3-2

 居間に戻ってきた。

 敷物の上に腰を下ろしたミハルちゃんが、背中で壁にもたれた。足をのばしてくつろいでいる。すぐ近くに、おれも座った。

 おれは、闇月とカツキのことを考えていた。

 闇月とカツキを捕食者と獲物のように感じていたけれど、その見方は誤りだったのかもしれない。

 カツキは、初めから闇月の一部で、闇月を満たすために作られたもの……。つまり、二者は同一のものだといってもいいのではないか?

 神と人が、刀と鞘のように、一揃いのものであってもおかしくはない。

「さすがに考えすぎか」

 おれは、神におれの声は届かないと思った。でも、そうじゃなかった……かもしれない。おれは、この一月の間、人の姿をした神と生きていたのかもしれなかった。

「考えすぎって?」

「ごめんな。一人で、考えとっただけや」

「マサトくん。すこうし変わったみたい」

「え……」

「ええんよ。カツキくんと会うたからやね。きっと」

「かもしれんな。

 あのな……。ミハルちゃん」

「うん?」

「その、あれや。手、もらってええかな」

「手?」

「うん」

「どっち?」

「できれば、両方」

 のばしてくれた両手を、両手で取った。

 つないだ手は、あたたかかった。

「これ、なんなん?」

「ごめん。さわりたかっただけや」

「しかも、両手って。おっかしい」

「そやな」

「こどもの頃みたいに、だっこする?」

「いや。それは……。お母さんに、申し訳ないというか」

「どうして、母さんに? あたしとこうするのは、いけないこと?」

「いけないというか。悪いなあと」

「罪悪感がある?」

「あるやろ。それは」

「母さんは怒らへんよ。たぶん」

「かなあ……?」

「汗かいてる」

「ごめんなさい」

「ううん。いややないよ」

「顔、赤いな。ミハルちゃん」

「いわんといて……」

 照れたように笑う顔は、やっぱり、かわいいとしか言いようがなかった。



 おれが里に戻ってから、七日が経った。

 ようやく、自分が経験したことがなんだったのか、納得はしないまでも、理解できるようになった気がしていた。

 フソウさんには、「ダークムーンは救われました」とだけ話した。

 いずれまた闇月は力を失い、生まれ変わったカツキは、誰かと西へ向かうのだろう。それはおれにはどうすることもできない輪廻で、それがカツキの宿命だった。


 おれは、夜に外を歩くことが増えた。カツキと旅に出る前なら、部屋にこもって、紙の上で延々と筆を走らせていただろう時間を、さまようことに充てている。

 今は、なにも書く気がしなかった。

 おれが、カツキのためにしてやれることは、本当になにもないのだろうか?

 たとえば、カツキのことを物語にするのはどうだろうか。こことは違う世界で、なんということもない日常を送る、おれとカツキの話……。

「誰が読むんや。そんなもん」

 おれは読んでみたいと思うけれど。

 上を見上げる。秋の夜空は美しかった。

 下を見た。雑草の生えた地面は、どこまでも続いていた。

「墓なんか作ったところで、喜ばへんかな……」

 カツキの血がついた服は、まだ捨てられずにいた。土に埋めて、供養してやるべきだろうか?

 黒い玉も、おれの手元にあった。本来なら、里の長に渡さなければいけないのかもしれない。だけど、おれはそうしなかった。

 これはカツキの形見だ。おれが死ぬまで、大切に持っていてもいいはずだ。


 ざっと風が吹いた。空気が変わるのが分かった。

 もうなじんでしまった、あの気配がした。

 ……カツキがいる。

 暗い空を見上げた。星空があるだけだった。

 違う。満天の星の一部が、不自然に欠けている。欠けながら、ものすごい速さで移動している。

 あいつだ!

「カツキ……」

 追いかけようとする足がもつれた。


 里の外れまで、ひたすらに走った。

「めっちゃ、はやいな!」

 分かっていた。人が、神に追いつけるはずもなかった。

 長細い影が、山のつらなりを越えて、西へと飛び去っていく。

 もう追いきれなかった。息が苦しい。膝は笑っている。おれの全身が悲鳴を上げていた。

 地面にへたりこんだ。ぬかるんだ土で、手が滑りそうになった。

 ふっと、空が明るくなったように感じた。

「なんや……?」

 厚い雲が晴れて、月が現れてくる。

 遠ざかっていく龍の姿が、巨大な月に影絵のように浮かんでいる。

 美しかった。


「カツキーっ!」


 なにもかも忘れて、叫んだ。

 おれの声が、山にはね返って反響する。それは、驚くほど大きく響いて聞こえた。

 いつのまにか、風の音が消えていたことに気づいた。

 梟の鳴き声も、風が木々を揺らす音も聞こえなかった。

 月が支配する世界は、しんと静まり返っていた。


 闇月が吼えた。

 刀鍛冶が鋼を鍛える時の音を、無数に重ねたような咆哮だった。これまでに、一度も聞いたことのない響きだった。

「……なんちゅう声や」

 全身がふるえた。まるで、おれに応えたような叫びだと感じた。

 頬があつい。涙がつたっていって、おれの顔を濡らしていく。


 はるか遠くの空で、闇月カツキが笑ったような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る