第2話 勇気
「これ、おじさんが並べたの?」
それは一人の女の子だった。小学四、五年だろうか。子供のわりに、大人を睨むような小さな黒目が特徴的だった。
「ああ。今日はカレーがお買い得だよ」
「ふーん」と口を尖らせると、「小さくまとまったなって感じ」
そう言い残すと、走ってどこかへ去っていった。
小さくまとまっている、だと。この俺が――。
その子は決まって、一番目立つメインエンドの陳列が切り替わる頃に現れた。そして、毎回文句を言ってくる。
「全然大したことない」
「なんだか、がっかり」
「インパクトない。こんなんじゃ売れない」
「大人って、いうほど大したことないよね」
これでも結構頑張って陳列しているつもりだが、女の子のご満足頂けるエンドではないらしい。汗水垂らして陳列しても、毎回ダメだしされると流石に落ち込む。
追い打ちとばかり、決まって最後に吐くセリフが。
「前の方がよかった」
これがトドメ。
俺は何もわかっていなかった。退職させてしまった加食主任の仕事内容を上っ面の数字だけしか見ていなかったのだ。トロいところがあったにせよ、常にお客様の目線に合わせて、クロスMDを駆使した売り場を構成。飽きのこない店頭演出という、顧客満足度を向上させていたのだ。
仕事を何だと思ってるんだ。
それは、そっくりそのまま己に浴びせられるのが相応しい。
いつからか俺は自分と争うことを忘れて、出世という人と争うことしか考えなくなっていた。部下の信頼を勝ち取るという最も重要な部分すら疎かにしていた。
その夜。
閉店間際の店内を巡回していると、その子がまだ店内に残っていた。
そういえば、あの子はいつも一人だ。あのぐらいの年齢ならば、近くに親がいても良さそうだが。店内を見渡しても、彼女の両親らしき人影は見えない。
はぐれたのか。
「おねえちゃん、お母さんはもう帰っちゃったのかな?」
「……」
彼女は無言だ。仏頂面で目を逸らす。
「もうすぐ閉店だし、お母さんも心配するから早くお帰り」
「……別に心配してないよ」
冷たく返された。もしかして、この子は……。
「家に誰もいないのかい?」
どうやら、父親は遅くまで働いており、母親に至っては誰かと遊んでいて留守にしているそうだ。
この子が決まって一人でお店にきていた理由。
それは――両親の不仲による鍵っ子だったのだ。
閉店を迎えて、全ての従業員が退店したあと、父親が家に帰ってくるまでお店の事務室で預かることにした。
ジュースでもご馳走するかと搬出口に設置された自動販売機に向かい、オレンジジュースを買って戻ると、女の子の姿が見えない。
どこだ。いなくなったらえらいことだ。
落ち着け。まずは店内を確かめるぞ。
バックヤードから勢いよく店内に飛び込み、走り回る。誰もいない店内でも、小さな子供は見つけにくい。くまなく探さねば――といったことはなく、すぐに小さな姿を発見できた。
女の子はメインエンドの前にいた。
「売り出しが好きなのかい?」
「……別に」
「おじさんの売り場は大したことない?」
「うん、全然ダメ」
わかっていたけど、大人顔負けの切り捨て。この子、容赦ねーわ。
「大人のくせに、全然大したことないね」
言葉の端々から「大人」への攻撃的な態度が見て取れる。恐らく、この子は両親の不仲を見て育っているから、大人に対して良い印象はないんだろう。
俺は思い切って提案してみた。
「お父さんやお母さんに、仲良くしてって言ってみたらどうだい」
「……なんで」
「だって、仲良くして欲しいんだよね」
「……」
「じゃあ、言わなくちゃ。何も始まらないぞ」
「……別に言っても変わらないよ」
この一言に少しおかしくなってしまう。
「なによ、笑って」
「いやいや、ごめんごめん。だって、おねえちゃんはおじさんにはガンガン言うじゃない。こう見えても、おじさんは皆から恐れられてるんだよ。ははは」
「別におじさんなんか怖くないよ」
「じゃあ、お父さんもお母さんも怖くないだろ」
「……お父さんは怖くないよ。仕事が遅いだけだもん」
なんで、お母さんは嫌いになっちゃうんだろう。そう、ぽつりと漏らす。
すると、どんどんと窓を叩く音が聞こえた。
音の方向へ顔を向けると、ひとりのスーツ姿の男が心配そうな面持ちで、外から何かを叫んでいる。
「お父さん来たから、もう帰る」
どうやら、お迎えがきたようだ。
それから一週間後――。
生まれ変わった気持ちでまず始めたことは、従業員への「笑顔」での挨拶だ。努めて明るく振舞う。が――効果は無かった。慣れない笑顔といかつい顔が絶望的なぐらい合わなく、むしろ気味悪がられた。
それならば、せめて従業員の仕事ぶりを温かい目で見守ろうと視線を向ける。が――これも逆効果。かえって余計な緊張だけを生んでしまう。
そんなつもりないんだけどな……。そんな怖いのか、俺って。
俺の視線だけで、ドレッシングとか割ってしまう子が現れなきゃいいけど……。
すっかり項垂れながらエンド作成に取り掛かると、
「今度は派手なやつ作ってよ」
ずんずんと女の子がこちらに向かってきた。俺を恐れないのは、この子ぐらいなもんだ。この子が大人になっても、きっと俺を怖がらないんだろうな。
女の子はこちらのすぐ前まで来ると、急に下を向く。
なんだか、もじもじとしている。らしくない。
どうしたのと声を掛けるより前に、絞り出すようにその子は口を開いた。
「言ったよ」
一瞬、何がと混乱するがすぐに理解した。そうか、言えたのか。偉いじゃないか。
「でも、何にも変わらなかったよ」
女の子は下唇を噛む。
なんだ。そんなの――。
「おねえちゃん、そんなことないぞ。変わるのは、いつだって相手じゃなくて自分。君が強くなったってことだ」
そうだよ。小さな一歩が、全てを変えるんだぞ。
君も。俺も。
「そう言えば、おねえちゃんの名前聞いてなかったな。もしよかったら、おじさんに教えてくれないか。それ聞いとくと、なんかあった時に助かるからさ。閉店後もここにいてもいいし」
「……」
まあ……。スーパーのおじさんなんかに名前は教えないか。
ぽりぽりと頭を掻くと、
「……ル」
「ん? 何だって? 小さくてよく――」
「セイル。
「とくばいセール?」はは、これは縁起がいいわ。「おねえちゃん、特売セールって楽しいぞ。お店で一番盛り上がるからな」
「なにそれ。私、からかわれるの好きじゃないの」
「い、いや、ごめんごめん。そんなつもりないから、怒らないでよ」
「別に怒ってない。ただ、もう下の名前で呼ばせないから」
「ご、ごめんよ」
「だめ。許してあげない」
言葉とは裏腹に、その子はぎこちなくはにかんで見せた。
おいおい。その可愛い笑顔。
大人になったら、ファンクラブなんか出来ちゃうんじゃねえのか。
ま、そん時は俺が第一号だな。
了
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