二十一歳 その2
お洒落で美味しいイタリアンの店だった。さすがミカ、リサーチに抜かりがない。
「あーこれは美味しいですね」
彼女はグルメリポート風に大きく頷く。
「何だっけそれ、ナスと?」
「ナスとトマトのボロネーゼ?」
ミカが食べているトマトソースのスパゲッティは、やたら美味しそうに見える。もちろん可奈子のカルボナーラだって美味しいけど。
「良いな、美味しそう」
可奈子の視線に耐えきれなくなったミカは眉間に皺を寄せる。
「何だ、欲しいのか?」
「一口!」
「食いしん坊かよ」
可奈子は一秒の間を空けて「そうなんですよ」と答える。
ミカはにっこり笑った。
「何か——戻ってきたね」
「へ?」
ふいにやんわりしたことを言うので、可奈子は答えに戸惑った。
「も、戻ってきたって、何が?」
「何か、今日は元の可奈子って感じ」
「え、私元の私じゃない時あった?」
自分で言いながら変な文章だと思ったが、ミカはその辺をスルーしてくれる。
「だってほら、まずその髪」
指差されて、初めて気づいた。
そうか、髪を黒に戻してからミカと会うのは初めてだ。
ブラウンにしていたのは、結局一年ほどだった。確か成人式が終わって一ヶ月くらいで、すぐ黒に染めた。
「服の感じも、高校の頃みたい」
「え、それ馬鹿にしてる?」
「いやいやいや!可奈子らしさが戻ってきたなって」
ミカの言わんとしていることが分かってきた。
「——ねえ、ぶっちゃけさ」
ほら、やっぱり来るぞ。可奈子はミカのちょっとだけ落としたトーンで、次に来る話題を察した。
「やっぱりあれ、元彼の影響?」
「はいー」
「え?何よ、今更触れられて痛いような話題じゃないでしょ?」
ミカの言う通りだ。
「いや、あんまりにも予想通りのが来たから」
「悪かったね、単純で」
答えるのは何てことのないことだった。それでも久しぶりに思い出すと、意外にも懐かしさがふわっと、溜まっていた埃のように心の奥で舞い上がる。
「そうです、元彼の影響です」
「あれか、可奈子って好きな人の好きなもの、好きになるタイプだ」
「『タイプ』って言うけど、実際みんなそうなんじゃない?」
「そうとも限らないよ。私は影響を与えるタイプだしね?」
なるほど、ミカならそうかもしれない。
「その人、いつ付き合ってたの?」
「一年生の頃だよ」
「どれくらい——」
「半年ぐらいかな」
食い気味に答えた。全部聞かなくても、彼女の質問はお見通しだ。
ミカはちょっと驚いた顔をして、パクッとパスタの塊を食べる。
「で、それで同窓会の時もそのまま?」
「一回慣れちゃうと、黒に戻すのも変な気がしちゃって。でも、やっぱり戻した」
「そっか——」
全部飲み込んで一息つくと、ミカはフォークで可奈子を指す。
「私今だから言うけど、今の可奈子の方が良いと思うよ」
「え、そう?」
「ていうかむしろね、同窓会の時のあれ、あんまり合ってなかった」
「ほんとに?」
ミカは本気の顔でうなずく。彼女がそう言うからには本当なんだろう。
「いや、別に悪いってわけじゃないんだけど——何か雰囲気自体はかっこ良かったけど、肝心の可奈子が別人みたいだったな」
「別人」
「うん。内心ちょっとどうしたのかなって思ってたから、今日駅で会った時安心したのよ」
「——そんなに違和感あった?」
「元彼の影響とあれば、納得だけどね」
自分はそんなに、かつての自分とかけ離れていたのか。
当時そこまでの意識はなかった。染めたばかりの時は確かに新しい感覚があったが、見た目の変化は大したことじゃないくらいに思っていた。会ってちょっと話せば補える程度の変化だろう、と。
「で、今は?気になってる人いるのー?」
ミカは急に茶化した口調で言ってきた。
「いません!」
可奈子はスプーンの上でフォークを回転させながら、同窓会の記憶を頭の中で呼び起こしていた。
東京発の全国的に人気なブランドが、ついに仙台に上陸した。
葉月や奏音だけでなく、同年代の学生なら誰もが歓喜するニュースだった。また一つ、服を買うときの大きな選択肢が増えたのだ。
「あ、これ可愛いかも」
奏音は黄色系のスカートを見ている。
「どう?」
当ててみると、確かに似合っている。そもそも彼女は黄色の似合う人だ。バイト先のシャツもオレンジ寄りの黄色だった。
「良いね」
「ちょうど今の服とも合う感じだなあ」
「お、ということはお買い上げですか?」
「これは——しかしキープ!」
「あっと惜しくもキープ!」
店の暖房はかなりよく効いていて、気をつけなければボーッとしてくるほどだった。少し外に出ただけでかじかみかけていた指が、今じわじわしている。
「前から思ってたけど」
「うん?」
「奏音ってそもそも、似合わない服あんまりないんじゃない?」
口をOの字にし、奏音は驚いた顔をする。
「もしかして私ってモデル向きかな?」
「原宿とか歩いたら秒でスカウトされるんじゃね」
「出たね、葉月の出まかせ発言。私にだって似合わない服はあるよ、似合うのだけ着てるんだもん。例えば——」
彼女は近くにあった、グレーのキャップを被った。
「こんなの被ると上手くいかない」
奏音のキャップ姿は、見たことがなかった。違和感は確かにあったが、単に見慣れないせいの気もする。
「葉月は、似合わない服買っちゃったことある?」
「うん」
「でもさ、そういうのって着てみて外に出ないと分かんないもんじゃない?あんまりしっくり来ないなあってなるの、買ってからしばらく経った後だったりしない?」
なるほど、それはあるかもしれない。
ふらふら歩きつつ彼女は、今度はデニムのジャケットを見ている。
やっぱりそれも似合っていた。
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