 つまりクロエは心臓の自分が本体だとした


…………見上げたものだよ、不死の少女は死して尚も意中の相手を守り抜いた。敬意を表するよ『死霊使い』にとって、死とはただの通過点とは嘘偽りなかった」


 ケイトはそれまで砕けた物言いから打って変わって、慇懃に今は無き少女への称賛を口にした。

しかしそれも一瞬のことですぐの口調に戻る。


「さて話が変わる……否、戻すが少年、君は『願望機』についてどこまで知っているかな?精々『聖遺物』であることぐらいしか知らないと推察するのだが……


 瞬間、ナズナは苦渋の表情を浮かべる。同時に天井を突き抜けて光線が寸分違わずケイトに向かって降りそそぐ。


「なっ!?」

「………ああ、クソッ!」


 しかし側に控えていたドミニクが覆いかぶさるようにしてケイトを庇って代わりに光線を食らう。

 つい先ほど今自分が殺されそうになった光だ。その身で味わってるからこそ分かる。あれは熱光線であると共に人の存在自体を燃やす尽くす光だ。そんなもの不死である自分はともかくただの人間が耐えられる筈がない。

 心廻は死んでしまったのではないかとただ黙って見ている事しかできない。

 だが予想に反して二人は死んではいなかった。ただ無事とはいかなかったらしく、庇ったドミニクは全身焼け爛れ、体中から煙を上げている。重傷なのは傍から見ても明らかだった。そして庇われたケイトはさも当然かのように優雅に乱れた髪を払って立ち上がる。服の端々がところどころ焦げてはいるが、その美しい髪は変わらず輝きを放っていた。

 苦痛に呻くドミニクを歯牙にもかけず、ケイトは自分を殺しにかかった相手に悠然と微笑みながら尋ねる。


「おやおや、警告も無しかい?」

「言って止まる口なの?」

「もう一度言うぞ………煽るなケイト、水を差してるのは………俺達だ。それと流石に二発目は庇いきれず死ぬ……ぐっ」

「………驚いた、無事なんだ」

「なに、その『権能』で死ぬには彼は些か頑丈でね。二発目が来ないとなるとまだ時間はありそうだ。……それで話の続きだがどうする?貴女の口から告げるかい?」


 途端に場が剣呑な雰囲気になる。今にも人の身では及ばない超常の殺し合いが始まってしまいそうな気配に冷たい空気が更に冷え込んだと錯覚してしまう。

 圧倒的なプレッシャーが支配するこの場で自分は無力でちっぽけな存在だと否応なく理解させられた。

 だがこの場では、この時ばかりは心廻自ら言わなければならなかった。震える身体を抑え、勇気を振りしぼり口を開く。


「知りたい、例えどんな真実だろうと、失われたものを取り戻せるかもしれないなら、俺は知りたい」


 これは自分の記憶に、過去に関する事だ。ならば自分が告げなければならない。

 心廻の言葉に、反応はそれぞれだった。ナズナは悲し気に顔を伏せ、ケイトは虚を突かれた表情になり、ドミニクと釜無たちは負傷でそれどころではなかった。

 そしてケイトはこれ幸いに口を弧にし、称賛と狂言を回し続ける。


「よく言った心廻少年。ならば聞くがいい。そして知ると良い」


 そしてケイトはその事実をからりと告げた。


。最も今そこには無い心臓のことだかね」


 ────


「……どういうことですか?」


 意味が分からない。ナズナの時とはともかく、今度ばかりは単純に理解が追いつかない。


「────『遺骸いがい神骸しんがい』、それが正確な君の名さ。人が神へと至る『遺骸』。故に『神骸しんがい』、そもそも『亥飼』という世帯は仮の名で、君は『聖遺物』となるべく育てられた道具だったわけだ」

「……な、何を言って」

「生物において心臓は核だ。『神秘』においても変わらず、心臓は格であり、また逆もまたしかりだ。………そしてもし、神の心臓を作り上げたならば、それは逆説的に神の如き『権能』を手に入れることを意味する」


 人類は未知を分析し開拓し発展してきた。それこそが文明というものだ。それは科学では解明できない『神秘』でも例外ではなかった。


「”心臓をって神へとめぐる”なんて随分皮肉が効いた名だ。………つまりだ心廻少年、君はそもそも人としての死すらなく、ただ人々の欲を満たす道具に成り下がる運命だったわけだ」


 そしてケイトは、感情の読めない顔でただただ事実としてその言葉を告げた。


。────これが、少女ナズナ達が決して口を割れない君の秘密しんじつだ」


 そう、告げられるわけがないのだ。

 心廻の幸福は虚構であると詳らかにする事など、恋情に生きる少女達にはできるわけがなかった。


「なっ」

「くそッ!」


 しかしそこで得心した心廻の思考が引き戻された。天よりの光がケイトの身体を照らす。ナズナが放つそれは、防がれた一度目の時よりもか細く儚い眩さでも、生者を滅しきるには充分な光。死を意味する神の鉄槌が絶滅の意を持ってケイトへ降り注がれた。

 反射的に助けようと手を伸ばすそうとする。

 だが身をもって受けた苦痛を想起し、心廻は動けなかった。

 ケイトを庇おうとドミニクは重傷な身体を引きずるが、間に合わない。


「例え死ぬとしても生きてる事は良いことだ。それが死んでも生きてるなら尚更だ」


 だがその事を一番理解しているケイトはそれでも口を閉じなかった。


「心廻少年、気に病む必要はない。私含め皆が勝手にやった事だ。君もまた同じようにするといい」


 光に呑まれゆく異邦人の身体は燃え上っていく、しかし姿が見えなくなる瞬間までケイトは悠然とその両足で立ち続け、告げるべき言葉を謳う。


「手が足りないって言うならヒントは灰だ。これで秘密は暴かれ資格は与えた。残りは君だ。健闘を祈る」


 そうしてケイトはその身を燃やしながらも最期まで言葉を紡ぎきって消えた。

 光が消え、床に焦げついた影のような黒ずみが彼女が確かに証明していた。


「ケ、イト……」


 ドミニクは、悲痛に相棒の名を呼ぶが、力尽きて意識を失ってしまった。

 彼も満身創痍の身体だ。このままだと危ないかもしれない。同じように釜無も力尽きたままだ。唐突に現れた乱入者はまた同じように居なくなる。

 そして逆戻りしたかのように残ったのは、相対した二人の少年少女だ。


「………言えるはずもなかった。君や君の両親を殺したなんて───ましてや殺した君が死ななかったから好きになっただなんて」


 だが何もかもが戻ったわけではない。ナズナは、殺意を薄め悔いが残さないよう取り零した言葉を交わす。その表情は俯いて心廻からは伺えない。


「殺人に懺悔はすれど後悔はない。『遺人』も『神秘』を擁せど結局は人。より超常の『神秘』を手に入れようと画策し、破綻した欲望の末、他者を巻き込み破滅する。だから人世の均衡の為だと割り切れる」


 それは自分の責務に対しての矜持。認められなくとも認めたくなくとも、確かに為された罪禍と秩序の偉業。


「………でもダメだ。心廻、かつての君が死なないでいてくれた。それが何より嬉しくて好ましくて、目が眩む。………


 故にその絡繰りは破綻した。救いを見出し、人の生を司る筈の『神秘』は宿痾から解き放たれ、人に救われた少女に身を落とした。


「だからこそ………だからこそ、今の私じゃ駄目なの。幸運に甘んじた今の私じゃ、クロエの献身には勝てない。それは責務の放棄に他ならない。義務の離反に変わりない。清算しなきゃ君が受け入れても私が認めない!」


 もし、ここで心廻が彼女の告白を受け入れて、愛を睦げばナズナは自分を殺すのを止めるのだろうか。

 否、断じてそういう話ではないのだ。これは少女が見せる恋敵への対抗心。

 想い人にやり残したことを成し遂げる誇りの話だ。クロエは救えなかった命を救い、ナズナは殺せなかった命を殺しきる。これは六年前の続きでもあった。


「浅き夢見し幼き人よ、この壊れた機構に今一度光を見せて………お願い」


 きっと彼女は止まらない。そして心廻も止まる気も無かった。

 何故ならばこちらを見下ろすナズナの顔は涙が頬を伝って尚も、毅然と真っ直ぐな眼差しで心廻を見つめていたから。


「わかったナズナ。君の想いを俺は受けて立つよ、たとえ死んでも受け止める」


 そして何より、少女の一世一代の告白から逃げるなど雄として名折れなのだから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る