第1話 アウトサイド ヒーロー:4

ピリオド:ジ エンド オブ ザ リヴェンジズ



 アオとタチバナとマダラはカガミハラ署に連れていかれた後、簡単な状況説明を済ませるとすぐに解放された。


 再び軍警察の灰色の車に乗って現場に戻ると縞模様のテープが張り巡らされ、黒尽くめとパワードスーツが現れた廃工場前から即席の撮影編集室を設営した空きビルの前まで、通り一帯が封鎖されていた。


 車を運転してきた憲兵に案内されてテープをくぐり、内側に取り残された機材を集めてバンに積み込むと空は暗くなりはじめていた。3人は荷物を満載したバンの前に集まって、レンジが戻るのを待っていた。


「大方、機械頭の刑事に絡まれてるんだろう」


 タチバナの通信端末がメッセージの着信を知らせた。ポケットから取り出すと、レンジからだった。本文をざっと見てから、タチバナは端末機をしまいこんだ。


「レンジから連絡があった。取り調べは終わったが、用事ができたから遅くなるんだと。先に帰っていてほしいとさ」




 レンジはその夜、日付が変わって数時間してからナカツガワ・コロニーに帰ってきた。酒場のホールに顔を出すと、タチバナに「遅くなってすみません」と謝った。


 タチバナはレンジの顔を見る。背負っていた荷物を下ろしたような表情を見て、「おう、お疲れ」とだけ返した。二人はそれきり無言で、レンジは従業員寮に入っていった。


 それから二日間、ナカツガワは平穏そのものだった。タチバナは次の撮影計画を練り、マダラは撮影機材を片付けた後、地下室の工房で機械いじりに精を出していた。アオはアキとリンにカガミハラの話をせがまれながら、一緒に酒場の掃除や料理の準備に動き回っている。レンジは山に出てプラントを回ったり、町の人々から力仕事の手伝いを頼まれ、あちこちに顔を出していた。




 カガミハラの事件から二日後、開店準備のために酒場のホールにやってきたレンジに、タチバナが言った。


「メカヘッドからお前さんに連絡だ。直接会って話をしたいんだと。今日明日中に来れないか、と言ってきてるが」


 レンジはすぐに動き始めていた。


「今から行っていいですか」


「おう、明日まで有給扱いにしとくから」


「ありがとうございます。行ってきます」


 バイクを取りに従業員寮側の入り口に歩いていくレンジを、不安げなアオと不思議そうな顔をしたタチバナが見送った。


「レンジさん……」


「あいつ、そんなにメカヘッドと仲良くなったのか?」




「こんなにすぐ呼び出されるとは思いませんでしたよ」


 数時間後、レンジはカガミハラ第4地区、微かに翳りがみえる繁華街の路地裏に構えられたミュータント・バー、“止まり木”のホールでソファに腰かけていた。


「すぐにまた会えて嬉しいわよ、私は」


 給侍服を着たチドリが、レンジの前にグラスを置く。薄紅色の液体が照明を浴びて、微かな泡を立てていた。


「ノンアルコールカクテルだけど、よろしかったかしら?」


「ありがとうチドリさん」


「んー?」


「……チドリ姉さん、いただきます」


「うふふ、はーい!」


 赤くなって言い直すレンジを見ながら、チドリはニコニコしている。


 レンジの正面に座ったメカヘッドが、水の入ったコップをつつきながら二人のやり取りを見ていた。


「レンジ君を呼びつけたのは、俺なんですけどぉ」


「メカヘッド先輩に言われて、この店に来たんじゃないですか」


「なんで二人でそんなに楽しそうなんだよぉ、第一、なんでママが女給の格好して、お姉ちゃんなんだよぉ」


「あら、今日はお店も閉めてるし、せっかく弟が来てくれたのだから、私がおもてなししようと思って」


「弟! やっぱり、弟! レンジお前、チドリさんとは初対面だったんだろう? どういうことだ!」


「ははは……」


「お前の方が年上だろ! なあ、何をしたんだ? ……いや、ナニをしたかなんて聞くつもりはないんだけど!」


 ごまかし笑いをするレンジの襟を捕まえてメカヘッドが追いすがる。


「似合うかしら?」


 チドリが指先でスカートの裾をつまみ、膝をゆるめてポーズを取ると、メカヘッドは途端にデレデレして手を離した。


「似合ってますよ! 写真に撮りたいくらいだ」


「店内での撮影と録音は固くお断りいたします」


「ああ!」


 きっぱりと言われてメカヘッドが頭を抱える。


「その、本題に入ってもらえますか? 何で俺を呼んだのか……それに何でこの店なんです?」


 先ほどまでふざけた調子だったメカヘッドは手を下ろし、指を組んだ。


「署内がゴタついててな。俺が独断で動いてるのを知られるのが、ちょっとまずいんだよ。この店は信頼できるしな」


「あら、あんまり物騒な話なの? お店が休みでよかった、と言うべきかしら」


「すまないな、ママ。だが今回の件はこの店にも関係していることだ」


 気楽な様子だったチドリが姿勢を正す。メカヘッドは若くして店を取り仕切るママの顔を見てから、話を始めた。


「昨夜、この店で働いている女の子が不審者に襲われる事件があった。幸い、たいした怪我にはならなかったが……」


 話をチドリが引き継いだ。


「実はその前の夜も、ミュータントの女の子が声をかけられることがあったの。うちの店の子じゃなかったんだけどね。それで怪しいから、店を休んで様子を見ようと思ったの。……軍警察にも相談してたんだけど、いい返事をもらえなかったのよ。レンジ君とメカヘッドさんが動いてくれるなら大歓迎よ」


「ありがとうママ。実はこの不審者というのが曲者でな、証言を聞いてみると、どうやら素体剥き出しのオートマトンのようなんだ」


「でも、オートマトンなんて動かすのにも整備するのにも、すごい額の金と技術がいるでしょう。簡単に使えるもんじゃないですよ」


 話を聞いていたレンジは納得できかねていた。チドリも口を挟む。


「そんな貴重品を、たかだかミュータント娘のナンパに使うかしら? この前の撮影みたいに、着ぐるみになって人が動かしてたんじゃないかと思うのだけど」


 メカヘッドは両掌を天井に向けて首を振った。


「まず、着ぐるみって線はないだろうね。二度目の事件では、犯人は女の子を突き倒した後、近くのビルの壁をヒョイヒョイ登って逃げていったんだと。人間が着ぐるみを着てやるなら、ヘタにオートマトンを使うよりも高い技術がいる。タチバナ先輩のところは例外なんだぞ」


「サイバネ手術を受けた人なら、できるんじゃないですか?」


 レンジの投げた疑問に、チドリが答えた。


「この町では武器を持ってる人だけじゃなくて、サイバネ手術を受けた人も管理区域に住まないといけないの。厳しく管理されてるから、自由な行動は難しいでしょうね」


「ママの言う通りだな。サイバネ手術を受けた賞金稼ぎや傭兵も当たってみたが、その晩は皆、管理区域から出てないそうだ。……それとオートマトンを疑う理由がもう1つあってな。それが軍警察のゴタゴタと関係してるんだが……」


 メカヘッドは言葉を切った。


「第6地区の事件で押収したコンテナから中身が脱走した。どうやらオートマトンだったらしい」


「それは……」


「ほぼ決まり、と言っていいんだけどな。署内は責任の擦り付けあいですったもんだしてるのさ。おまけにどうやら、連中の協力者も紛れ込んでるみたいでね。どこで誰に目をつけられるか、わかったもんじゃない。だからママの店を使わせてもらった、ってわけだ」


「なるほど」


「それで、レンジには捜査の協力を頼みたくてな。こうやって呼び出したわけだ」


「わかりました。やりますよ」


 レンジとメカヘッドが握手をかわす。


「レンジ君がいるなら安心ね。私も頑張らなくちゃ」


 二人の話を聞いていたチドリがやる気満々という様子で、両手を握りこぶしにしてみせた。手首から伸びている翼もふわりと動く。


「えっ?」


 メカヘッドが固まった。


「犯人はミュータントの女の子を狙ってるんでしょう。それなら、私が一肌脱がなくちゃね!」




 初めて会った時から、レンジにとってチドリは“思いきった行動をする人”だった。


 最初の事件があった夜、黒尽くめの集団やパワードスーツを倒し、メカヘッドの取り調べから解放された後、レンジはチドリに案内されて街灯に照らされた繁華街を歩き、第4地区の路地裏にあるミュータント・バー、“止まり木”にたどり着いた。


「ただいま」


 扉を開けると、ホールで給侍していたミュータントの女の子たちが振り向いた。


「お帰りなさい、ママ」


「マネージャーが心配してましたよ」


 チドリは壁の時計を見やる。


「あら、もうこんな時間! マネージャーと話して、準備してくるわね。レンジ君は席について、待っていてもらえるかしら」


「あっ、はい」


 チドリは店の奥に引っ込み、レンジは甲虫のような灰色の殻に被われた手足を持つ女給によって、ホール中央の席に案内された。アンティーク調で統一された店は客の入りもよく、テーブルはほとんど埋まっている。レンジは片身の狭い思いをしながら、「予約席」と書かれた札が立つテーブルの前に座った。


 目の前には一段高いステージがあり、壁際には年代物のアップライト・ピアノが置かれている。周りの席を見回すと、客たちはささやくような声でお喋りしながら、ステージに意識を向けているようだった。


 女給を口説く者はいないし、女性客やミュータントの客が多いことも、レンジにとって意外だった。皆、ミサ前の救済教徒のように、何かが始まるのを待っているのだ。


 奥の扉を開けて、冊子を脇に抱え、艶やかな生地のスーツを着た白髪の男性が入ってきた。チドリがその後に続く。男性がピアノの前に座り、三つ目用の老眼鏡をかけた。チドリがステージに立って会釈すると、客たちが一斉に拍手で応えた。


「今晩もお越しくださって、ありがとうございます。ごゆっくり、お楽しみください」


 照明がゆっくりと落ち、ステージが浮かび上がる。ピアニストの指が軽快なテンポで盤上を踊り、メロディが弾け出た。


「この曲は……!」


 ことりがよく歌っていた曲だった。チドリが歌いだす。ピアノにのってステップを踏むように、軽やかに。高く歌い上げるフレーズはさらに軽く優雅に。突然の低いキーは、“溜め”を作ってから大木の幹のように太く、豊かに。


 客たちは静かに聴き入っている。レンジは目を閉じて、豊かなメロディに聴き入った。


 約一時間のステージが終わると客たちは余韻にひたりながら、三々五々帰っていった。レンジがどう動くべきか決めかねていると、四つ目の女給が「楽屋でお待ちしています チドリ」と書かれたメモをレンジに渡した。


「ご案内します。どうぞ……」


 囁くように言って歩きだす女給の後について、レンジはステージ奥の扉に入っていった。


 扉の先には廊下が続いていたが、チドリの楽屋は入ってすぐにあった。女給がノックすると「はーい」と返事があり、ショーの高揚から頬を薄紅色に染めたチドリが出迎えた。


「さあ、どうぞ」


 楽屋の中に通され、言われるままにテーブルの前に座る。チドリは「ジェネレータで淹れたものだけど」と言って、紅茶のカップを置いた。


「ありがとうございます。よかったですよ、舞台」


「そう言ってもらえると嬉しいわ」


 レンジは紅茶を一口飲み、カップをソーサーに戻した。


「一曲目のあの歌……」


「ええ、私がことりに教えたの」


「気に入ってたみたいで、よく歌ってましたよ。他の歌も、聴き覚えのある曲ばかりで」


「そうなの! 少し前の曲だったけどあなたに聴かせようと思って、急いで差し替えてもらって、よかったわ。……あの子は?」


 レンジは両膝を押さえつけるように手をのせた。


「一年前に死にました。ヨシオカに射たれて……」


 チドリは静かに聞いていた。


「そう」


 立ち上がって、レンジに背中を向ける。


「ことりから何度か、手紙が届いてたの。あなたのことも、いつも書いてあってね。だから初めて会った気がしなかったんだけど……そう。最近は手紙がなかったから、どうしてるのかと思ってだけど、そうだったのね」


「俺は、ことりを守れなかった」


 チドリは振り向いた。


「ヨシオカに執着されていたのは私だもの。ひどい因縁を残したのは私」


「それが、ヨシオカはあの後、ことりにつきまとうようになって……」


「ろくでもないやつね」


 そう言って笑うチドリの目尻に、光るものがあった。レンジはうつむき、チドリは両手で顔を覆った。




「お見苦しいところを見せて、ごめんなさい」


 数分で泣き止むと、チドリは顔を拭いてレンジに向き直った。


「いや、いいんです。……ナカツガワに戻らないといけないんで、そろそろ行きますね」


「そうなの。一晩くらい泊まっていったらいいのに」


「勘弁してくださいよ……」


 動揺して目をそらすレンジを見て、チドリは愉快そうに笑った。


「あら、うちは“そういう”営業はやってないのよ。あなたは弟みたいなものだから、特別よ。……“そういうこと”が目当てなら、蹴りとばしてたけど」


 レンジは苦笑いした後、ライダースーツの懐に手を入れ、指環と反対側ーー右の隠しポケットから、灰色のメモリーカードを取り出して、テーブルに置いた。


「録り貯めていた、ことりの歌です。俺はまだ、聴けてないんですけど」


 チドリは手に取ると、ぎゅっと握りしめた。


「ありがとう。今度は一緒に聴きながら、色々話せるといいわね」


「それじゃあ、また」


 戸口から出ようとするレンジに、チドリが声をかける。


「待ってるわ。その時には、もう少し畏まらないで話をしてくれると、お姉さん嬉しいな」


 レンジは振り返って笑った。


「チドリさんの方が年下じゃないか。……また、すぐに顔を見せるよ」




 チドリが「暗い中でも目立つように」と着替えている間、レンジは“止まり木”の入り口横の壁にもたれて、三日前の夜を思い出していた。


 ベルが乾いた音を立てる。


「お待たせ」


 白いドレスに着替えたチドリが、扉を開けてやって来た。


「よく似合ってるよ」


「ありがとう。本当はエスコートしてもらいたいのだけど」


「まあ、距離を取って後ろから追いかけるから」


「頼りにしてるわね」


「『おーい、俺もモニターしてるんだが』」


 二人のつけたインカムに、メカヘッドの声が聞こえた。近くに停まったスポーツ・カーに待機しているのだった。


「メカヘッドさんも、よろしくお願いしますね」


「『はい! お任せください!』」


 チドリは「うふふ」と笑って歩き始めた。夜の町に蝶が舞うように、スカートが緩やかに翻り、闇に溶けていく。


「よし、俺も始めますか……!」


 レンジは銀色のベルトーーライトニングドライバーを腰に巻き付けた。


「“変身”!」


「『OK, let's get charging!』」


 掛け声と共にベルトのレバーを下ろすと、力強い音楽とシャウトが響いた。


「『ONE!』」


 道行く人々が驚き、振り返る。


「『変身シーンを初めて見るんだけどさ』」


 カウントと音楽を聴きながら、メカヘッドが言った。


「『TWO!』」


「何ですか?」


「『このやたらノリノリな音楽とシャウト、どうにかならんもんなの?』」


「『THREE!』」


「どうにもならないですね。気にしないでください」


 すっかり諦めたレンジがあっけらかんと言うと、インカム越しにチドリが吹き出す声が聞こえた。


「『……Maximum!』」


「俺はもう馴れました!」


「『そう……ヒーローも大変だな』」


 街灯に照され、雷電スーツが鈍く輝く。金から青にグラデーションがかかったラインが走った。


「『"STRIKER Rai-Den", charged up!』」


「よし!」


 雷電が左掌に右の拳を打ち付けると、両手の間に雷光が弾け飛ぶ。道行く人々の視線を集めながらチドリの後を追い、カガミハラの繁華街を歩き始めた。




 まだちらほらと人の姿が残る大通りを、白いドレスのチドリと雷電スーツを身につけたレンジが、距離をとって歩いていた。オートマトンだと思われる不審者が出没したのは、しばらく歩いた先にあるうら寂しい区画だ。


「『ねぇ、レンジ君』」


 個人通話回線を開いたチドリが、歩きながら話しかけてきた。


「チドリ姉さん、何かあった?」


「『いえ、大丈夫。ちょっと二人でお話ができそうだったから。……レンジ君は、どうしてナカツガワまで来たのかな、って』」


「それは……ことりが話していた“憧れの町”だったから。俺には他に居場所はない、って思ったから、かな」


「レンジ君は、ことりと一緒にここまで来たのね」


「どうかな。……チドリさんは、その……」


 レンジが言葉を濁すと、チドリは微かに笑った。


「『私がナカツガワの手前で落ち着いてることが気になるのよね』」


「タカツキを出る前に、ことりの部屋を整理したんだ。チドリさんからの手紙も、何通も出てきた。けど、カガミハラにいるってことは書かれてなかったから、ことりも、そして俺もナカツガワにいるんだと思ってたよ」


「『私もね、ミュータントだけが暮らす町に憧れていたの。でも、この町で一休みしようと思った時に、町で暮らすミュータントのことが目に留まったの。この町ではミュータントだからってひどい迫害を受けることはないわ。オーサカやナゴヤのサテライト・コロニーとは比べられないほど治安もいいし』」


「うん」


「『でもね、居場所はないのよ。仕事もないし、よるべになるコミュニティーもない。町の人から無視されているの』」


 レンジは無言で聞いていた。


「『諦めた人は細々と暮らしてる。若い人は定期便を使ってナゴヤ方面に行くわ。危険なオールド・チュウオー・ラインに分け入ってナカツガワを目指す人は殆どいないの』」


「それで、この町でミュータントのために働こう、って思ったんだね」


「『できることをしよう、と思って動き回っていたら、あっと言う間に数年が経ってしまったわ。ことりからの手紙には、ナカツガワにいるはずの私を応援するメッセージがあって……でも、私は本当のことを言えなかったの。結局夢は叶えられなかったのだから』」


 二人は歩き続ける。人通りが減り、灯りも少なくなってきた。


「チドリ姉さんは、何も後ろめたく思うことはない。ことりだってきっと、話を聞いたらあなたをもっと尊敬したと思う」


「『ありがとう。……レンジ君、私、ことりの歌を聴いたの』」


 チドリが話を続けようとした時、インカムがピロリと音を慣らして新しい通話回線が開いた。車内から通りを監視していたメカヘッドが、グループ通話を始めたのだ。


「『想定エリアよりちょっと離れてるが、ヒギシャが来た。二人とも警戒を』」


「『はい』」


「了解」


 二人が答えて数秒後、男が反対側から道沿いに歩いてきた。日中は暑いと言ってもよい陽気が続いているというのに、冬物の長いマントを着ている。軍帽を目深に被り、俯き気味で表情は窺えなかった。男は足を軽く引きずりながら歩き、チドリと10メートルほど離れた街灯の下で立ち止まった。


「『見られてる……!』」


 チドリがそう言って立ち止まると、男は小刻みに震えはじめた。


 チドリが後ずさる。一歩、二歩、三歩。男の震えが激しさを増した。


 悲鳴を上げてチドリが走り出すと、男はがくりと前傾した。と思うと喉の奥から吐き出すような悲鳴をあげ、チドリに向かって駆け出した。


「A,aaア、アッ、アッ、ち、ちちち、ちっ、ちdoりィィィっ!」


 姿勢を変えずにチドリに追いすがる。駆けながら速度を増し、手が届こうとした時、


「やらせんよ」


 駆けつけた雷電が男の顔を殴りつけた。


 チドリは道路脇に停まったスポーツ・カーに走り込む。意識の外から一撃を喰らった男は回転しながら吹っ飛び、街灯の支柱に打ち付けられて倒れた。


「『見事だ、ヒーロー』」


「いや……」


「『ああ、これからだ』」


 男が殴られた頬をさすりながら起き上がる。


「『そいつは人間か?』」


 帽子が脱げて、つるりとした頭部とカメラアイがあらわになった。マントもはだけて手足が街灯に照らされ、金属質の光沢を放っていた。


「こいつは確かに、オートマトンだが……」


 オートマトンが口元ーースピーカーの周りを拭う。


「『この人間らしすぎる動きは何だ?』」


 よろめきながら立ち上がると、オートマトンは両手で頭を抱えた。


「アア、ア……ち、ちち、ちっ、ちっchiドり……? O,ooオれはァァぁ……? あっ、アア、こここっ、こトriりりり……!」


 激しく身震いしながら、存在しない頭皮を掻きむしる。


「錯乱してる……?」


「『今だ、捕まえろ!』」


「了解」


 雷電が駆け寄ろうとすると、オートマトンは地面を蹴った。


「跳んだ!」


 オートマトンは街灯の上に跳び乗ると、雷電を睨み付けてからビルの隙間に潜り込んだ。雷電も後を追ってよじ登るが、オートマトンは既に消え去っていた。


「やられた……」


 人の姿が消え、コンクリートの建物群をオレンジ色の街灯が照らしている。


「『まずは姫様が無事だったことをよしとしよう。“止まり木”に戻るぞ』」


 インカムからメカヘッドが呼び掛けた。


「了解」


 雷電スーツを解除すると、湿気をはらんだ重い夜風がレンジの頬を撫で、通りを吹き抜けていった。




 “止まり木”に戻ると、メカヘッドのスポーツ・カーが店の前に停められていた。


「ただいま」


 レンジが店に入ると、カウンター席に腰かけていたメカヘッドが殺気がこもっているかのようにセンサーライトを光らせたが、すぐに普段の調子に戻った。


「レンジ君、お疲れ様。チドリさんも無事で、ホシのアタリもついた。今夜の捜査はひとまず成功だ、そうだろう?」


「ええ……」


 店の奥からチドリも顔を出す。


「お疲れ様、レンジ君」


「チドリ姉さんもね。随分顔色が悪いよ」


 チドリは微笑んでいたが、顔は青ざめていた。


「ありがとうレンジ君」


 そう言いながら、手早く模造コーヒーを淹れてカウンターに置いた。


「どうぞ。……もう遅いからデカフェにしたけど、よかったかしら?」


 レンジはチドリに向かいあって腰かけた。


「いただくよ」


 カップに口をつける。軽く傾けてからコースターに戻すと、チドリが口を開いた。


「あのオートマトン、私の名前を呼んだわ。それにことりの名前も」


「うん」


「あれは、ヨシオカだったんじゃないかしら」


「それは……」


「チドリさん、ヨシオカはもう死んでる」


 レンジが否定できずにいると、黙って話を聞いていたメカヘッドが口を挟んだ。


「あれはヨシオカじゃない。どうしてあなたの名前を呼んだのかはわからんけどな。……とにかく、今日は大変なことが多すぎた。早く休んで、しっかり眠ったほうがいいよ」


 レンジも頷く。


「俺が見張ってるから」


「あっ、レンジばっかりずるいぞ! 俺も寝ずの番をするから、大船に乗ったつもりでいてくれよ!」


 チドリはくすりと笑った。


「二人ともありがとう。しっかり休ませてもらうわね」


 チドリが店の奥に引っ込むと、ホールにはレンジとメカヘッドが残った。


 メカヘッドが手元のコーヒーカップを取ると、下顎に当たる部分がぱかりと開いた。カップを傾けて、中身を流し込む。


「そうやって飲むんですか……」


 顎パーツが元の位置に戻り、メカヘッドはコップを置いた。


「うん、レンジに見せたのは初めてだったか。それならもう少しインパクトがある見せ方をしたほうが……いや、そんなことはどうでもいい」


 そう言いながらメカヘッドは席を立った。何かを見るわけでもなくホール内を歩き回ってから、レンジに向き直った。


「レンジ、君はあのオートマトンをどう思った?」


「そうですね……気になることは色々ありますけど、一つ言うなら……人間らし“すぎる”」


 メカヘッドは手近な椅子に腰かけて脚を組んだ。


「そうだよな! あまりに人間臭かった。必要のない動きまで、無理やり再現させられているような……」


「あるいは、機体そのものに人間の意識がとりついて動かしているような……」


「おいおいレンジ、君までオカルトじみたことを言い出すのか?」


「説明しにくいんですけどね、チドリさんの言ったこと、わかる気がしますよ」


 メカヘッドは自分の頭をポンポンと叩いた。


「……君が殺したんだろう?」


「ええ」


 レンジは動じず、確信を持って答えた。


「死んだ奴を蘇らせるなんて、旧文明だってできなかっただろうな」


 レンジは黙りこむ。


「だが、まあ、あのオートマトンに何か仕込みがあったのは事実だろうな。今回の捜査はいいネタになった。これで上も、重い腰を上げるだろう。……今夜は我らが歌姫が、穏やかに眠れることを願うばかりさ」


「……そうですね」




 その夜は結局、何事もなかったかのように明けた。チドリがコーヒーにバタ付きパン、そして茹で卵とフライドビーンズがついたナゴヤ・トラッド・スタイルのモーニング・プレートを持ってホールにやって来ると、三人は早目の朝食をとった。


「ママ、ごちそうさま。レンジもお疲れさん。俺はあのオートマトンのことを調べてみるよ」


 食事を済ませるとメカヘッドはそう言って、朝焼けの町に出ていった。レンジも大きく伸びをする。


「レンジ君、これからナカツガワに帰るのよね。でも、ちょっと休んでいった方がいいわ」


 勧められるまま、“止まり木”の従業員控え室を借りてベッドに寝転がる。チドリが歌の練習をしている声が遠くから聴こえてきた。簡素な作りの家具が置かれた天井の低い部屋に、タカツキでことりと暮らした従業員寮の屋根裏部屋を思い出しながらレンジは目を閉じた。




 ことりに手を出さずに眠りについた明くる朝、どこか安心したような、しかし目尻を吊り上げたバーのママにこってり絞られながら代金を支払うと、レンジはまだ目覚めぬタカツキ・サテライトの路地裏をさまよい歩いていた。そこまで広い町ではなく、すぐに一回りすると再びバーの近くに出てきた。


 これからどうしようか、まずは今夜の寝床と働き口を探さなければ。


 レンジは携帯端末を取り出した。タカツキの都市内回線に接続していると、


「……放してください!」


 聞き覚えのある少女の声が耳に入った。見回すとバーから1ブロックほど離れたごみ捨て場の前で、大小二つの人影がもみ合っていた。


 昨夜同じベッドで眠った赤毛の少女ーーことりが、大柄な中年男に腕を掴まれていたのだった。男は下腹を中心に贅肉がついてだらしなく太っているが、広い肩幅や太く締まった脚や手に、かつて鍛え上げられていた頃の面影が残っていた。胸元には保安官であることを示す、花を象った金色のバッジが留められている。たるんだ肉に埋もれた目の奥に暗い炎を燃やし、ことりを睨んでいた。


「お前は酒場の娘だろう。チドリはどこへ行った!」


「言いません! ……放して! 人を呼びますよ!」


 悪徳保安官がせせら笑い、少女を掴む手に力を込めた。


「嫌!」


「誰を呼ぶってんだ、この町で! 腰抜けの副保安官が来たところで、怖くも何ともないわ!」


 デッカーが吼える。血の気が失せた顔でことりがうなだれた時、レンジは携帯端末をかざして近付いていた。数メートルの距離まで近づくと、端末に向かって叫ぶ。


「オーサカ・セントラル保安部ですか? 保安官が市民に暴力を振るってます! 場所は、タカツキ・コロニーです!」


「『はい、こちらセントラル保安部です。通報ありがとうございます。音声と映像は鮮明に届いています』」


 携帯端末のスピーカー越しに、セントラル保安部が答えた。悪徳保安官は青ざめ、ことりは一筋の希望に力を得て顔を上げた。


 デッカーのポケットから鋭い電子音が鳴り響く。保安官は少女の腕を放すと、慌てて連絡端末を取り出した。


「『ヨシオカ正保安官、応答してください。こちらオーサカ・セントラル保安部管制室です』」


 起動ボタンを押すと、大音声のスピーカー通話が始まった。ヨシオカは慌てて端末を操作するが、スピーカー通話は解除できなかった。これは命令であり、警告でもあったのだった。


「『……ヨシオカ正保安官?』」


「はい! 管制官、応答が遅れ、申し訳ないです!」


 ヨシオカが慇懃に謝る。解放されたことりは、レンジに走り寄った。


「『ヨシオカ正保安官、タカツキ・コロニーで6時32分40秒に緊急通報が入っています。管制室は貴官を、本件の重要参考人として手配しました。ついては当該通報より24時間以内に、報告書を提出しなさい。証拠として提供を受けている映像の閲覧を希望する場合は、タカツキ保安官事務所の通信端末から、資料請求書式のメールで12時間以内に申請しなさい。命令違反あるいは、報告書の内容に疑わしい点があった場合、貴官の保安官資格は剥奪されます。尚、報告書を受理した後オーサカ・セントラル保安部への出頭辞令を通告します。これは“保安官並びに巡回判事に係わるセントラル・サイト間協定”に基づいた正式な通告です。また、通話内容はオーサカ・セントラル保安部が録音し、証言として利用できるものとし

ます。何か疑問点はありますか?」


 ヨシオカの顔は通信端末からの通告を聞きながら赤くなったり、青くなったりしていたが、ついにはくすんだ紫色になり、両手を握りしめて震えだした。


「ヨシオカ正保安官?」


「はい! 委細承知致しました!」


 即座の返答を要求する管制室からの呼びかけに慌てて答えると、保安官の端末はぶつりと音をたて、通信を終えた。


 ヨシオカは携帯端末をポケットにしまい込み、録画を続けるレンジとその背中に隠れて様子を伺うことりを睨んでから足早に立ち去った。


 デッカーの姿が見えなくなると、レンジも録画をやめて大きなため息をついた。


「レンジ君!」


 背中にくっついていたことりが声を震わせて、そのまま抱きついてきた。


「ありがとう……怖かった……」


 レンジはそう言って泣くことりの頭を、優しく撫でたのだった。


 レンジはことりに連れられて、バー“宿り木”に戻った。ことりはレンジを自分の部屋に住まわせることを提案し、二度寝しかけたママとレンジを仰天させた。ママは激怒したが、ことりは引かなかった。ヨシオカとの一幕を話すと、ママも渋々折れた。


「ことりや他の子にも、ボディーガードが必要だろうね。だが、犬猫を拾ってくるんじゃないんだ。一緒の部屋なんて許可できないよ!」


 そうしてレンジは“宿り木”の屋根裏部屋に住まいを得て、ミュータント・バーの雑用兼、女給たちのボディーガードとしての仕事にありついた。


 ことりはその頃、夜の“宿泊”客を取らずに、昼の女給仕事を続けながらバーの歌姫として生計をたてることを決心していた。夜毎、女給の尻を目で追う客たちの前に立って歌った。はじめは気にも留められなかったが、ことりはめげなかった。


 数週間たち、何ヵ月も歌い続けるうちに、歌を目当てにする客たちがやって来るようになった。ことりに言い寄る不埒者はいたが、レンジが間に入って引き下がらせた。


 ことりはレンジの部屋に入り浸るようになり、とうとうママも一緒に暮らすことを認めた。


 二人で過ごした日々が、色鮮やかな走馬灯となって、現れては通りすぎていく。そして、


 満月が雲の割れ目から覗き、タカツキ・サテライトの裏路地を照らす。横たわることりは胸を撃たれ、息も絶え絶えだったが尚、白磁の人形のように美しかった。


 近くのごみ捨て場には胸と頭を撃たれて絶命したヨシオカが突っ伏している。レンジはヨシオカの銃を手にしていた。この銃から放たれた弾丸が、二人を撃ち抜いたのだった。


 焦点の定まらなくなった瞳で、ことりがレンジを見上げる。唇が震えながら動いた。




 レンジは昼前まで眠り、チドリのノックで目を覚ました。胸のポケットに手を当て、指輪の感触を確かめてから起き上がる。


 ホールに降りてまかないの昼食までいただいてから、開店前の“止まり木”を後にした。店の外に出て笑顔で手を振るママを見て、従業員たちは「あれがママの連れ合いか……」等と、ヒソヒソと話し合った。


「あなた達?」


 レンジが角を曲がり、姿が見えなくなると、チドリは笑顔のまま振り返った。


「とても元気なようだから、今日は開店前までみっちり店の大掃除をやってもらいますからね」



 黒い雲が空を覆い、風が粘り気を増す中、レンジはバイクを走らせた。


 ナカツガワ・コロニーの門をくぐる頃までは持ちこたえていた天気も、ヘルメットをトランクに入れ、バイクを押して町中を歩き始めた途端に崩れた。激しい土砂降りを背中で受けとめながら、レンジは酒場に向かった。


 バイクを軒下に停め、“白峰酒造”の扉を開ける。


「只今帰りました」


 カウンターではタチバナがグラスを磨き、ホールでは酒場で引き取られて暮らすアキとリンが模造麦茶のピッチャーを脇に置いて、大きな紙に覆い被さるようにして何かを描いていた。


「おう、おかえり」


 タチバナが入り口を見て言うと、子ども達も顔を上げた。


「レンジ兄ちゃん、おかえり!」


 犬耳のアキが返す。鱗肌のリンは「おかえり!」と言うなり立ち上がって、店の奥に顔を突っ込んだ。


「アオ姉、レンジ兄ちゃん帰ってきたよ! すっごく濡れてる!」


 店の奥から、パタパタとスリッパの走る音が響く。


「レンジさん、おかえりなさい!」


 アオは頬をうっすら染めて、手に持っていたバスタオルを差し出した。


「ずぶ濡れになっちゃいましたね! シャワー使いますか?」


「ありがとう、使わせてもらうよ」


 頭をごしごしと拭いているうちに、マダラも顔を出す。


「レンジおかえり。ひどい雨だな。サンダーイーグルは無事かい?」


「今は普通のバイクだろ」


 レンジは笑った。


「今回はそんなに無茶をしてないはずだ。軒下に停めてるよ」


「裏に回して、診せてもらっていいか?」


「助かるよ」


 マダラはすぐに動き始めていた。扉の前で振り返る。


「これもメカニックの仕事だ。レンジはシャワー浴びて、さっぱりしてきなよ」


「ありがとう。……おやっさん、マダラ、後でちょっと、見てもらいたいものがあるんだ」




 酒場の暖簾をかけると、馴染みの客たちが次々とやって来た。ホールでは注文と料理が行き交い、バックヤードでは食器が右往左往して、新しい料理が盛り付けられるや、ホールに戻っていった。レンジはホールに出ると、客たちから昨夜は何をしていたのかと尋ねられた。皆話題と娯楽に飢えているのだ。レンジは曖昧に笑って、バックヤードに食器を片付けた。


 住民たちの半数以上がやって来ては、胃袋を満たして帰っていくと、アオは店の暖簾を下ろした。




「それでレンジ、見せたい物って何なんだ?」


 壁には工具が掛けられ、そこかしこにジャンクパーツが転がるマダラの地下工房。ライトニングドライバーとタブレット端末を載せた作業机を囲み、男三人が顔をつき合わせていた。アオは先に部屋に帰っていた子ども達の様子を見に、従業員寮に戻っている。


「マダラに頼んで、雷電スーツのカメラから映像をサルベージしてもらったんです」


 レンジが映像データを立ち上げる。白いドレス姿のチドリが、こちらに走り込んでくる姿勢のまま静止画となって映された。


「誰だ、この美人」


「そこじゃないですよ。再生しますね」


 レンジが画面に触れると、チドリは瞬く間に画面の向こうに消えていった。奥からマント姿の人影が、おぞましい叫び声をあげて突っ込んでくる。画面の中に鈍い銀色の腕が伸び、走ってきたマント男を殴り飛ばすと、男は勢いよく吹っ飛んで街灯に直撃した。


「おい、これ……」


 問いただそうとするタチバナを、レンジが制した。


「説明は後でします。見せたいのは、もう少し先です」


 倒れ伏せた男は、すぐさま口元をぬぐいながら起き上がった。カメラがゆっくり近付いていく。


 帽子を失い、マントがはだけて、オートマトンの素体が街灯に照らし出される。オートマトンは立ち上がり、両手の指で頭部装甲を削るように掻いた。カメラがさらに近づこうとすると手を止めて睨みつけるようにアイカメラを向け、跳び上がって建物の陰に消え去った。


 レンジが映像を停める。


「どうです?」


 タチバナは「うーん」と声を出して唸った。


「メカヘッドとこんなことやってたんだな、お前……」


「すいません、事後報告になっちゃって」


「いや、それはいいんだ。何かワケありだとは思ってたし、あいつはふざけたやつだが、ふざけたことはしないからな」


 そう言った後、タチバナは「さて」と言ってレンジに尋ねた。


「こいつは一体、何なんだ?」




 レンジがカガミハラのミュータント襲撃事件と、その犯人だと思われるオートマトンについて説明すると、二人は更に難しい顔になった。


「こいつがオートマトン……?」


 タチバナが画面をコマ戻しにしながら言う。


「この前の撮影みたく、着ぐるみなんじゃないか?」


 マダラが画面を停止させた。


「いや、この手足や首の関節を見てくれよ。こんな細い中に、人間の体は入らない」


「だがなあ、お前さんがこしらえたみたいな、パワーアシストのついた着ぐるみに人間が入らなきゃできないだろう、この動き」


「この前の着ぐるみ、パワーアシストはついてないよ」


「はあ?」


 口をあんぐりと開けたタチバナを気にせず、マダラは話を続けた。


「メカニックから言わせてもらうと、こいつはオートマトン、あるいは全身義体化したサイバネ者だろう。そうとしか言えない」


「けど、サイバネ手術を受けた人じゃないらしい」


「メカヘッドが言ったのなら、確かだろうな。じゃあ、これはオートマトンか」


「認めたくないけど。ここまで人間らしい動きをさせるために、どれだけ複雑なプログラミングが必要になるか……俺は専門外だけど、すごく手間がかかるのはわかるよ。できなくない、と思うけど。でも、わざわざするかな、こんなこと……」


 そう言ってマダラが黙り込む。タチバナは手を叩いた。


「とにかく、こいつがあの工場から出てきたオートマトンだってことは、メカヘッドも俺たちも合意したわけだ。そこから先は、一旦現場の奴に任せよう。また何か動きがあれば、向こうから連絡を取ってくるだろうからな」


 タチバナの言葉で会議は終わった。階段を上がろうとするレンジに、マダラが声をかける。


「レンジ、アオと話をしてやってくれないか。昨日から心配してたみたいなんだ」


「わかった。ありがとう」


「まあ、男友達との仲を取り持つなんて、俺だってあまりやりたくないけどな」




 従業員寮の3階にある子ども部屋では、子ども達がようやくそれぞれのベッドに入り、すやすやと寝息をたてはじめたところだった。窓には激しい雨が打ち付けているが、遊び疲れた二人はもはや気にならないようで、安らかな表情で瞳を閉じている。


 アオは椅子に腰かけてアキとリンを見守っていた。二人が寝ついたのを確かめると立ち上がりかけたが、床に落ちていた画用紙を見つけて手に取った。


 オニクマやダガーリンクス、その他よくわからない怪物をやっつける“ストライカー雷電”が紙いっぱいに描かれている。画用紙を文机の上に置くと、アオは眠る子ども達を見て微笑んだ。




 カガミハラのメカヘッドから連絡があったのは、翌日の夜だった。タチバナはその日のうちに方々に連絡を取り、翌日の昼過ぎには自治会の寄合に出かけていった。


 残った三人が酒場の開店準備を済ませてホールに集まっていると、タチバナが帰ってきた。


「ただいま。皆、準備ありがとう」


 そう言うと軽く咳払いする。


「今週末のカガミハラ買い出しも、うちが担当する事になった。レンジとマダラ、それと俺で行くから、よろしく頼むぞ」


「この前も行ったのに、またカガミハラに行くの?」


「大人ばっかりずるいよ!」


 翌朝、カガミハラに運ぶ作物を満載したトラックとレンジのバイクが“白峰酒造”の前に停まっていた。見送る子ども達が口を尖らせる。


「どうしても、俺が顔を出さなきゃいけない要件ができてなあ。すまんな。お前達のことは、アオに頼んでるから」


 運転席のタチバナが謝ると、助手席のマダラが顔を出す。


「ごめんよ、お土産買ってくるよ」


「ごめん、行ってくる」


 レンジも謝り、トラックとバイクは正門に向かっていった。


 不満タラタラの子ども達は、アオに肩を抱かれて仕方なく二台を見送った。トラックの姿が見えなくなると、アオの大きな両手が二人を包んだ。


「わっ」


「アオ姉……?」


 アキとリンが見上げると、アオはニコニコして言った。


「私たちも、行っちゃおうか……!」


 二人の返事は決まっていた。


「うん!」




 前回は撮影機材を積んでいた“白峰酒造”のバンに、アオとアキ、リンの三人が乗り込んで走り出した。正門前に着くと、守衛のゲンが岩のような顔を出した。後部座席のアキとリンは、急いで身を隠す。


「あれ? アオちゃん、タチバナさんたちはついさっき出たけど……どうかしたの?」


「大急ぎで届けなきゃいけないものがあるんです」


 アオは昨夜から練習していた通りに言い訳した。


「そっか。気をつけてな」


 ゲンに見送られて正門を抜けると、アオは大きなため息をついた。子ども達が顔を出す。


「アオ姉、大丈夫?」


「ありがとうリン。大丈夫、慣れないことをして緊張しただけだから」


 アキは首を伸ばしてあちこちを見回し、初めての冒険に目を輝かせている。


「ナカツガワを出ちゃったあ……!」


 アオは背筋を伸ばし、しっかりとハンドルを握り直した。


「さあ、カガミハラに行くよ! 私、一人で運転するのは初めてだけど、頑張るから!」


 アオは幸い、カガミハラへの道をよく覚えていた。しかし藪の中に隠れた轍をたどり、わずかな目印を頼りに荒野を行き、断崖の道や遺跡の橋を渡るのは、子ども達にとってはそれだけでスリルに満ちた大冒険だった。


 獣道から飛び出して瓦礫のオールド・チュウオー・ラインに乗り上げる。車が目指す先に、木々の間から灰色のカガミハラ城塞が見えてきた。疲れの色が見えてきた子ども達が、顔を真っ赤にして歓声をあげる。


「よかった、何とかついた……」


 城門に向けて車を走らせながら、アオは小さい声で独りごちた。


 “白峰酒造”の社員IDを見せると、あっさり入城許可が下りた。車を駐車場に停め、三人は“会津商店”の前に張り込んだ。店の前には、ナカツガワ・コロニーのトラックが停まっている。黒服達が店からぞろぞろと出てきて、トラックの積み荷を運びはじめた。


「そろそろ出て来るはず……」


「来たっ!」


 黒服の列にまぎれるようにして、店からレンジが出てくる。


「後を追うよ……!」


 アオが声を忍ばせ、身を屈めて尾行を始めた。


「おっちゃんとマダラはいいの?」


「いいの!」


「待ってよ、アオ姉!」


 アキとリンも、慌ててアオを追う。


「絶対、何をしてるのか突き止めるんだから……!」


 レンジは人のまばらな大通りを歩いて先週と同じ店を見て回り、ナカツガワに持ち帰る物を買い集めていた。少し離れた物陰にアオが潜み、更に後ろに子ども達が、買い与えられた棒つきキャンディを咥えながらくっついていた。


「ここまでは、いつも通り……」


「普通に『来ちゃった!』って言ってさ、一緒に買い物したらいいじゃん」


 隠れるのに疲れたアキが言う。


「まだだめ。きっと何かあるから……!」


 アオは確信を持って返した。


「あっ!」


 リンが小さな声で叫ぶ。


「誰か来た!」


 指をさした先には、黒いドレスの女性がレンジに手を振っていた。レンジも手を上げて返す。


「きれいな人……」


 リンはうっとりして言った。両手首から翼が生えたミュータントの美女はレンジに歩き寄る。短く言葉を交わすと、レンジは女性が持っていた買い物袋を受け取った。二人は並んで大通りを歩いていく。


「レンジ兄ちゃんの彼女かな?」


 少し興味が出てきたアキが言うと、アオを気にするリンがたしなめた。


「アキちゃん!」


「うふ、ふふふふ……」


 アオが笑いはじめる。


「アオ姉?」


 満面の笑みを浮かべながら、アキとリンを左右の手でつまみ上げた。


「わっ!」


「後をつけるよ……逃がさない……!」


「ひええ……」


 長い髪を逆立てんばかりの気迫に、子ども達は震えながら運ばれていった。




 くたびれたライダースーツ姿の男と艶やかなドレス姿の女は親しげに語り合いながら、徐々にうらぶれた通りに入っていった。


 アオはアキとリンを抱えたまま二人を追う。相変わらず人通りは少なく、長身の女性ミュータントの奇行が注目を集めることはなかった。


 やがて男女は、飴色のレンガで飾られた店の前に入っていった。扉が閉まるのを確めてから、アオは店の前に立つ。


 リンがもぞもぞ動いて顔を上げた。


「アオ姉、ここなんの店?」


 ミュータント・バーだと気づいてアオは固まった。


「アオ姉……?」


「こっ、こんな店に昼間から? ででで、でも昼間からそんなことはないだろうし……いや、同伴ってことは、やっぱりそんな……だめ、こんなところに二人を連れていくわけには……でも……」


 アオがブツブツ言いながら顔を真っ赤にして悶えていると、すっかり落ち着いたアキがするすると地上に降りた。


「中にレンジ兄ちゃんがいるんだろ、とっとと入っちゃおうよ」


 そう言って勢いよく扉を開ける。


「こんにちはー!」


「あっ、ちょっと、アキ!」


 元気な声であいさつするや飛び込んでいくアキを追いかけて、アオもリンを抱えたまま、ミュータント・バー“止まり木”の中に入っていった。




 アキが店の中に入ると、女給と話し込んでいた機械頭の男が振り返った。


「ん?」


「わっ」


 頭についたセンサーライトの光が、アキの顔を捉える。


「ママかパパはどうした? 子どもが一人で入る店じゃないぞ」


「えっ、えっと……」


 アキがまごついていると、アオが追いついてきた。さっとアキが後ろに隠れる。


「ごめんなさい、何かやっちゃいましたか、この子?」


 メカヘッドは自分の頭をポンポンと叩いた。


「ああいや、子どもが来るなんて珍しいな、と思いましてね」


「あら、うちはちっちゃい子も歓迎よ」


「メカヘッド、設営終わったぞ」


 店の奥からチドリが出てきた。後ろからタチバナも続く。


「ママ!」


「マスター!」


 タチバナが驚いて固まると、その後ろを歩いてきたマダラとレンジが背中にぶつかった。


「ぐえっ」


 タチバナとレンジの間に挟まれて、マダラが声をあげる。


「アオ、お前さんなんで来た?」


「ごめんなさい、私……」


 店に入るまでの勢いを失っていたアオがタチバナに謝ると、後ろに隠れていたアキが顔を出した。


「おっちゃん達ばっかりずるいぞ! いつも僕たちを置いていってさ!」


 リンもアオの腕からするすると降りる。


「アオ姉は、私たちを連れてきてくれたんだから!」


 アオも顔を上げた。


「私に何も知らさないで、何か大事なことを勝手に進めているのが嫌なの!」


「お前達……」


 タチバナが答えに困っていると、チドリがぽん、と手を叩いた。


「まずはお昼にしましょう! これからの事は、ご飯を食べながらゆっくり話をすればいいわ」


 気が立っていた子ども達も、初めて見る「お子さまランチ」を前にすると目を輝かせた。アオも皆と一緒にカレーライスを食べると、随分落ち着いたようだった。


 食事を済ませるとアオを含めたナカツガワの面々とメカヘッド、チドリは店に残り、アキとリンは女給達に連れられてカガミハラ観光に出ることになった。


子ども達は「また大人達だけで話をする!」と不満気だったが、メカヘッドが「関わったらお前達が危険に曝されるだけじゃない。もしお前達が人質に取られたり、悪い奴等に教われたら、アオさんや雷電はお前達を守ろうとして、もっと危険な目に遭うかもしれん。それでいいのか?」と尋ねると、二人は黙って考えてから、女給たちと一緒に出かけることにした。


「メカヘッドさん、ありがとうございます」


 メカヘッドは「まあまあ」と言ってアオに頭を上げさせた。


「危ないことをしようとする子どもをとめるのも、おまわりさんの仕事ですからね。……それじゃ、あの子達が帰ってくる前に話を終わらせましょう」


「はい、では皆さんをVIPルームにご案内しますね」


 そう言ってチドリが店の奥に入っていく。レンジ達も続いた。


 一団は店の奥の、廊下の先にある大きな部屋に通された。


「普段はあまり使っていないから、埃っぽかったらごめんなさいね」


 チドリが部屋の照明スイッチを入れると、渋みのある年代物の木材でしつらえた内装が、艶やかな光沢を放った。ところどころに蔦草や花の浮き彫りが施され、シャンデリアに照らされている。


 テーブルや椅子、棚にライトスタンドといった家具類も調度が統一され、上品にまとめ上げられていた。部屋の中央に置かれた大きなテーブルにはノート型、タブレット型を取り混ぜて、数台の端末機が並べられていた。


「ここが、今回の操作本部だ」


 メカヘッドが皆に向けて言った。


「それぞれのメンバーでは、把握している情報が違っているだろう。新しく分かった情報もある。事のあらましから、順を追って話そう」


 メカヘッドは資料のファイルを片手に話し始めた。




 約一週間前、ナカツガワ・コロニーからやってきた撮影グループが、カガミハラ市街の第6地区で動画撮影をおこなった。この撮影が同地区内に潜伏していた闇取引シンジケートのアジトを刺激した。10名からなる構成員が撮影班を襲撃するも、返り討ちに遭うという事件が起きた。襲撃犯は全員逮捕され、装備品とアジト内の資材や薬物はカガミハラ署の倉庫に収容された。


 しかし収容物の一つ、大型コンテナには特殊なセキュリティがかけられていた。アジト内の電気機器回線から発生する信号を受信し“続けなければ”、ロックが解除される、というものだ。果たしてコンテナのロックは外れ、中に入っていたオートマトンの素体が起動し、マントと帽子を盗んで脱走した。ここまでが最初の事件が起きた日の夜に起こった出来事だ。


 翌日、二日目の深夜に次の事件が起きた。第6地区と第7地区の境界に当たる区画で、夜遊び帰りの若いミュータント女性がオートマトンに襲われた。被害者は腕を掴まれ、もがいて軽い怪我を負った。ミュータントは抵抗されると女性を解放し、「違う」と言い残して道沿いの建物をよじ登って脱走した。


 三日目には午後11時頃、このミュータント・バー、“止まり木”で働く女性が第6地区で襲われた。オートマトンは被害者を押し倒して怪我を追わせるも、すぐさま逃走。この時に不明瞭なうめき声をあげていたという詳言がある。


 四日目の夜、おとり捜査をしていたチドリがオートマトンに襲われる。オートマトンは錯乱した様子でチドリの名前を叫びながら迫るが、雷電に殴り飛ばされると逃げ去った。これが午後10時頃のことだ。


「少しずつ、事件が起こる時間が早まってきている?」


 レンジが言うと、メカヘッドは頷いた。


「一昨日にはオートマトンは現れなかった。大きく変化したのは昨日……最初の事件から六日目の夜だ。午後8時30分頃、第5地区の大通りにオートマトンが現れた。マントも帽子も身に付けず、素体をむき出しにしていた。オートマトンはぎこちない動きで、通りすがった二十代の非ミュータント女性を追い回した。数人の男性が制止しようとしたが振りほどき、両手も使って四つん這いの姿勢で追いすがった。通報を受けて軍警察が駆けつけるとオートマトンは逃げ出して下水道に身を隠した。女性は無事だが、数人の男性が骨折などの大きな怪我を負っている」


 タチバナが人さし指を立てると、メカヘッドは手でさして発言を促した。


「昨日襲われたのは真人間の女性と言ったか? ターゲットに変化があるな」


「先輩が言う通り、確かにミュータントではなかったんですけどね。……オートマトンはやっぱり『チドリ』と口走っていたそうです。相変わらず錯乱しているような素振りもあったそうなので、ターゲット自体は変わってないんでしょう」


「狙いのブレがひどくなってるだけかぁ」


 メカヘッドの話に、マダラが返した。


「そういうことになるね。ところが人通りの多い中、非ミュータントに襲いかかったということで大変な話題になった。町を見たらわかるだろうが、住人たちの多くはすっかり怯えて家にこもっている」


「アキとリンは、大丈夫なんですか?」


「出没時間が早まってきているとはいえ、オートマトンは日が沈んでからにしか現れなかった。だから、多分大丈夫だ、としか言いようがない」


 アオの問いに、メカヘッドは断言を避けた。


「そうですか……」


「店の女給さんたちには気を付けるように頼んでいるし、非常通報装置も持たせている。何かあったら、すぐ駆けつけることができるようにしているよ」


 メカヘッドが慰めるように答えると、アオは「わかりました」と返した。


「大変な状況になっていることはわかったが、なぜお前は軍警察を指揮しないで、こんなところにいるんだ?」


 タチバナが尋ねると、我が意を得たとばかりに「そこですよ!」とメカヘッドが言った。


「チドリさんが襲われかけてから色々調べたんですけど、実は今回の事件、なかなかの厄ネタが絡んでましてね」


 メカヘッドは思わせ振りに言葉を切った。


「……旧文明の技術でもできなかったことって、わかりますか?」


 タチバナを除く一同はあっけにとられていたが、付き合いの長いナカツガワ・コロニーの保安官は、後輩の悪癖にため息をつく。


「お前、悪い癖も変わらんな……だが、そうだなあ、不老長寿とか、か?」


「お付き合いくださり、ありがとうございます先輩。ですがそれは遺伝子治療とサイバネティクス手術で、ある程度達成されていたと言えましょう」


 アオが手を上げる。


「ミュータントをふつうの人間にする、とか?」


「それは確かに達成できませんでしたね! ですが例えば、通常の生活を送るのが困難なほどの変異を旧文明の遺伝子治療や外科手術で緩和させるということが行われてきましたし、ミュータント同士、あるいはミュータントと非ミュータントの間に子どもを作ることが難しい場合には、旧文明の技術で否妊治療を成功させる例もあります。これらも、広い意味では当てはまるでしょうね」


「えーっ? ……でも、そうかあ」


 アオが半ば丸め込まれるようにして納得させられると、「よーし!」と言ってマダラが手を上げた。


「完全自律思考が可能なAI、これはどうだ?」


「なるほど、さすがに技術者は違いますね。確かに旧文明ではデータ蓄積型の第一世代AIが主流で、自律思考を目指した第二世代AIは、結局うまくいきませんでした。……ですが、今回はハズレです」


「ええー?」


 マダラはテーブルに突っ伏した。


「レンジ、君はどう思う?」


 メカヘッドに尋ねられて、レンジは頭を掻いた。


「永久機関……?」


 メカヘッドは“お手上げ”と言わんばかりに両手を上げる。


「それは反則だろう!」


 レンジは肩をすくめ、他の回答者達は不満そうにメカヘッドを見た。チドリは皆のやり取りを見守りながら微笑んでいる。メカヘッドは「さて!」と仕切り直して、トークショーを再開した。


「今回の事件に関わる、旧文明の見果てぬ夢、それは……死者の再生です」


「止まった心臓を動かすならAEDとか、人工呼吸バッグとかあるし、身体のパーツが欠けても遺伝子治療やサイバネ手術で何とかなるんじゃない?」


 マダラが反論すると、メカヘッドは芝居っ気たっぷりに人さし指を左右に振った。


「死にそうな人の一命をとりとめ、死にかけている人を蘇生させることはできるだろうね。人体を作ったり、直すこともできる。だが……脳は、意識はどうだい?」


 それまで黙って話を聞いていたチドリが口を開いた。


「死んだ人を蘇らせることはできない、と言ったのは貴方よね。この話で言えば、機能がとまった脳は再生できない、ということかしら?」


 メカヘッドは軽く拍手する。


「チドリさんの言う通りだ。血流が止まり、死滅した脳細胞を再活性させて意識を取り戻すことは、旧文明の技術でもできなかった。幹細胞クローンの臓器移植やサイバネティクスも、肉体を生き長らえさせるだけだ。不老長寿でもいつか死ぬ。脳が持たないからね。ところがかつて、別のアプローチからこの難題に取り組もうという研究があった。それが“ペルソナダビング”だ」


「ペルソナダビング?」


 レンジとマダラは聞き返し、他の者達は黙って聞いている。タチバナは顔をしかめ、アオは困惑して。チドリの表情には、あまり変化はみられなかった。メカヘッドは話を続ける。


「仕組みはそんなに難しくない。被験者の脳にマイクロチップを埋め込んでおき、発せられる電気信号を全て記憶させる。これを元にその者の人格や記憶を完全にコピーしたデータを作るんだ。それを別の被験者の脳にインストールすることで、意識を“書き換える”」


「そんな、それじゃあインストールされた側の人は……?」


 アオが表情を曇らせた。


「論理上は上書きされて“消える”。だから、過去の臨床実験では死刑囚を使っていたらしいね」


 アオは静かに手で顔を覆う。


「だが、それは人格と記憶のコピーとはいえ、本人じゃないだろう」


 レンジの言葉に、メカヘッドは頷いた。


「そうだな。でもコピー元になった人間と全く同じ人格と記憶、そして同一の自己だという意識を持てば、それは実質的に本人だと言えるのではないか、と旧文明の研究者たちは考えたわけだ」


「趣味の悪さは別にしても、すごい技術だよなあ」


 マダラが感心して言った。


「だが、この研究には欠陥があった。完全なコピーと上書きなんてできなかったんだ。貼り付けられた記憶には不自然な断絶が生じ、元の人格や記憶の断片が姿を現す。二つの人格は脳の中でせめぎあい、やがてどちらも破綻をきたす。研究報告を調べたが、何度研究を重ねても亡骸同然の廃人か、人格を失った猛獣が生まれ、結局この研究は中止された」


「それで?」


 険しい顔でタチバナが尋ねる。


「この胸くそ悪い話と、今回の事件にはどんな関係がある?」


「今回のオートマトン、あまりに人間的な動きとリアクションをしてみせました。そして時間が経つにつれて錯乱しているような素振りが増え、見境なく暴れるようになってきている……」


「オートマトンにペルソナダビングで人格が書き込まれてる、ってこと?」


 マダラが口を挟んだ。


「だがなあ、それは人間の脳の話だろう?」


「いえ先輩、脳波操縦機能を使えばオートマトンを動かせるんですよ」


「そうなのか?」


 メカヘッドの話を聞いたタチバナは、そのままマダラに尋ねた。


「なるほど、ダビングしたデータは脳波の精密コピーだから……」


 メカヘッドがマダラを指さす。


「そう! そのままデータを入力すれば動かせるわけだ。脳波操縦システムは、機材を準備するのが大変だ。脳波計測装置だけじゃなく、リアルタイムでオートマトンの周りをモニターする必要がある。そんな道具だては無理だろう、と初めは脳波操縦を考えもしなかったが、このやり方なら全て説明がつく。実は、ここまで調べて報告書を叩きつけてやったら、上は否定しなかったけど動かなくってね。俺が勝手にやってるのも黙認してるから、このまま雷電と一緒に解決してしまおう、というわけだ。工場跡に隠れていた武装集団といい、どうも軍警察の上の方に内通……」


「わかった。ありがとう」


 「もう十分だ」と言わんばかりにタチバナが両手を上げた。


「それじゃあ、あのオートマトンはやっぱり……」


 チドリが微かに声を震わせた。


「うん、そうなんだろうな」


 レンジが返して、二人とも黙りこんだ。


「……はい!」


 2人に引きずられて場に漂う沈黙を破り、アオが手を上げた。


「そのオートマトンは、レンジさんとチドリさんにどんな関係があるんですか? 何でミュータントの女の人を襲うんです?」


「それは……」


 レンジはチドリを見た。


「私は、大丈夫」


「……うん。俺もだ」


「それなら、私も最期まで話を聞かせてほしいわ」


「もちろん」


 二人がそう言いながら、どこか淋しそうに微笑みあう。アオはそわそわしながら二人の顔を交互に見ていた。


「あの……」


「あら、ごめんなさいね」


 チドリはアオに謝ると、立ち上がって皆を見た。


「オートマトンを動かしている人格の元になった男と、私たちの因縁の話をしましょう。直接関わっているのはレンジ君の方なのだけど、順番があるから……まずは、私の話からね」




 タカツキ・コロニーの路地裏にあるミュータント・バー、“宿り木”。この夜は入り口に“貸し切り”と札が提げられていた。


 ホールには従業員たちが集まり、歌い終えたばかりのことりに拍手を送っていた。


「ありがとうございました!」


 ことりは皆の顔を見回すと、目を潤ませながら頭を下げた。


「ことりちゃん、おめでとう」


 ママが言うと、他の従業員たちも口々に「おめでとう」「すごい!」などと声をかける。


「本当に、ありがとう。ママや、みんなのお陰です……」


「ことりちゃん、メジャーデビューするのは貴女の頑張りと歌が認められたからよ。ミュータントの歌手がセントラルの公共回線で歌うなんて、初めてのことじゃないかしら。……私は貴女の歌を傍で聴いて応援することができて、とても誇らしく思っている。きっと、この店で働いている子はみんな同じ気持ちよ」


 再び従業員たちからことりに拍手が贈られた。


「これからも、応援してるよ」


「いつでも戻ってきていいのよ」


「いや! 戻ってこないで、頑張って!」


「でもまた、この店で歌ってほしいな……」


 皆が口々に言うと、ことりは楽しそうに笑った。ママがニヤリと笑う。


「でも、一番応援してきた人からの言葉をまだ聞けてないんだけど?」


 観客席の最前列に座って歌を聴いていたレンジとことりの目が合い、二人は真っ赤になった。


「ママには負けますよ」


 レンジが照れ隠しに笑う。


「あらことりちゃん、あんなこと言ってるけど?」


 ママが水を向けると、ことりは左手を見せて微笑んだ。すっかり薬指に馴染んだ安物のシルバーリングが、鈍い光を放っている。


「2年前、タカツキのコロニー自治祭でステージに立ち、皆の前で歌いました。このお店の外で歌うのは初めてだったけど、常連さん達も応援してくれて、無事に歌いきることができました。この指輪はその夜、レンジ君にもらったものです。レンジ君はその夜……」


「わかった、わかった、降参だ!」


 マイクを使ってのろけはじめたことりを、レンジが慌ててとめた。客席から、「えー!」とか「聞かせてー!」といった冷やかしの声が投げられる。


「……ことりのことを、ずっと応援してるよ。もっと、もっと沢山の人の心を動かす歌手になるって信じてるし、これからも一緒にいて、応援していきたいって思ってる」


 レンジの言葉に、再びことりが真っ赤になる。同僚たちの冷やかしの声が、ますます大きくなった。


「はいはい。それじゃ、ことりちゃんの活躍を祈って乾杯しましょ。……羨ましいって思った子は、頑張って彼氏をゲットしなさいね」




 宴が終わりかけた頃、「私、飲みたいお酒があるんだけど」と、ことりが言い出した。


「ことりが酒を飲みたがるなんて、珍しいな。どんな奴?」


「うーんとね、ここにはないみたい。ちょっと買いに行ってくるね!」


 そう言うなり、ことりはレンジがとめる間もなく店の外へとびだしていった。


「あっ、おい!」


 テーブルの近くに、小さなポーチが落ちていた。レンジが手にとって見ると、ことりのものだった。財布やハンカチが入っている。


「ことりが財布を忘れて出ていったんで、届けてきますね」


 レンジはママにそう言い残して扉を開けた。


 店の前の通りには人影はなかった。雨上がりの夜風が叫びながら駆け抜けていく。


「ことり?」


 店の裏側の区画から、乾いた破裂音が響いた。


 音を手がかりにうらぶれた通りを歩く。角を曲がると、5年前にことりが不良保安官に絡まれていたゴミ捨て場の前だった。


「ことり!」


 赤毛の娘が倒れている。レンジはポケットに手を突っ込み、通信端末に触れながら駆け寄った。


「とまれ!」


 ことりを見下ろしていた男が叫ぶ。この町の不良保安官、ヨシオカだった。


「手を上げろ、助けを呼ぼうとするんじゃないぞ」


 ヨシオカは銃口をことりに向けて、ひきつったように笑う。


「この場で娘を死なせたくなければな……!」


 レンジはポケットから手を抜き取り、頭の上に挙げた。


「撃ったのか、ことりを」


 ヨシオカは暗く落ち窪んだ目を、爛々と輝かせてレンジを見た。


「すぐには死なんさ。大人しくしてるなら、少しは長生きできるだろうよ」


 レンジが奥歯を噛みしめて睨み付けると、ヨシオカはニヤニヤと笑った。


「それとも、目の前でてめえを撃ったほうが愉しいかもしれんなあ……!」


 口の端からよだれを垂らしながら、レンジに銃口を突きつける。


「……やめて、お願い」


 弱々しい声でことりが懇願した。


「そうか、そうか! 心臓がいいか? それとも脳天? お揃いでゆっくり死ぬのもいいな!」


 ヨシオカは弾けたような笑い声をあげた。


「……ことり、お前が俺のものになるってんなら、お前だけ助けてやってもいいんだぞ!」


 ヨシオカは高らかな声で言うが、ことりは息も絶え絶えになりながらも笑い飛ばした。


「お断りよ」


「てめえ……!」


 激昂したヨシオカが、再びことりに銃を向ける。


「つけ上がりやがって!」


「脅されたって、私の心は変わらない」


 ことりは不思議と落ち着いていた。凪いだ湖が周囲の木々を映し出すような声が、一層ヨシオカを苛立たせた。


「この、バイタ風情がァ……ッ!」


 ヨシオカが吼える。引き金を引こうとした瞬間、レンジが突っ込んだ。肩からの体当たりを受けて、ヨシオカが倒れる。手から落ちた拳銃がアスファルトに転がった。


 レンジはすかさず、拳銃を拾い上げた。


「ひっ!」


 慌てたヨシオカはレンジから背を向け、立ち上がりながら逃げ出しかける。レンジはためらわずに引き金を引いた。


 乾いた銃声が響き、ヨシオカの頭蓋を弾丸が貫いた。撃たれた男は「あ」と一声、間抜けな断末魔をあげて倒れ伏した。


「ことり!」


 レンジは拳銃を放り捨てると、ポケットの通信端末で救急通報をしながら、ことりに駆け寄った。


 皮肉にも悪徳保安官の腕がよかったためか、ことりは胸を撃たれて虫の息だったが、まだ生きていた。


 雲が割れて満月が覗き、青ざめた顔を照らした。ことりが目を開ける。


「レンジ、君」


「ことり、もうじき救急車が来るから……!」


 ことりは弱々しく微笑んだ。


「ごめんね、私」


「いいんだ、謝らなくても……!」


「……ポケットに入ってる、白い箱を、出して」


 レンジは膨らんでいる右側のポケットに手を入れ、白い小箱を取り出した。


「これか?」


 ことりは頷いた。


「あなたに、お返し」


 震える手で箱を開けると、収められていたシルバーリングが、月光に白く輝いた。


「愛してる。ずっと」


 レンジは左手の薬指に指輪をはめて見せた。僅かに頬を染めたことりが笑みを浮かべる。


「俺も、愛してる」


 ことりは目を閉じた。安らかな赤子の寝顔のようだった。


「うん……知ってる」


 レンジは力の抜けた小さな手を握りしめた。


「ずっと、ずっと一緒だ」


「うん、ずっと……レンジ君」


 か細くなっていく声で、ことりはレンジを呼んだ。


「ことり?」


「ごめんね、先に私……」


「ことり……!」


 遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきた。




 山際から、空がオレンジ色に染まる。人通りの消えたカガミハラ・フォート・サイトの大通りに独り、白いドレスとつばの広い帽子を身にまとった女性の姿があった。両手首からは振り袖のように翼が生え、首から胸元にかけて艶やかな飾り羽根が覆っている。


ミュータントの美女は高いヒールを履き、背筋を伸ばして、カガミハラを動脈のように貫く大通りをひたすら歩いていった。


 くすんだネオンサインが光を灯しはじめた歓楽街の第4地区、取り壊された建物や廃工場が目につく、再開発中の第6地区、第5地区の旧市街地と新興住宅地……


 陽が落ちきって空が夜闇に染まりはじめた頃、第2地区のショッピングセンターに行き着いた。普段は買い物客で賑わう町も今は静まり返り、店々の灯りが寒々しく浮かび上がっている。


 ドレスの女は裾をなびかせながら、ショーウィンドーの前を歩いていく。水槽を泳ぐ熱帯魚のようにガラス張りの道を抜ける。街区の中央にある小さな公園に入り、とまっている噴水の前で立ち止まった。


 その場から動かずに向きを替える。噴水を背に、ビルの向こうに顔を出した月を正面に。淑女は膝を曲げたまま右足を上げると、そのまま足元を踏み抜いた。


 コンクリート製のタイルにヒビが入り、ピンヒールが深く突き刺さる。彼女の周囲の空気が、ノイズを帯びて震えた。


 深く息を吐き、吸い込むと再び吐き出した。呼吸を整えてから、ひとつ、ふたつ、みっつ……


 街灯と店の灯りに照らされながら、黒光りする人の姿をした機影が大通りを走り込んできた。カメラアイのセンサーライトを赤く輝かせて。四肢を出鱈目に振り回し、スピーカーから割れんばかりの雄叫びをがなり散らしながら、全速力で公園に迫ってくる。


 周囲には数機のドローンが距離を保ちながら追尾していた。オートマトンの挙動はドローンの目によって捉えられ、指令室で解析されて女のインカムに届けられる。彼女は指示を聞いて頷き、両足を開いて腰を落とした。


「ち、ちちっ、ちっ、ちっ、ちドリィィィイイイイ!」


 スピーカーから発せられる叫び声を明瞭に聞き取ることができるようになってくると、女は両手をゆっくりと顔の前に伸ばした。


 オートマトンもドレスの女を捕らえようと、両腕を前に突き出した。装甲に覆われた指先が女の両手をすり抜けて首に届こうとした時、


「がッ!」


 オートマトンが前のめりの姿勢のまま立ち止まった。向かい合う女性が開いた両手から、十数センチ離れた中空に、金属製の頭蓋が固まっている。ドローンの一機が、ぶつかるようにして貼り付いた。赤いセンサーライトが激しく点滅する。


「あアaア、a、アアaaah……!」


 頭が固定されたまま、オートマトンは両腕を振り回したが機体は動かず、手は宙を掴んだ。


 ピンヒールの女は重心を落とし、両足を踏ん張った。踵が更に床にめり込むと、オートマトンの両足が地面から離れた。四肢をばたつかせるが、機体はゆっくり持ち上げられていった。手を伸ばしている女の周囲に、再び砂嵐のようなノイズが飛ぶ。


 オートマトンが完全に浮き上がると、女は両腕を後ろに振り抜いた。帽子が飛び、ノイズがヒビのように空中に広がる。持ち上げられていた機体はボールのように飛んでいき、しぶきを上げて噴水のプールに突き刺さった。


 すぐさま噴水の中からオートマトンが跳び出す。


「チドリィィィイイ!」


 しかし有翼の美女は、ヒビの入った景色ごと粉々に砕け散った。


「ギ、ギギギ……?」


 水からあがったオートマトンが困惑した声をあげる。消え去った立体映像の向こうには、青い肌に白いドレスを纏い、大きな両手に重厚なグローブをつけた長身の少女ーーアオが仁王立ちになっていた。


 アオは地面にめり込んだヒールを脱いで走り出す。


「グ、ガギギ、ギッ、アアアaaah……!」


 追いかけようとしたオートマトンとアオの間に、黒い大型バイクが割って入った。


「ア、ギギ、ギ……!」


 スピーカーから異音を吐き出しながら、オートマトンが立ち止まる。一瞬ためらった後、再びアオを追おうとしたオートマトンを、バイクの男が呼び止めた。


「ヨシオカ」


 初めて呼ばれた名前に驚くように、ヨシオカが振り返った。レンジがヘルメットを脱ぐ。


「俺を忘れたかよ」


 レンジの顔を見たオートマトンは、甲高い音を発して頭を抱えた。


「き、きキキィイイイiiiiiッ! K、Koここコ、小僧ッ!」


 レンジはヘルメットを被りなおした。


「そうだ、俺が、お前を殺した……」


「こロした……? オれは、しんデ……エエ?」


 ヨシオカの意識が宿るオートマトンは、混乱して頭を抱える。


 レンジは“ライトニングドライバー”を丹田に当てる。鈍い銀色のベルトが腰に巻き付いた。


「そして、お前の怨念も打ち砕く……!」


「……オォ! おおOoオオオooh……ガアアァァァaah!」


 ヨシオカは天に向かって吼え、跳びかかってきた。迎え撃つレンジは拳を叩きつけるようにして、ベルトのレバーを下ろす。


「“変身”!」


 ガチャリと音をたててレバーがベルトの下部に収まると、雷光のようなギターの旋律と、雷鳴のように轟くベースのリズムがほとばしる。ベルトから発せられる音声が力強く叫んだ。


「『OK, Let's get charging!』」


 アクセルをしぼると、バイオマス式と水動式のツインエンジンが激しいドラムロールを奏でた。


「『ONE!』」


 カウントが始まると共に、オートマトンが地を蹴った。


「『TWO!』」


 レンジがバイクの前輪を跳ね上げ、高く持ち上げる。


「『THREE!』」


 掴みかかろうとしたオートマトンがカウルに乗り上げると、引っかけたまま走り出した。


「『……Maximum!』」


 オートマトンを持ち上げてウィリー走行をしながら、バイクが鈍い銀色の鎧を纏う。レンジの体も、同色のスーツに覆われた。稲妻を思わせるラインが、装甲の各部に走る。


「『“STRIKER Rai-Den”, charged up!』」


 カウントを終えてベルトが叫ぶ。装甲バイク“サンダーイーグル”は更に速度を増し、街灯に照らされながら大通りを駆け抜けた。




 アオは公園のそばに停まっていた赤いスポーツ・カーに駆け込んでいた。ドアが閉まり、車が走り出す。


「お疲れ様です。お見事でした」


 運転席のメカヘッドが言った。アオは装甲板を仕込んでいたグローブを脱ぎ、用意されていたサンダルを履きながら息を整える。


「うまくいってよかったです……」


「チドリさんの代わりにおとりになると言った時には心配でしたが、いやいやどうして、素晴らしいお手前でした」


 アオは恥ずかしそうに微笑んだ。


「バーの指令室から指示を出してもらわなかったらできませんでしたし、うまくいったのは兄が持たせてくれた立体映像プロジェクターのお陰です」


「ハハハ、ご謙遜を。しかし、ナカツガワのみなさんを迂闊に敵に回せませんな!」


 メカヘッドの言葉を気にもかけず、アオは明るく笑う。


「みんな揃って、“ストライカー雷電”の制作チームですから」


「これは参った!」


 メカヘッドは、金属製の額をぴしゃりと叩いた。


「……レンジ君、いや雷電は大丈夫ですかね?」


 アオは、両手をきゅっと組んでうつむいた。


「できることはやりきったし、大丈夫です。きっと……」


 両手でハンドルを握り、メカヘッドは進行方向を見た。


「そうですね。ひとまず“止まり木”に戻りましょう。……おっと?」


 対向車線を走ってきたバンが、軽くクラクションを鳴らした。交差する形で二台が停まる。


バンの窓が開いて、「よう!」と言いながらタチバナが顔を出した。


「マスター!」


「先輩、どうしたんですか、こんなところで?」


「まあ、家族サービス、ってやつかな」


 後部座席の窓が開いて、アキとリンの顔が飛び出した。


「わぁ、アオ姉えっちだ!……いてて」


 騒ぐアキの口を、リンがひねった。アオは真っ赤になって、大きく開いたワンピースの胸元を両手で隠す。


「アオ姉、ごめんね! ……私はとっても素敵だと思うわ。レンジ兄ちゃんもイチコロだと思う!」


「もう、リンまで……そんなことより、3人ともどうしたの?」


 子どもたちは歯を見せて、にいっと笑った。


「おっちゃんに、雷電が闘ってるところまで連れてってもらうのさ!」


「大人たちばっかりズルい! 私たちだって雷電を応援してるんだから!」


「ええ?」


 アオとメカヘッドがタチバナを見る。運転席のマスターも楽しそうに笑っていた。


「いいんですか先輩、雷電のバックアップは?」


「指令室はマダラに任せてきた。準備は万端だから、後は一人で何とかするだろう」


「えええ……?」


 困惑するメカヘッドを見て、タチバナはニヤリと笑った。


「カガミハラのニュースチャンネルを開けてみな」


「カッコいいんだから!」


 子どもたちは胸を張っている。メカヘッドは慌てて車載端末を起動した。


 都市内回線に接続し、カガミハラ・ニュース・チャンネル、通称KNCのアプリを立ち上げると、オートマトンを捕らえたまま“サンダーイーグル”で通りを疾走する雷電の姿が映し出された。今回の作戦のために用意したドローンが撮っているものだった。


「何だこれは!」


「『これは市民からの投稿映像です。たった今、市内に出没する暴走オートマトンが捕まりました! バイクを運転するのは、ナカツガワ・コロニーで活躍中の……ヒーロー? ……失礼しました! ナカツガワ・コロニーで活躍中のヒーロー、“ストライカー雷電”です! オートマトンを載せたバイクは、第2地区のショッピングモール、“インパルス”に向かっているとの情報を受けています。周辺地域のみなさんは、十分に注意してください……』」


 メカヘッドは繰り返し映像を流す画面から目を離して、タチバナに向き直る。


「何やってんですか、先輩!」


「映像を公開してもらったんだ。“止まり木”の名前を借りてな」


「何してくれちゃったんですか!」


 メカヘッドは掴みかからんばかりの剣幕だったが、タチバナは何処吹く風だった。


「みんなにも動画を見てもらおうと思ってな」


「野次馬が来ますよ!」


「そういうヤツを誘導したり、危険から守るために人手が要るよな?」


「そうですよ、どれだけの警官を動かさないといけないか……あ!」


 怒りから一転して、メカヘッドは間の抜けた声をあげる。


「それはお前の仕事だからな、よろしく頼むぞ」


「はい、任せてください! じゃあアオさん、俺、お仕事が入っちゃったから……」


 アオは頷いてシートベルトを外す。


「私も、雷電の応援に行きますね! ここまでありがとうございました」


 ドアを開けて飛び出したアオは手を振り、サンダルをパタパタ鳴らしながらバンの助手席に移っていった。


 タチバナ一家の車がショッピングモールに向けて走り出すと、メカヘッドはスポーツ・カーの屋根に回転灯を取り付けた。車載端末の通話回線から、呼び出し音が鳴る。


「はい、こちらメカヘッド」


「『お疲れ様です。チドリです』」


 スピーカーからしっとりした声が流れ出た。


「『映像見せてもらいました。ここまで、うまくいっているみたいでよかったわ。アオちゃんも、ドレスがよく似合って素敵でした』」


「アオ嬢はタチバナ先輩たちと行ってしまったので、ここにはいないんですよ」


「『あらあら、じゃあ、後で言ってあげないとね』」


「そちらはどうです? マダラ君が一人でVIPルームに詰めてるみたいですが……」


「『時々悲鳴をあげているけど、順調みたいです。オペレーションも動画の投稿も、私にはお手伝いできないのが心苦しいのだけど……』」


「チドリさんが傍で応援して、やる気の出ない男はいませんよ!」


 チドリは鈴を鳴らすように笑う。


「『メカヘッドさんたら、お上手なんですから! ……お電話した要件を言いそびれてましたわ。うちの店の子達も動画を見て、雷電を見ようと出かけて行ってしまったんです。もしものことがあったらと、心配で……』」


「お任せください! ちょうど俺も現場に向かうところだったんです」


「『ありがとうございます! よろしくお願いしますね……』」


 ほっとした声になったチドリが通話回線を閉じると、メカヘッドは懐のポケットに手を突っ込み、軍警察から支給されている通話端末を取り出した。素早くダイヤルして、頭部横に固定する。通話しながら車をUターンさせた。


「……俺だ、メカヘッドだ。KNCの動画見たか? ……それだそれ。……慌てるな、まだ公開されたばっかだ。……削除要請? やめとけ! どうせ個人が拡散するからな。わざわざ飛び火させるようなもんだ。そんなことより、市民が動き出してる。現場に警ら隊を回せ! 俺もすぐに行く」


 メカヘッドは通話を終えてアクセルを踏む。


「さて、祭りだ。今度こそ逃がさんぞ……!」


 独りごち、愉快そうに笑いながら、ショッピングモールに向けて走り出した。




 雷電はバイクの前輪を地面につけると、更に速度を増して商業地区の大通りを駆けた。ヘルメットの中からマダラからの声が呼びかける。


「『雷電、順調そうだね』」


「ああ、今のところは作戦通りだ」


 オートマトンは“サンダーイーグル”のフロントカウルの上で手足をじたばたさせている。


「とりあえずバイクに載せたまま走ってるけど、落ちないのか?」


「『“サンダーイーグル”の分子再構成システムで装甲に取り込まれかけてるから、とりあえず問題ないよ。ただ、中途半端な状態で装甲に負担がかかっているから、なるべく早くに解除した方がいい』」


「了解。予定通り“インパルス”に向かう」


 等間隔に並ぶ街灯に照らされながら、装甲バイクは人通りのない通りを走る。第2地区の端を出発し、反対側の端を目指して。


「『……落ち着いてやれてるかい? その……仇なんだろう、君の彼女の?』」


 マダラが尋ねると、レンジは「うーん」と言って少し考えた後で答えた。


「怒りとかは感じないんだ。多分、ヨシオカ本人を撃った時に、復讐は終わってたんだと思う。それでもまだヨシオカが暴れてるから、俺はそれをとめるだけだよ」


「『わかった。……余計な気遣いしちゃったかな』」


 マダラが申し訳なさそうに言うと、レンジは「いいよ、気にすんな」と言って明るく笑った。


「それより、おやっさんの話、聞こえてたぞ。動画をニュースチャンネルに投稿するんだって?」


「『そうなんだよ! おまけに『他所の保安官が絡んでるってバレたら不味いんだ』とか言って、作業を全部俺に任せて行っちゃったんだぞ!』」


 怒りながら愚痴るマダラに、レンジは愉快そうに笑った。


「お疲れさん。こっちのサポートもよろしく頼むぜ」


「『ちくしょう! 雷電をカガミハラでも人気者にしてやるからな、覚悟しろよ!』」


 自棄気味の声でマダラが叫ぶ。


「ははは、他所者のヒーローがメジャーデビューか、悪くない」


 笑いながら返した雷電に、マダラもため息をついた。


「『そう思えるなら何よりだ。気負わずに行けよ!』」


「ああ!」


 レンジは答えてから独りごちた。


「俺の復讐が終わってないとしたら、それは……」


「『……よし、投稿完了だ! ……ん、何か言った?』」


「いや、ヒーローになったのも悪くなかったかな、って思っただけさ」


「『ふーん?』」


 よくわからないまま、マダラが相づちを打つ。


「……見えてきたぞ」


 一際大きな直方体のビルディングがライトに照らされ、夜の町に浮かび上がっていた。




 高級商業エリアの第2地区と、庶民的な商店街や市場が並ぶ第3地区の境目に、大型ショッピングモール“インパルス”は位置している。この日はかねてから計画されていた改装工事の最中だったため、広い敷地内から従業員の姿も消えていた。


 四方から照明灯が照らす、がらんとした駐車場に“サンダーイーグル”が乗りつけた。装甲に貼りつけられていたオートマトンが振り落とされ、広大な敷地の中央に転がる。バイクの装甲はオートマトンが貼りついていた部分が抉られるように欠けたが、すぐに水銀のように表面が流れて修復された。


 アスファルトに投げ出されたオートマトンは呻くような、唸るような声を発しながら起き上がる。雷電は弧を描きながら入り口近くにバイクを戻し、すぐさまとって返した。2つの人影が金属質の光沢を放って向かい合う。千切れた黒雲が風に流される中、ぽっかりと浮かんだ満月が時折雲に隠れながら、雷電とオートマトンを見下ろしていた。


「ウ、こゾウウuuuh、グrrrrr……!」


 オートマトンは首が傾き、体幹がずれた歪な姿勢で身構えながら、アイカメラのセンサーライトを赤く光らせた。雷電を睨み、周囲を見回す。駐車場の外縁部には野次馬が集まり始めていた。人垣の周りには軍警察の警ら隊が整列し、大型の透明な盾を構えている。狙撃銃を構えた兵士も控えていた。


「ふザケた、真似ヲォ……ooh! Urゥあaaaaah……!」


 オートマトンが片手でこめかみの辺りを押さえながら吼える。崩れかけた“ヨシオカ”の人格データがレンジへの復讐心を楔に意識を保ち、暴走するオートマトンの制御コマンドの奔流に抗いながら燃えているのだ。


「けりをつけよう、ヨシオカ」


 レンジは冷徹なほどに落ち着いていた。


「……こんなにギャラリーがいるとは、俺も予想外だがな」


「ガッ、ガah、aaaアあああaアaaァaaあah……!」


 ヨシオカは叫び、前のめりになって突っ込んできた。雷電は体をひねって避け、バネを効かせて蹴りつける。オートマトンは身構えるが、勢いは削がれずに駐車場を転がった。


「『いいぞ! 脳波コントロールでも、雷電スーツの速さとパワーには反応できないんだ!』」


 マダラが興奮気味に叫ぶ。ヨシオカがよろめきながら立ち上がると、雷電は既に追いついて、オートマトンに殴りかかっていた。


 パワーアシストがのった拳がヨシオカを打つ。両腕でかばうが、防ぎきることはできなかった。黒鉄色の腕甲に拳の雨がめり込む。


 数発、十数発と打撃を受け止めて、とうとう両腕が左右に弾かれた。ヨシオカが体勢を崩してふらつく。雷電は腰を落とした。


「“サンダーストライク”!」


「『Thunder Strike』」


 レンジの声を受けてベルトからも音声が流れる。電光が走る右足を振り抜くと、稲妻のようなハイキックがオートマトンの頭部を打ちすえた。野次馬たちが叫び声をあげる。


 装甲が砕け、スピーカーがへしゃげ、内部の配線が剥き出しになって火花が散る。ヨシオカは四肢を突っ張ると、仰向けになって倒れた。


「『やった!』」


 インカム越しにマダラが叫んだ。カメラアイの光が消えたことを確認して、警ら隊を指揮するメカヘッドが手を上げる。隊員たちがオートマトンを回収するために、四方から駆け寄った。


 雷電は周囲からやって来る警ら隊員を見回しながら、虫の羽音のような低いモーター音を聞き取っていた。


「まだだ、みんな離れて!」


 両手を広げて、警ら隊員たちを制する。転がっていたオートマトンが再起動し、センサーライトがオレンジ色の光を発した。黒鉄色の亡骸は跳ね上がるように立ち上がったかと思うと、雷電に掴みかかった。


 オートマトンの手が雷電の首にかかり、万力のようにスーツごと締め上げた。雷電の装甲が歪み、オートマトンの指が軋む。出力過多で関節部が悲鳴をあげているのだ。


「ぐっ……このっ……!」


 雷電はオートマトンを引き剥がし、蹴り飛ばして距離をとる。オートマトンも低く腰を落とし、両腕を広げて身構えた。


「……どうなってる、これは?」


 割れた頭蓋からコードの束がこぼれ出て、チリチリと火花を飛ばす。へしゃげた装甲の内側から、各所の電子部品が光を放った。赤色と黄色の間を移ろいながら輝くさまは、身を焦がしながら燃える鬼火のようだった。


「『わからない、再起動した、としか……気をつけて!』」


「Grrr……hhh、Hwuuhh……!」


 獣のような唸り声をあげ、オートマトンが地を蹴る。四つん這いになろうかという前傾姿勢で走り、勢いをつけて殴りかかった。


 雷電は身をかわすと、再びカウンター気味に殴りつけた。オートマトンは腕を振り、拳をいなす。


「なっ……!」


 刹那、レンジの判断が鈍る。オートマトンは追撃に出て、オレンジ色の燐光を纏う拳を突きだした。


「Wwrruaaah……!」


「ぐぅっ……!」


 前腕をかざして身を守ると、衝撃が腕甲にめり込む。雷電は弾かれるように後ずさった。


「早い……強い!」


「Uuuwhuuh……!」


 オートマトンは低く唸りながら、前傾気味の怪人じみた体勢で雷電を睨みつける。頭部装甲の下に埋設されていたサブセンサー群が剥き出しになり、燃えるように輝いた。蜘蛛の複眼を思わせる相貌だった。


「『タガが外れてる!』」


 モニターしているマダラが叫んだ。


「あれに何が起きてる、わかるか?」


「『わからない。ライトは“緊急起動モード”に近い色だけど……データを洗い直してみる。何かわかるかも』」


「頼むぞ!」


「Wvaah……!」


 オートマトンは再び跳びかかった。掴みかかってくる腕を、今度は雷電がいなす。複眼の幽鬼はすぐさま体勢を変えて殴りかかった。


 一方が撃ち、他方が受ける。両者は入れ替わりながら攻防を続けた。数合打ち合った後、防御から攻撃に転じる間隙を縫って、雷電の拳がオートマトンの顎を撃ち抜いた。


 オートマトンは首が曲がりながらも動き続け、勢いをとめずに殴り返した。雷電はとっさに左腕で顔面をかばい、拳を受け止めた。衝撃が響いて腕が震える。再起動前よりも、確実に威力が増していた。


「人間の動きじゃないぞ!」


「『雷電、オートマトンのカタログには手がかりなしだったから、断言はできないんだけどいいか?』」


 ずれた頭部を自らの手ですげ直して、鋼鉄の怪人が構え直す。


「いいから、早く言ってくれ!」


「『まず、ヨシオカって人の意識があれを動かしてるんじゃない、と思う』」


 再び2つの影がぶつかり合い、殴りあって火花を散らした。もはやオートマトンは、雷電スーツによって加速したレンジの反応に追いついていた。揉み合いながらレンジが叫ぶ。


「そうだろうな! じゃあ、何なんだ?」


「『メカヘッド……先輩が言ってた、ペルソナダビングの成れの果て、かな……?』」


 雷電はオートマトンを蹴りつけ、反動で距離をとる。


「人格がぶつかり合って、廃人か怪人になるってやつか? でもあれは……」


「『考えたんだけど、あの話、人格が2つあるよりも、“上書きしたデータが不完全だった”ってことが大きな問題だったんだと思う。新しい人格が崩壊した時、古い人格の残りかすも一緒に壊れて、人間性がすべて消え去ったんだ』」


「Wruah! Aaaaaah!」


 オートマトンは執拗に雷電に組みつくと両腕をわしづかみにして、頭突きを繰り出した。


「ぐっ……!」


「『大丈夫か!』」


「いいから、続きを!」


「『多分、今のあれは、ヨシオカの脳の“動物的な部分”と、オートマトンの暴走が噛み合って動いてるんだと思う』」


 数発受けながらも、雷電はオートマトンを背負い投げる。地面に叩きつけた一瞬、黒鉄の身体から光が消えた。


「『だから、怯まない。ボディの限界を超えて闘い続けるんだ』」


 すぐにセンサーライトの光が戻ると、素早く雷電から離れて身構える。


「逃げ隠れしない、ってのはいいじゃないか。あとは、どうやって倒すか、だけだな!」


「Vaaaaaah!」


 ノイズのようなわめき声をあげながらオートマトンが迫ってきた。雷電は突撃をかわし、追撃をいなす。駆け出すと、オートマトンも追いかけて走り出した。


「狙いが逸れないってのはいいが、こいつの弱点はわかるか? ……おっと!」


 オートマトンの指先が雷電の腕甲をかすった。


「『全体を統制する集積回路が背中にあるはず……とめるには、そこを叩くしかない』」


「雷電スーツの充電はどうだ?」


「『ほぼ確実にもう一回撃てるよ。“サンダーイーグル”にずっと乗ってたからね!』」


「よし、“一撃で充分だ、決めるぜ!”」


 レンジはスーツの“大見得”機能によって決め台詞を言わされながら、オートマトンの背後を取ろうと回り込む。オートマトンは素早く反転して手を伸ばした。雷電が踏みとどまると、オレンジ色の光の帯を描きながら、黒鉄の腕が宙を掴んだ。雷電が動くと、オートマトンも合わせて動く。2つの影は、駐車場内に弧を描いて並走しはじめた。


 警ら隊は盾を構えて人垣を組む。観客たちは固唾を飲んで見入っていた。


「らちがあかないな!」


 雷電は走りながらマダラに呼びかけた。足を止めれば、次はオートマトンに追い立てられる側になるからだ。


「……マダラ、バイクを無人運転で動かせるか?」


「『できるよ! 何をしたらいい?』」


「合図したら、俺の方に突っ込ませろ!」


「『ええ!?』」


「頼むぞ!」


 雷電はオートマトンに背を向けて走り出した。オートマトンも後を追う。ショッピングモール“インパルス”の青い壁が見えてくると、雷電は反転した。


「今!」


「『了解!』」


 装甲バイク“サンダーイーグル”が双眼のようにヘッドライトを光らせて、雷電めがけて走る。


 オートマトンが雷電に追いすがって組み付こうとした時、バイクがその背中に衝突した。制御盤への強い衝撃に四肢は固まり、センサーライトの灯が消えた。


 雷電はオートマトンを踏み台にして跳び越え、バイクに跨がると前輪を持ち上げた。オートマトンを乗せたまま、ウィリーで更に加速し、ショッピングモールの壁に向かっていく。


「ああっ……!」


 見守っていたアオが、両手で口を覆った。


「いくぞ、マダラ、このまま加速だ!」


「『わかった、死ぬなよレンジ!』」


 前輪が壁にぶつかるかと思うとそのまま車体が壁に沿って地面から垂直に持ち上がり、吸い付くように壁を登り始めた。


「雷電、頑張れ!」


「頑張れー!」


 アキとリンが声を張り上げる。集まった人々も、口々に応援の声を投げた。


「頑張って!」


「行け!」


「頼むぞ!」


 ミュータント・バーの女給たちが、近隣に住む人々が、そして動画を見てやって来た人々が、雷電を応援していた。アオは振り返り、人々の顔を見た。ミュータントも、非ミュータントも、老いも若きも、男も女も、今や皆の心が一つになっていた。


「すごい……みんな、雷電を応援してるんだ……!」


 タチバナは自らの背を追い越して久しい義娘に、胸を張って笑いかけた。


「俺たちのヒーローは大したもんだな! ……だから、きっと大丈夫さ」


「うん……!」


 アオは両手をぎゅっと握りしめた。


 盾を構える警ら隊も、雷電とオートマトンの闘いを見守る他になかった。


「頼むぞ、雷電……」


 先頭に立つメカヘッドは無線機を握りしめて呟く。見上げる先では、いよいよバイクがビルの屋上にたどり着こうとしていた。


 屋上の縁を踏み切り台にして“サンダーイーグル”が翔び上がる。前輪のカウルに載せていたオートマトンを振り落として、バイクは屋上に乗り上げた。


 地上十三階の高さにオートマトンが放り出され、駐車場に向かって落ち始めた。


「VWaaaaaaa……!」


 一時的な機能停止から回復していたが、手は宙を掴み、足は空を蹴るばかりだった。バイクを停めた雷電は屋上の手すりを蹴り、勢いをつけてオートマトンめがけて跳び降りた。


「これで終わりだ……“サンダーストライク”!」


「『Thunder Strike』」


 雷電スーツに走るラインが青白く輝いた。足先から雷光が迸る。


「『行けー!』」


 マダラが叫び、観客たちも叫んだ。警ら隊は地面に突き立てた盾を支えるように身を固めた。


 雷電の両足が、仰向けに落ちていくオートマトンの胸部装甲を射貫く。そのまま両者は垂直に落ち、コンクリートの駐車場に突き刺さった。粉塵が舞い上がる。


「雷電は……?」


 タチバナが眼を凝らした。視界がすぐに晴れると、オートマトンは地面に半ば埋まって横たわり、雷電が傍らに立っていた。


「『……Discharged!』」


 ベルトが音声を発し、雷電スーツの光も収まっていく。


「オートマトンを確保しろ!」


 メカヘッドが叫ぶと、警ら隊が一斉に動き始めた。


 オートマトンは中央制御盤ごと胸部を砕かれ、上下が半身ごとに分断されていたが、尚もセンサーライトの灯を明滅させていた。


「oooh……レハ、そうか、また死ぬノか……」


「……ヨシオカ? 意識が戻ったのか」


 センサーライトを弱々しく光らせながら、ヨシオカはぎこちなく首を動かして雷電を見上げた。


「マた小僧ニ殺らレるとはナ……」


 苦々しい感情の籠った声に、レンジはマスクの下で少し笑った。


「俺はさ、お前への恨みはもうないんだ。せっかく生き返ったんだ、言い残したいことがあれば、聞いてやるよ」


 カメラアイの光が更に弱まっていく。ヨシオカは少し黙った後、スピーカーをザリザリと鳴らして言った。


「今度コそ……欲シかったんだガな……チどリ……」


 言いかけて、スピーカーがブツリと音を立てた。全身から洩れていた光も消え失せ、オートマトンは完全に機能を停止した。警ら隊が集まり、残骸を集めはじめる。


「あんた、最後までろくでもない奴だったよ」


 レンジがそう言って顔を上げると、観客たちが一斉に走り寄ってくるのが見えた。白いドレス姿のアオが先頭に立ち、大きく両手を振っている。アキとリンが跳びはねながら駆けてくる。タチバナは穏やかに微笑んでいた。人々は一塊になり、混ざり合って言葉にならない歓声をあげていた。




「……よし! 動画配信も無事に終了だ!」


 マダラが端末の操作を終えて、大きく伸びをした。チドリがテーブルに茜色のカクテルグラスを置く。


「お疲れ様でした。これ、オレンジジュースですけれど……」


「ありがとう! チドリさんもお疲れ様」


 チドリは静かに微笑んだ。


「私は、皆が頑張っているのを応援していただけですから」


 マダラは軽くグラスを傾ける。

「頑張ってるとさ、そばで一緒になって応援してくれる人がいることが、とても心強いんだよ。……だから、チドリさんにも、ありがとう」


 チドリはにっこりした。


「そう……それなら、向こうで頑張ってきた人達も出迎えられるように、お店の準備をしないとね!」


「俺も手伝うよ。ミールジェネレータを使うのは自信があるんだ。ナカツガワいちのコックなんだぜ!」


「まあ……!」


 チドリが笑い、マダラも一緒に笑っていると、インカムの通信機からレンジが呼びかけてきた。


「『……マダラ? チドリさんはいるか?』」


「レンジ、お疲れ様! ちょっと待ってくれよ……」


 マダラが端末機のスイッチを入れると、スピーカー通話に切り替わった。大勢の人々が叫んでいる声が聞こえてくる。


「レンジ君、お疲れ様」


 チドリは端末機のマイクに話しかけた。


「『チドリさん』」


「チドリお姉さん、でしょ」


 通信機の向こうで、レンジが少し苦笑いした。


「『……チドリ姉さん、終わったよ』」


「うん」


 チドリは、目の端に涙を溜めて答えた。


「……レンジ君、お腹空いたでしょう。“止まり木”で待ってるから、お疲れ様会をしましょう! うちの子たちにも、早く戻るように言ってもらえるかしら?」


「『了解!』」


 マダラが通信をインカム通話に切り替えた。


「さあ! 皆が戻ってくるまでに準備を済ませないとね!」


「……げっ!」


 インカムからの音声を聞いていたマダラが青くなって声をあげた。


「どうしたの?」


「雷電の闘いを見てた人達が皆、ついてきてるって……人数は、ちょっと数えきれないくらいだって……」


 チドリはポンと胸を叩いた。


「何人来ても構わないわ! 店の前にも椅子を並べましょう。マダラ君も、手伝ってくれるわよね?」


「勘弁してくれよ、俺はひ弱なんだよう……」


 泣き言を洩らすマダラを見て、チドリは晴れやかな顔で笑うのだった。

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