竜頭蛇尾

 物心ついた頃には母はおらず、父と二人で暮らしていた。父は滅多に声を荒げることはなく、貧しいながら親子は粛々と日々を過ごしていた。

 父が手を上げたのは一度きり。徹平、と呼びかけられ、振り向いたところを硬い物で殴られた。一瞬、何が起きたのか解らなかった。殴打された右目が激しい痛みを訴えてくる。父は「すまん」とだけ呟いた。割れるような頭痛に襲われ、意識を手放した。

 ふと気がつくと、誰かの話し声が聞こえた。激痛は嘘のように引いていた。体を起こし、辺りを見回す。隣の部屋。襖の隙間から覗き見る。父と見知らぬ男が向き合い、何やら話し合っていた。

「貴様、謀ったな」

 怒りを露わに、男は父に鉄の筒を向けた。乾いた音が鼓膜を震わせた。胸に風穴を開け、父は血を噴き出して倒れた。ぴくりとも動かぬ父を見て、死んだのだと察した。

 隙間から息を潜めて惨劇を見つめていると、男と視線が合った。近づいてくる。逃げられない。襖を開け放ち、固まって動けぬ徹平をじろじろと無遠慮に眺めた男は得心した様子で呟いた。

徹令テツヨシめ、こんなところに隠したか」

 徹令とは父の名だ。父とはどんな関係で、何故殺したのか。何もわからなかった。けれど、この男が自分の生殺与奪の権利を握っていることだけは理解した。

「小僧。父親と同じ目に遭いたくなければ私と来い。私が貴様を有効に活用してやろう」

 断る選択肢など始めからなかった。男は徹平を養子として迎え入れた。徹平は父を殺した男の義息となった。

 男は陰陽師を束ねる有力者であり、物怪を取り締まる部隊を統べていた。徹平は仇に云われるがまま斬り込み隊長として物怪と、物怪を信ずる人々を処断していった。

 不思議なことに、徹平の右目は父に殴られて以来金色に輝き、物怪の類いを視認できるようになっていた。左右で色が異なる目は不気味がられ、人智を超えた力と動きで物怪を屠る姿は“異能”と畏れられた。

 義父には血の繋がった一人娘がいた。娘は徹平と変わらぬ歳の頃であり、徹平を兄と呼んでよく懐いた。義妹は気丈に振る舞っていたが、義兄の前ではよく弱音を吐いた。

「私が女だから、父様は私に見向きもしないの。でも、修行を頑張って一人前になれば、きっと父様は私を認めてくれる。私だって父様の役に立てるはず」

 辛く厳しい修行に幾度も袖を濡らしながら、それでも彼女は父のために必死だった。

 ある日、義父は徹平を呼び出した。

「私は軍から手を引き、政治に専念する。烏の指揮はお前に全て任せたい。ゆくゆくはお前に私の後を継がせる所存だ。異論はないな」

 八咫烏の総統こそ義父だが現場に同行することはなく、実際に隊を率いているのは徹平だったため、問題はなかった。懸念点は一つだけ。

「濡羽はどうするんですか」

「濡羽?」義父は記憶を探るように目を細めた。「ああ、そんなのもいたな……そうだ徹平、アレと番え。役に立たぬ女だが、後継さえ産めれば少しは私の役に立つだろう」

 ――この男は、何も見てはいない。実の娘も義理の息子も、道具としてしか認識していない。自分も彼女も、こんな男のために人生を費やされたのか。これ以上生かしてはおけないと、思った。

 徹平は刀を抜くと、義父の首を掻っ切った。首から血を噴射し、義父はあっけなく死んだ。実父の仇討ちは果たしたが、気持ちが晴れることはなかった。現場をそのままに義妹を呼びつけた。血溜まりに転がる父だったモノを見た彼女は息を呑んだ。

「見ての通り、俺は義父上を殺した。だから隊を抜ける。今日からはお前が八咫烏を率いるんだ」

「待ってください、兄上。どういうことですか。きちんと説明してください」

「お前が義父上の後を継げ。いいな」

 納得できないと引き下がる義妹を力づくで押し退け、徹平はその場から立ち去った。もう、何もかもがどうでもよかった。

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