第10話 年越し、年明け

「ただいまぁ」

「はい、お帰りぃ」

 12月31日。浅海の家の玄関に、二人の人影が見えた。

 由宇の両親だ。

「いやいや、今年は由宇を預かっていただいて、ありがとうございました」

 父親らしき人物の声がする。

(挨拶しないと)

 直見は慌てて玄関先に出向いた。


「こんにちは」

「やあ、君が重岡さんか。話は聞いてるよ」

 由宇の父は、通津松久まつひさというらしい。

 名前は本人の口から聞いたものの、松久はすぐ横になり寝てしまった。

 藤生が「やっぱり畳の方が落ち着くらしくて……」と言った。


 *****


「あの」

「ん?」

「何か、手伝うことないですか? 居座るだけでは申し訳ないので」

「あら。ええのよそなぁに、気ぃ使わんで。来てくれるだけで嬉しいんじゃけん」

 直見は浅海に申し出たが、桐子は笑って返した。

(でもなぁ)

 それでも直見が戸惑っていると、「じゃあ、後でお料理、お膳まで運んでくれる? それまでは由宇ちゃんの相手、しといて」と浅海は付け加えた。

「重岡さーん」

 後ろでリバーシゲームを持った由宇が呼んでいる。

(よし、いっちょやったるか)

 直見は、たとえ遊びでも、対決となれば本気が出る。

 自信満々で対決した由宇が、角4つをすべて取られたうえ目数6対58でボロ負けするのは、10分ほど後のことである。


 *****


「じゃあ重岡さん、お休みなのだ……」

 時間は夜の九時。

 由宇はどうやら、結構早く眠くなってしまうタイプらしい。

(通津さん、朝も弱いけど夜も弱いんだ)

「重岡さん」

「はい」

 由宇が寝た少し後、松久が話しかけてきた。

「その、由宇と仲良くしてくれて、ありがとう」

「え? あ、いやいや、こちらこそお世話になっています」

 直見の返答に松久は、困ったような笑みを浮かべ、「はっはは。お世辞がうまいなぁ」と言った。

「君は、少なくとも由宇よりはしっかりしてるよ。お世話になってるなんて、むしろ由宇のセリフだろう。伊予三島ここに来るまでだって、由宇に結構振り回されたんじゃないのかい」

「まあ……それは……」

 否定はできない。というか、ほぼ当たっている。

「ははは。正直でよろしい」

「……すみません」

「いや、いいんだ。実際そうだからね。……実は由宇は、あれが本当の姿ではないんだ」

「……?」

「中学生の時とは全く違うんだ。行動も、言動も。……いや、と言うべきかな」

(ああ、そのことか)

 行く途中、尾張旭で見せてくれた顔というか人格というか。

 あれが引きこもっていた頃の由宇で、今は今の由宇――と同時に、引きこもる前の由宇――なのだろう。

「だからね、まあ、何と言うかな。少し特徴的な言動が多いだろう?」

「そうですね」

「それも含めて、由宇なんだ。だから、分かってくれとは言わないし、僕が言える立場にないけれど、――知っていてほしかったんだ」

「………」

「ごめんね、こんな話をして」

「松久さん」

 直見は初めて、松久の名前を呼んだ。

「ん?」

「通津さんは……由宇さんは、由宇さんです。それは、どうなろうと変わりません。知り合って間もないけど……私は由宇さんと知り合えて、良かったと思っています」

「……ありがとう」

 松久は驚いた顔をしたが、その顔はすぐに歪んだ。そして俯いた。


 *****


「あけまして、おめでとうございま~~す」

 日付が変わって、年が明けて1月1日。

 通津一家に交じって、直見も新年を祝った。

「重岡さん、ズバリ今年の抱負は何かな?」

(急‼)

「……んーと」

 リアルなことを言うと、重い空気になりかねない。

「……47都道府県制覇、とか? 沖縄は行くだろうし」

 直見が言うと、「おぉ」と松久が感嘆の声を上げた。

 ちなみに直見は、今回四国に足を踏み入れたことで、47都道府県のうち41を制覇している。残っているのは福井、香川、徳島、高知、佐賀、そして沖縄だ。

 厳密にいえば香川と佐賀に入ったこと自体はあるのだが、旅行の道中で特急列車に乗って通っただけだったので、降り立ったことはない。だから直見は、その2県はカウントしていない。

 そして沖縄県は、おそらく修学旅行で行く。とすると今年中の全都道府県制覇は、あり得ない話ではない。

「じゃあ、通津さんは?」

「絵を描くことなのだな!」

(それ、いつも授業でやってるじゃん)

 ツッコミどころが多かった同伴旅行も、明日で終わりだ。


 *****


「もう帰るの? もう少しゆっくりしてったらええのに」

「新幹線が混んじゃうので」

 松久がそう言うと、浅海は「あらそぉ」と残念がった。


「じゃあ、またね」

「また何かあったら、連絡してください」

「また会おうなのだ、おばあちゃん!」

「お世話になりました」

 特急〔しおかぜ14号〕が、伊予三島のホームを離れた。


「重岡さん、本当にありがとうね」

「そうそう。由宇を飽きさせずに愛媛まで連れてくるなんて、なかなかできることじゃないよ」

 列車に乗ってからも、直見は藤生と松久に礼を言われっぱなしだったので、少しむず痒い感覚に陥った。

(そんなに感謝しなくてもいいのに)

 直見は、大したことをしたとは全く思っていない。

 これまでにも時々、旅先で困っている人を助けたことはある。今回はその延長線上のようなものだという認識だった。

(いや、でも、よく考えてみたら……)

 嬉々として駅弁を選んだこと。

 由宇がお土産を忘れた(後で藤生が持ってきてくれた)こと。

 そして――。

(バランスを取ることは、この世で一番難しいこと、だったりして)

 尾張旭で、自分自身の過去を打ち明けてくれたこと。

(……いや、割とマジでそうかもしれない)

 他人に合わせて自分を捨てるのか、自分に合わせて他人を捨てるのか。

 そんな両極端な揚棄アウフヘーヴェンを、誰だって持ち合わせている。


(ってか、そうだ)

『連絡が遅れてすみません。今、帰路についているところです。順調にいけば、19時ごろに帰れると思います。』

 給美に連絡するのを忘れていた。

『了解しました。引き続き、どうぞお気をつけて。』

 堅苦しい文面しか送れないから、堅苦しい文面しか返ってこない。

(だからといって、馴れ馴れしすぎるのもなぁ)

 直見にだって、大なり小なり悩みはあるのだ。

 青く澄み凪いでいる瀬戸内海を、羨ましく思った。

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