2-1

 昼すぎには、いくつかの街を越えていた。

 おれとカツキは、ひたすら西へと歩き続けた。

 おれが初めて歩く平原は、青々としていた。どこまでも開けていて、広々としていた。

 このあたりから、人の姿をまったく見なくなった。


「夕暮れだな。どうする?」

「このへんな、おれも初めてなんや」

「そうなの?」

「うん。野宿するにしても、あんまし、がらーんとしたところは、いややな」

「塔はまだ見えてない。あと何日かかるのか、分からないな」

「せやな」

「高くなっているところにしよう。下から獣が来ても、すぐに分かるように」


 夜になった。闇が、おれとカツキを包んでいるのを感じた。

 息がうまくできない。体を丸めて座りこんでいると、カツキがおれの体にぶつかるように近づいてきた。

「……なんや」

「こわいの?」

「そりゃあ、まあ……。お前は、こわないんか。雲で月が隠れとって、灯りもない。まっ暗闇やぞ」

「暗いところをこわいと思ったことはないね」

「ほんまか?」

「ほんま」

「ばかにしとるんか」

「いいえー? そんなにこわいなら、たき火を起こしてあげようか」

「できるんか」

「もちろん。マサトは? できないの?」

「火打ち石は持っとるけどな。山火事、こわいし」

「そういうことか」

「水がないやろ。飲み水は使いたない」

「踏んで消せる気もするけどね。だったら、川を探そう」


 二人で川を探した。

 おれはさっぱり見当がつかなかったけれど、カツキの足取りには迷いがなかった。


「あったよ」

 小さな川を見つけたカツキは、得意げな声で言った。


 たき火を起こす手つきは、貴人のそれには見えなかった。

「うまいな」

「ほら。もう点いたよ」

「ありがとうな。あったかいわ」

「どういたしまして。行燈を持ってくるべきだったね」

「ああ! そやな……。

 言い訳がましくなって、あれやけどな。フソウさんが、なにもかも用意しとってくれたやろ。用意されたもの以外は、持っていったら、あかんような気がしとった」

「そうだね。僕も、そう思った。あらかじめ準備されてたような感じだった」

「うん……」


 たき火の明るさの中で、ふと、なにか書きたいと思った。

 物語を綴った紙束は里に置いてきてしまったけれど、フソウさんが持たせてくれた紙があった。

 硯で墨をすって、小筆に吸わせた。墨の匂いで、心が落ちついたような気がした。

 小さな紙に、物語の続きを綴っていく。

 寝そべっていたカツキが、体を起こして覗きこんできた。

「それ、なに?」

「なんやろうな。おれが書いとる話の、続き。

 はずかしいから、あんまし見るなや」

「絵がない」

「絵巻物とは、ちゃうで。文章だけや」

「ふーん。そういうの、書く人だと思ってなかった」

「ちっちゃい頃から、物語になっとる話を書くのが好きで。里におったら、本はめったに手に入らんし。そやったら、自分で書こうかあーって思うて」

「都に行きなよ」

「……うーん」

「なんで、そこで迷うのかな。こわい?」

「こわいやろ。そりゃあ。なんも知らんところへ行って、どうやって働こうかとか、考えるやろ」

「行ってから考えたって、遅くないよ」

「そうかあ?」

「どんな話なの? それは」

「んー? こことは違う世界の話や。おれが見たこともないような、すぐれた文明が発達した世界で、おれがよう知っとる人たちが暮らしてる話」

「漠然としてるなあ」

「うん。自分でも、そう思うわ」

「ミハルちゃんも出てくる?」

「……うん」

「うわー」

「『うわー』て言うなや」

「どんびきだよ」

「なんや、その言葉。しらん」

「都のはやり言葉。相手と心の距離ができた、みたいな。『ひく』、『ひいた』とか」

「へー」

「こんなの、知らなくていいよ」

「なあ。カツキ」

「うん?」

「里に帰ったら……帰れたら、おれに、お前が知っとることを教えてくれ」

「それって、学問ってこと?」

「ああ。それだけやなくて、あっちのこと……。おれが知っとる都の知識は、通りいっぺんのことだけや。そこで暮らしてたやつにしか分からんことが知りたい。どんなささいなことでも」

「いいよ。僕が知ってることなら、なんでも教えてあげる。

 僕から聞くより、自分の目で見て、肌で感じた方がいいと思うけどね……」

「そら、そうやろうけど」

「そうだ。ミハルちゃんとミカさんから、しょっちゅう『ミエちゃん』の話を聞かされたんだけど。どういう子?」

「どういう子も、なにも。イセの里で有名な学者さんや」

「女の子だよね?」

「女の子は、学者になったらあかんのか」

「いや……。そんなことはないけど。いろんな国の言葉を知ってるとか、西の国の本を、この国の言葉に訳したりしてるとか……。あれって、本当なのか」

「ほんま。疑っとるんか?」

「違う。本当なら、会ってみたかったなと思っただけ。

 西の国の言葉は、どんな音で読むんだろう? 聞いてみたい。

 僕の知らない言葉たちを操っているのが、若い女の子だなんて、すごいことだと思う」

「どうやろうな。ミエちゃんは、『イセの魔女』とも呼ばれとってな」

「魔女?」

「金の髪に、すみれの目。ミハルちゃんやミカちゃんとは、種類が違う感じの美人さんや」

「金の髪! すごいな」

「ミエちゃんに、お前を会わせてやりたかったわ。えらい話が合ったんやないかと思うわ」

「そうか……。残念だったな」

「里に帰れば、いつか会えるやろう。今は、たまたま、ナガサキに留学しに行っとるだけや」

「ナガサキ! あー。いつから、いないの?」

「お前が里に来た頃からだと……えーっと。二月ふたつき前やな」

「遅かったか……!」

「本気で悔しがるなや。ひくわ」

「おっ。それ、ここで使う?」

使つこうてみた。どきどきしたわ。合っとる?」

「合ってるよ。それで」

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