廊下の床が鳴る音が聞こえた。

 少しして、リビングに美夏ちゃんが入ってきた。

「あら。かわいい子がおる」

「お邪魔してます」

 伊勢くんとミエちゃんが、同時にしゃべった。

「いらっしゃい。伊勢くんは、まあええとして。

 こっちの子は、お友だち? だいぶ年が離れとるみたいやけど」

「え、ええっとおー」

「ミエです。よろしくでいす」

「よろしくね。私は鳥羽美夏です。……で? どういう経緯で、こうなったん?」

「ええとね。話せば、長くなるんやけど……」

「ぎゅっと縮めて、教えてくれる?」

「あー、うん。伊勢神宮で、迷子かと思うて話しかけたら、別の世界から飛ばされてきた子やったんよ」

「美春、どうしたん? 真顔で、おかしなこと言うたね」

「やって。ほんまに、ほんま……みたいなんやもん。

 伊勢くんが参宮案内所で確認してくれたんやけど、誰も、ミエちゃんのことを探してへんかったんよ。つまり……」

「迷子やなくても、自分から家出してきた可能性はないん?」

「わたしは、家出はしていません」

「ご両親は? ご家族は、どこに住んどるん?」

「いません。誰も、いません」

 美夏ちゃんに答える声は、それまでとは違って聞こえた。

 あたしの目からは、ミエちゃんが、いきなり大人になったように見えた。びっくりして見つめているうちに、また、あどけないミエちゃんに戻っていた。

 美夏ちゃんはなにも言わなかった。黙ったまま、ミエちゃんと見つめ合っている。

「どうも、嘘をついとる顔やないね」

「美夏ちゃん。うちで、しばらく住まわせてあげられへん?」

「ええよ。うちも訳ありの家やからね。

 ここで暮らしとるうちに、親のことや、住んでいた場所のことを思い出したりするかもしれんしね」

「そやね! そうなったら、ええね」

「ミエちゃん。あなたのこと、もっと教えてくれる?」

「あい。自分で言うのは、はずかしいのですがねい。元の世界では『天才言語学者』と呼ばれていましたねい」

「おー」

「日本語、上手やね。勉強したん?」

「いいえ。わたしは、ニポン村で育ちました。これは……ニポン語は、わたしにとっては、母語であり、第一言語でもあるのでいす」

「あらら……。ずいぶん、難しい言葉を知っとるんやね」

「あややー。それほどでも」

 ミエちゃんがてれた。

「ニポン村は、小さな、まずしい村でいす。

 こちらへ来て、びっくりしました。見たことのないものばかりで……。

 わたしは、この世界の名前が知りたいのでいす」

「世界……。地球とか?」

「チキュウ?」

「うーん。それ、世界の名前かなあ」

「まあ、とりあえず地球でええんやない?」

「この場所は、なんという名前なんでしょうかねい?」

「ここは、三重よ」

「ミエ?」

「ここの地名な。三重県」

「ミエケン……」

「この国のことは、わかるん?」

「すみません。さっぱりでいす」

「ここは、日本国っていうんよ」

「美夏ちゃん。国、いる?」

「つけても、おかしないよ。パスポートには、『日本国旅券』て書いてあるわ」

「あー。正式な呼び方は、日本国ってこと?」

「法令はないし、『日本』とも呼ぶけどね。『日本国憲法』が『日本憲法』やったら、おかしな感じしない?」

「するわー」

「そうですね」

「ここは、日本国の三重県の志摩市の志摩町の片田という場所なんよ。これに番地がつくと、住所になるんよ」

「ジュウショ……」

「いきなり言われても、わからんよね。少しずつ、慣れていってくれたらええからね」

「ありがとうございます。ミカさん。

 あのう。イセと、イセジングウには、どんな関係があるんでしょうかい?」

「ない。なんもない。ええと、ないわけやないんやけど。

 おれの伊勢は名前で、伊勢神宮の伊勢は地名なんや」

「はー」

「鳥羽っていう地名もあるんよ」

「そうなんですかい! ややこしいですねい」

「やっ。そうでも……ないで」

「もしかして、こっちのこと、ほとんど知らんかったりする?」

「うん。車もシャワーも、知らんかったよ」

「大変やなあ。そしたら、三重の写真を見せたげよか」

 美夏ちゃんが、本棚からアルバムを持ってきた。

「観光した場所とか、うちのまわりとか……。私と母が撮った写真なんよ」

 ミエちゃんの前に広げて、見せてくれた。

「シャシン。はー、すごい……」

「これなー。うちからすぐの浜に、ある日、とつぜん打ち上げられとったんよ」

 美夏ちゃんが指さしたのは、さっき見た浜に、平べったい船のようなものが乗り上げている写真だった。

「メガフロート!」

 伊勢くんが、大きな声を上げた。

「あ、わかる?」

「話だけは、聞いたことあります。これ、いつですか?」

「2002年。美春が生まれる前よ」

「なんで、こんな写真持っとるん?」

「撮ったからやわ! いさんで撮りに行ったわー」

「わ、わからん……。お姉さん、何才でした?」

「九才……やね。小学三年生。おばあちゃんに、インスタントカメラを買うてもらってね。一人で撮りに行ったんよ。

 伊勢くんは、知らんかな? あたしたち、美春が生まれてから、神奈川に引っ越して暮らしとったんよ」

「え。ほんまですか?」

「うん。神奈川に六年おったんよ。

 片田から離れても、これのことは、えらく印象に残っとってね。おばあちゃんも、まだ元気やったし……。

 こどものころから泳いどった浜に、とんでもないものが来たいう感じやったね」

「たしかに。大きいですしね。

 これ初めに見つけた人、びびったやろなー」

「片田じゅう、大さわぎよ。あたしのまわりだけかもわからんけど。

 大人は大変やったろうけどね。こどもらは、撤去されるまで、しょっちゅう眺めに行っとったね。

 千葉の方から来たんやったかな……。行ったこともないような遠くから、はるばる流れついてきたんやと思うと、不思議でね。前ぶれもなく、急に、目の前に現れたような感じやったから」

「そうだったんですねい。不思議なことが起きたのですねいー」

「それ、見ててええよ。ごめんね。ちょっと、仕事の電話してくる」

 美夏ちゃんは、リビングから廊下に出ていった。

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