虎視眈々

 風月によると、夫の実家は街から遠く離れた山奥にあると云う。最寄り駅まで汽車に揺られ、そこからは徒歩で山を登る。

 道すがら、風月は村について説明してくれた。

夜哭よなき村といって、主人の実家、鬼頭が村の顔役を務めております。他に腕木ウデギ胴貫ドウヌキ足立アシダテ尾藤ビトウの五つの家があるだけの小さな集落です。平家の落人が流れ着き、定住したのが村の起こりと聞きました」

 源平合戦に敗れた平家の残党は方々へ逃げ延びたと聞く。人里離れた辺鄙な場所に居を構えたのも、追手から逃れるためだろう。

 数日かけて目的地に辿り着いた頃には、祭りの当日の夕刻になっていた。山間に鬱蒼と茂る木々に囲まれた夜哭村は、ぽつぽつと疎らに建つ五つの家と、中心部に――田舎にしてはやけに立派な――神社がどっしりと構えただけの、小ぢんまりとした集落だった。

 村人が集う広場のようになっている神社の境内に人集りが出来ているのを見つけ、徹平はそちらへ足を向けた。

「すみません」

 声をかけると、村人達の好奇と怪訝が入り混じった視線が突き刺さる。閉鎖的な場所故、余所者が珍しいのだろう。

「見ない顔だな。何の用だ」

「人を探しに。こちらに鬼頭アツシさんはいらっしゃいますか」

 篤とは風月の夫の名である。ところが、その名を耳にした村人達の顔がみるみる強張った。絞り出すように一人が告げる。

「篤は村から出て行った。ここにはおらん」

「え、けど奥さんが……」

「アンタ、何を莫迦なことを云ってんだ? よ」

「は――」

 咄嗟に隣に視線を移すと、いつの間にか風月の姿がなかった。狐に化かされた気分だった。

 遠路遥々の路程は徒労に終わってしまった。引き返そうにも、同行した風月がいなければ道順が怪しく、そもそも日が暮れた中で山道を歩くのは危険極まりない。どうしようかと頭を悩ませていると、社務所の中から神主の装束を身に纏った一人の男が現れた。

「祭りの日に村に来られたのも何かの縁です。今夜は泊まって、祭りに参加されては如何です?」

「鬼頭さん! 神聖な祭りに余所の人招いていいんですかい」

 鬼頭と呼ばれた壮年の男は、くだんの篤の父親だろう。歳相応の皺こそ刻まれているが、涼やかな顔立ちは実年齢よりも若々しく見える。

「我々は客人まれびとを丁重にもてなさねばならない。そうでしょう?」

 鶴の一声に、村人達は顔を見合わせて押し黙り、渋々頷いた。

「まあ、鬼頭さんが云うなら……」

 鬼頭は村の顔役だと風月から聞いている。彼らの力関係は歴然だった。

峰子ミネコ! お客さんをご案内して差し上げなさい」

「はいはい」

 鬼頭が声を張り上げると、ふくよかな中年女性が人垣を掻き分けて現れた。鬼頭の妻だろう。にこにこと柔和な笑みを湛える彼女は、女版の布袋ほていと呼べる風貌をしている。

「遠いところまでよく来たねぇ、何もないところだけどゆっくりしておいき」

「はあ……どうも」

 どうせ行く宛のない身だ。素直に厚意に甘えることにした。峰子夫人は穏やかな笑みを崩さぬまま徹平を先導する。

「もしかしてアナタ、っちゃんのお友達かい? 篤っちゃんは元気してる?」

「いや、そういう訳ではないんですが……篤さんの知り合い? の知り合い、になるんですかね」

「まあ、そうなの。わざわざ篤っちゃんに会いに来てくれてありがとうねえ。でも、胴貫さんが云ってた通り、今は村にはいないのよ。あの子ってば村を出たっきり連絡も寄越さないでねえ……しっかりご飯を食べられてるかねえ」

 峰子は篤を大切に想っているようだが、一切の連絡を絶っている辺り、篤は実家と縁を切りたがっているように感じられた。篤は母の愛情という名の束縛を嫌って出奔したのだろうか。

 目当ての人物はおらず、連れてきた依頼人も煙のように消えてしまったこの村には何かがある、と徹平の直感は訴えていた。こうなれば乗り掛かった船だ、祭りに参加すれば篤が村を出た理由が解るかもしれない、と開き直った。

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