とある技術士官の悔恨 下への応援コメント
艦これでも初期は対空兵装意味がなくて積んでなかったのを思い出しました
途中で装備の強化やカットイン実装でボスによっては必須になりましたが
作者からの返信
米艦載機乗りからすると、遭遇する度に増えていく機銃座は嫌だったようです。
とある技術士官の悔恨 下への応援コメント
三式=皇紀2603年=西暦1943年
年代のズレ…そういう事なんですねぇ。
昔よりは日本もマシになっていると信じたいですが、はてさて。
作者からの返信
話自体はフィクションですが、三式高射装置は、米軍の調査レポート内にのみ記載がある代物です。日本側側からは一切情報出て来ておらず、あったかどうかも分かりません。
米軍の調査も案外と適当な所があるので、なかったかもしれませんが、対空砲火の強化には、新型高射装置が必要なので改良型を目指していないのも不自然ではあります。
まぁ、そもそも「三式高射装置」なんて代物を知っている人間自体が極々少数でしょうし、議論も国内で深まるのも期待は出来ないです。
編集済
エピローグへの応援コメント
この作品をフィクションをして読めば良いのか、それともフィクションの皮を被った史実として読むべきか悩むところです。小生はどちらかと言えば戦中の航空機の方が詳しいのですが、日本では空中格闘戦性能に拘るあまり、紫電改の様な新しいスタイルの戦闘機の開発が後手に回った歴史もありますしね。まあそれだけ零戦が優秀だったとも言えるんですけど。「砲撃は一撃必中」と言うのも如何にもな感じもありますから。この作品、読む読者は選ぶと思いますが興味深く読ませて頂きました。ありがとうございます。
作者からの返信
紫電改の戦闘記録も、大分解明が進んでいます。一昔前のような勝ち戦ではなく、負け続けながらも、政治力により補充を受けつつ戦った、というのが真相なようです。
とある技術士官の悔恨 下への応援コメント
対空火器で一撃必殺なんてそんな無茶な、と言いたいですが、精神論が大好きな日本人ならあり得ると思えるところが何ともですね。
作者からの返信
レイテ前までは、弾幕射撃を採用していません。
とある技術士官の悔恨 中への応援コメント
対空火器は基本的に敵機を撃ち落とすと言うより弾幕を張って近づけさせないが正解(これは祖父の弁)と聞いていますが、そう言う認識ではなかったか、もしくは責任の擦り合いからそうなった、と言う感じですかね?
作者からの返信
次話にて。
とある技術士官の悔恨 中への応援コメント
中距離対空砲がなかったのも大きいかも知れませんね。例えばアメリカはMk.28とエリコンの間を埋めるボフォースがありましたが日本は25mm機銃しか持っていなかったので、高射砲を突破されるとかなり接近されるまで攻撃できなかった。
後は機械が弱いのもありますね。日本の12.7cm高角砲、古いですし。(1931年開発)
作者からの返信
そういう問題ではないのですよ……。
編集済
とある技術士官の悔恨 上への応援コメント
アメリカが存在を認定しながらも日本に存在しなかった兵器って迫撃砲とかにありましたよね。今後の展開が楽しみです。
追記:調べてみたところ米軍のレポートに98式迫撃砲(98式臼砲とは違う)という兵器が表記されていました。
工兵用の98式5糎投擲機(本来煙幕を投射するためのもの)が迫撃砲不足の部隊で代用品として使われ、それを米軍が正式な迫撃砲と勘違いしたものらしいです。間違ってたらすみません。
作者からの返信
旧軍は資料を相当焼いているので。
エピローグへの応援コメント
猪口大佐の右腕?S中佐の階級やイニシャルは創作でしょうか?(あっ、ご回答は結構です)
敗戦78年目の責任所在の提起、隠蔽体制への批判。
ミステリーモノとしての盛り上げ(焦らし)具合といい、1万字とは思えぬほど読み応えありました。
作者からの返信
何せ語るべき人が、黙るか、あることないこと吹聴するか、隠蔽するか、をしているのが旧軍なので……(苦笑)有名どころだと「海上護衛戦」ですら怪しいと思っています。
「三式高射装置」の追跡調査も、日本だと殆ど行われていません(なので、あったのか、なかったのかも不明)。
終戦後、資料焼いている=史学界が無きものとして扱う、まかり通ってしまってますし、今後も調査はさらないと思います。
対空戦闘の考え方がどう変遷していったのかについても、まともに議論がされた、とは寡聞にして聞きません。
なので僕個人としては、史学界における「紙媒体絶対主義」に対し、否定的です。これは近代以降に限らず、戦国期等もそうなんじゃ? と邪推しています。
歴史って、文献だけでどうこう出来ないと思うんですよ(※政治、経済、軍事、群衆心理等が分からないと頓珍漢な答えとなる)。