第9話 踏み出す一歩は誰のため

さて、昼休みがやって来た。

 今日も神田さんといつもの場所で昼ご飯を食べるべく、お弁当と貴重品を持って席を立つ。

 普段なら、僕の『ステルス・インヴィジブル』によって誰にも気付かれることなく教室を突破できる。だが、今日は違った。


「小森、昼ご飯一緒に食べよーぜ。数学の課題を見せてくれたお礼に購買の揚げあんドーナツ驕るぞ」

「え……?」


 ま、まさか神田さんだけでなく三山君まで僕を補足可能だというのか!?


「ほら、早く行こうぜ」


 予想外の出来事にあたふたしていると、三山君が財布を持って席を立つ。

 折角誘ってくれたのだから、ここは提案に乗るべきだ。でも、僕は毎日の様に神田さんとお昼を供にしている。

 そう考えると、今日も神田さんとお昼を食べるべきかもしれない。

 それに、折角の誘いを断って三山君を不機嫌にするのも怖いし、嫌われてしまうのも、正直怖い。


「小森? どうしたんだよ?」


 三山君が僕に問いかける。

 顔を上げ、どこか不審気な三山君の表情を見て、ごくりと唾を飲み込む。


 僕と神田さんは友達だ。なら、ここで僕が折角の三山君の誘いに乗っても後から事情を説明すれば分かってくれるはず――。


 そんな考えがよぎった時、僕の横に神田さんがやって来た。


「か、神田さん……!」

「今日は無し」

「え……?」


 神田さんは視線を下げて、そこか寂しそうな声でそう言うと、教室を出て行った。その手にお弁当箱を持って。


 僕は何をしているんだろう。


「神田さん? なんか小森に用があったのか? まあ、いっか。それじゃ、購買行くか」


 三山君はそう言うと、教室の外へ向かう。

 その背中を僕は、追いかけ、追い越し三山君に頭を下げる。


「こ、小森? 急にどうしたんだよ……」

「ご、ごめん! 僕、お昼はいつも神田さんと食べてて、今日も一緒に食べる約束をしてるんだ。だ、だから、三山君の誘いは凄く嬉しいけど……でも、ごめん……」


 拳を強く握り、目を固く瞑る。

 三山君は気を悪くするかもしれない。他人からの評価が下がるのは、嫌われるのは正直、怖い。

 でも、神田さんを悲しませるよりましだ。


「え!? そうならそうと早く言えよ! ほら、さっさと神田さんのところ行けって!」


 だが、僕の予想と反して三山君が僕に悪感情を向けることは無かった。寧ろ、早く行けと僕を急かしてくる。


「い、いいの?」

「当たり前だろ。ほら、早く行けよ。揚げあんぱんはまた別のタイミングでも渡せるしな」

「う、うん。ありがとう、三山君」


 三山君にもう一度だけ頭を下げてから、廊下を抜け階段を一段飛ばしで駆け上がる。


 自分が傷つくことを恐れて、人と関わることを躊躇ってた。でも、もしかすると世界は僕が思っている以上に優しいものなのかもしれない。

 それに気づけたのは全部神田さんと関わることを選んだからだ。神田さんがいたから、今がある。

 花宮さんや三山君と仲良くなれるなら仲良くなりたいと思う。

 けれど、それは神田さんとの関係があった上での話だ。


 いつも通り薄暗い、屋上へと続く階段。そこに神田さんはチョコンと座って一人でお弁当を食べていた。


「神田さん!」

「え? あ、明人……?」


 目を大きく見開いて唖然とする神田さんの下へ、一段ずつ階段を上り近づいて行く。

 呼吸を整えて、神田さんの前で足を止める。


「お昼は、これからも一緒に食べよう!」

「き、急にどうしたの?」

「僕からは絶対に神田さんから離れたりしない! 僕は神田さんの友達だから、神田さんとずっと仲良くする!」


 僕は神田さんに向けて高らかに宣言する。

 神田さんは僕よりずっと大人だ。

 大人だから、きっと自分の我儘のために僕を縛りはしない。だから、僕から神田さんに歩み寄らないときっとダメなんだ。

 神田さんを毎日褒めると決めたのだって、僕が神田さんと仲良くなりたかったからなんだから。


 僕の宣言を聞いた神田さんはキョトンとした顔を浮かべてから、目からポロリと涙をこぼした。


 え? ちょ、な、なんで!?

 も、もしかして僕の宣言が気持ち悪かった!?

 いや、冷静に考えたらそうかもしれない。

 僕のようなクラスの背景その4が『(これから先の人生)ずっと君から離れないよ』と言ってきたら恐怖を感じても仕方ない。


「は、離れないって言ったけど、ずっと一緒ってわけじゃなくて……その、友達として傍に寄り添うよって意味なんだ! 勿論、神田さんが拒否したら離れるし、ストーカーとかになるってことじゃなくて……えっと、えっと……とにかく、僕は神田さんとずっと仲良しでいるつもりなんだよ!」


 あたふたと必死に弁明をする僕。

 そんな僕の姿を見て、神田さんは口を開けて笑い出した。


「あははは!」

「か、神田さん?」

「あー、ごめん」


 ひとしきり笑い終わった後、神田さんは僕に向けて頭を下げた。


「私さ、自信ないんだ。面白い話なんて出来ないし、花宮さんみたいに愛想もよくない。明人とは性別だって違う。……だから、明人が私以外の人と仲良くなるのは仕方ないし、いつか明人が私の友達じゃ無くなるかもしれない」

「そ、そんなことないよ! だって、僕と神田さんは友達じゃないか」

「……うん。私もそう思ってる。だから、ありがとね、明人。私も明人とずっと一緒にいたい」

「はぇ……?」


 僕と一緒にいたい……。

 そ、それってつまり、これから先僕が大人になっても一緒にいたいってことで、そんな関係性はこの世には家族ぐらいしかなくて、僕と神田さんは他人だから家族になるには、結婚する必要があって、結婚するには二人はフォーリンラブで……ってこと!?


「あ、いや、その一緒にいたいっていうのは結婚とかそういうのじゃなくて、友達としてっていうか……そ、そういうのじゃないから!」

「あ、ああ……そ、そうだよね! 任せて、勘違いしないことには定評があるんだ!」


 僕と同じ可能性に行きついたのか、顔を真っ赤にして弁明する神田さんに既視感を感じつつ、僕も同意する。


 そ、そっか、そういうのじゃないんだ。

 まあ、当然といえば当然だけど、ちょっと残念かも……。


「……いつまで立ってんの?」

「あ、うん!」


 そうだ。今は昼休憩、お昼ご飯を食べなくてはならない。

 さて、今日のお弁当には何が入っているのか――。


 お弁当を取り出そうと思い、自分の身体を見回して僕は気付いた。


 弁当、教室に忘れた。


「神田さん。お弁当、教室に忘れちゃったから取りに戻るね……」

「今から行くの?」


 神田さんがスマホの画面に映る時刻を見ながらそう言う。

 既に昼休みは半分が経過していた。この屋上の扉前の階段は僕らの教室からは離れていて往復するだけでも五分以上はかかってしまう。

 となれば、お昼ご飯を食べる時間は殆どないと言ってもいい。


「うん。流石に何も食べない訳に行かないしね」

「なら、私のお弁当のおかず少し食べる?」


 神田さんはそう言うとスッと僕の方にお弁当箱と箸を差し出す。

 

「いいの?」

「時間ないでしょ。それに、お弁当食べられずに次の授業中お腹鳴ったら嫌でしょ?」


 確かにそれは嫌だ。

 折角の誘いだし、お言葉に甘えさせてもらおうかな。お弁当は五限と六限の間でも食べられるし。


「じゃあ、貰おうかな」

「ん」


 神田さんからお弁王を受け取り、箸を手に取る。

 そして、お弁当の中に残っている二つある卵焼きの内一つをつまみ、口に運ぼうとしたところで神田さんが小さな声で「あ」と漏らした。


「もしかして、卵焼きは食べちゃダメだった?」

「あ、いや、そういうんじゃないんだけど……き、気にしないで」


 神田さんは自分の手元と卵焼きを交互に見ながらそう言うが、ハッキリ言って気になって仕方ない。


 卵焼きがダメじゃないなら、他に何かあるのだろうか?


 視線を卵焼きに向け、そして僕は気付いてしまった。


 箸。この箸は神田さんのものだ。

 そして、殆ど食べられており、僅かなおかずとご飯しか残っていないお弁当。

 では、このお弁当を食べたのは誰か。神田さんだ。

 どうやって食べたのか。箸を使ったんだ。


 僕のIQ102の頭脳がフル回転する。

 そして、一つの答えを導き出した。


 ――間接キスになってしまう。


 気にし過ぎと言われればそれだけの話。だが、まだ思春期が終わっていない僕からすれば大問題である。


 くっ。こんなことなら口の中をアルコール消毒しておくべきだった……!


「あの、さ……。早く食べなよ。友達なら、多分こういうの普通だし……」


 僕が固まっていると、神田さんが恥ずかし気に視線を下げながらそう呟く。


 た、確かに! よく男子とかがペットボトルでジュースの回し飲みとかしてるのを見るし、一つのパンを共有しているところだって見たことある。

 これはなにもおかしくない普通のことだ。


 自分に言い聞かせ、プルプルと震える腕を抑えながら卵焼きを口に入れる。

 何故か分からないけど、顔が異常に熱くなって、卵焼きの味は全然分からなかった。

 ついでに、空腹感もどこかへ飛んで行ってしまった。


「ご、ごちそうさま……。あの、神田さんありがとう」

「もういいの?」

「あ、うん。なんか、もういっぱいいっぱい」

「な、ならいいんだけど」


 神田さんにお弁当と箸を返す。

 神田さんはそれらを受け取ると、暫くじっと箸を見つめていた。それから、スマホの画面を見た。


「あ、もう時間だから、教室戻らないと」


 わざとらしくそう言うと、神田さんはまだ少しだけ残っているお弁当に蓋をして、箸を箸入れの中にしまった。

 そして、立ち上がった。


「戻ろ」

「う、うん」


 どことなく気まずい空気の中、僕らは教室に戻った。

 自分の席に着いた僕は額を机に叩きつける。


「うおっ」


 後ろから三山君の声が聞こえたが、そんなこと気にする余裕は無かった。


 やっぱり、間接キスなんてするべきじゃなかった。

 神田さん、明らかに意識してたし、気まずそうにしてたし、そのせいで最後お弁当残してたし……。

 僕のバカ野郎!


「ちょ、小森大丈夫かよ?」

「僕はウジ虫以下だ」

「えぇ……こわ」


 三山君は僕を見て軽く引いていた。

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