第17話:恋に恋する恋乙女03


「逃げ場所……」


 それは二葉には縁の無い知識だった。両親の期待を一身に背負って教養を修める毎日。喀血しても勉強と習い事を吸収せねばならないカルマ。


「それがどれほどの事か」


 あまり零那は理解していない。しようとも思わない。所詮他人である。


「愚痴くらいなら聞いてもいいがな」


 コーヒーを飲みながらそんな意見。


「愚痴……」


 その発想が既に無い。


「お前の気持ち悪さは形而上だろ?」


「けいじじょう……」


「ストレス過多だと思うが違うのか?」


 当人でさえ判断できないことを軽やかに言葉の旋律に乗せる。


「ストレス……」


 言葉の意味は分かっても、状況の照らし合わせはコレが最初だ。


「私はストレスを抱えてるの?」


「知らんよ」


 零那の返事は実に正しい。


「違うなら単純に疲労してるんだろ」


「…………」


 沈思黙考。二葉は自分を顧みていた。


「ストレス……」


 勉強や習い事を当然と思っていた。その通りに機能した。


「そうしなければ」


 そんな思いに囚われていた。


「それは私のためになるのか?」


 そこまで考えが及んで、


「私は……」


 心のダムにヒビが入る。決壊。それは感情の濁流を再現する。


「――――」


 胃が自覚したストレスにメーデー信号を発する。


「っ!」


 口元を押さえる二葉。


「どした?」


 二葉のベッドに近づいた零那に、


「――――」


 二葉はしがみついた。胃液の逆流。零那の学ランがゲロで汚れた。


「いいんだがな」


 全く良くはないが、他に言い様もない。


「ごめんなさい……」


 二重の意味で羞恥だろう。自分に対して。零那に対して。


「吐くほどストレス溜まってるならグレるのも一手だぞ?」


「グレる?」


「不良になるってこと」


「そんなこと出来るはずが……」


「法律で罰せられる案件か?」


「それは」


 違うと言い切れる。


「髪を染めてみないか?」


「髪?」


 現時点の二葉の髪は黒色だ。


「金色とか似合うと思うんだよな」


 そんな零那の無責任な発言。


「つけ爪してさ。スカートも短く。ギャルになってみればどうだ?」


「でも」


 それは両親の反抗。少なくとも二葉の選択肢にはない。が、


「法律で決まっているのか?」


 と再度問われると答えようもない。


「――――」


 再度嘔吐く二葉。零那の提案と自身の義務感に挟まれて心が押しつぶされていた。


「うーあー」


 ゲロまみれの学ランを客観的に見やる零那。安い買い物ではない。


「親の言うことを聞くだけが人生でもないだろ」


「そう……だけど……」


 嘔吐く二葉。


「お前次第だが」


 と注釈を付けて、


「そこまで自殺してご奉公する宮仕えも不憫ではあるな」


「自殺……?」


「自身の心を殺しているだろ?」


「自殺……」


 自分の心を殺しているのだ。


「私は……逃げていいの?」


「辛いならな」


 結局は自身の問題だが。


 そんな零那。さすがに今日会ったばかりの女子……その心に肩を貸すほど零那の精神は大人ではない。


「詳しい対処法は養護教諭に聞いてくれ」


 それが零那と二葉の初対面だった。

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