そして優しい死神は僕を殺した
金石みずき
第1話
その日は雪が降っていた。
なんでも天気予報によれば今年一番の大雪だそうだ。
僕は病室の窓にスクリーンのように張り付いた水滴を手のひらで雑に拭って、外をぼんやりと眺める。
そうしている間、雪はただ静かにしんしんと降り続けていて、やがて世界を全て覆ってしまうかのように感じられた。
窓の外から視線を戻し、目の前のベッドで穏やかに眠る少女に目を向ける。
以前は快活そうに焼けていた肌は雪のように白くなり、病衣の襟から覗く首筋はすっかり痩せてしまった。呼吸に合わせて規則的に上下する胸だけが、彼女が今生きていることを訴えかけているようだった。
とはいえ、そう思うのは僕が以前からの彼女をよく知っているからで。
そうでない人ならば色白で少しやせ気味な少女にしか見えないかもしれない。今眠っているから表情がないだけで、少し前まではよく話し、よく笑っていたのだから。
だけど僕は彼女のこの先がそれほど長くはないことを、彼女の両親に聞かされていた。
『本当はこんなこと、啓介くんに話すべきじゃないんだけど……』
そんなことを言いつつ、おばさんは僕に結奈の病状について医師に聞かされたことを話し、「暇なときでいいから顔を見せてやって欲しい」と付け加えた。そんなことを聞かされなくても必ず来るつもりだったけれど、その言葉に「はい」と力強く頷いて決意を固くしたのはつい先日のことだ。
それから僕は暇さえあれば、足繫くここに通っている。
結奈も多分喜んでくれている。
だけどせっかく会いに来ても、面会を断れらる日が少しずつ増えてきた。僕はその度に何も出来ない自分を歯痒く思ったが、出来ることと言ったら、黙って拳を握りしめることくらいだった。
「…………んぅ……」
結奈の瞼が少し震えた。長い睫毛がゆっくりと持ち上げられていく。どうやら目が覚めたらしい。僕は彼女の傍に寄り、少し覗き込むようにして声を掛けた。
「おはよう、結奈」
「……あ、啓……ちゃん? ……おはよ」
どこか夢見がちな表情で結奈はへにゃりと微笑んだ。今さらのことだが結奈がその表情を見せるのは彼女の両親と僕くらいで、それが僕を心の底から信頼してくれている証のように思えてどこかくすぐったい。すると結奈が身体を起こそうとしたので、背中に手を回して手伝った。
「ありがと。……来てたんだ? ごめんね、退屈させちゃったでしょ」
「別に。眠っている結奈の顔を見ていたら退屈しなかったよ」
「……うわぁ。どういう反応すればいいんだろ。不細工じゃなかった? 涎とか、垂らしてなかったよね?」
「全然。綺麗だったよ」
「……そっか」
結奈は顔を赤らめて気まずげに目線を反らす。照れているのだ。彼女とはほんの小さい頃からの付き合いだけれど、こういう反応を示すようになったのは実は最近のことだ。
「啓ちゃんって最近変わったよね。昔はそういうこと、全然言わなかったじゃん。そんな台詞、誰にでも言ってたらいつか刺されるよ?」
「素直になっただけだよ。それに大丈夫。結奈にしか言ってないから」
「なら……いいけど。……いいのかなぁ?」
以前から結奈のことは好きだったのだが、ずっと着かず離れずの幼馴染をやってきた。先が長くないと知ってからようやく素直に気持ちを言葉に乗せられるようになったなんて、僕はとんでもない大馬鹿者だ。しかもまだ肝心なことだけは言えていないんだから、輪をかけて救いようがない。しかし、今長年の想いを伝えることが果たして正解なのか、僕には判断が付かなかった。
僕は今日学校であったことなどを簡単に結奈に話した。結奈は時折リアクションは取りつつも、基本的には静かに笑んだまま聞いている。
話題はその日あった出来事を中心に選んでいる。修学旅行など、未来を感じさせることを話すと、どこか寂しそうにしている気がするのだ。自分の病状について詳しくは聞かされていないらしいが、彼女なりに何か悟っているのかもしれない。
やがて疲れが出たのか、結奈がふわぁと欠伸を漏らし、うつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
「僕はもう帰るから、眠りなよ」と言うと、結奈は「ん、そうする」と、身体を横たえた。
ゆっくりと閉じられていく瞼に「おやすみ、結奈」と呟くと、とろんとした声で「おやすみ……啓……ちゃん」と返って来て、また僕が来たときみたいに規則正しい寝顔に戻った。
僕はもう一度、「おやすみ、結奈」とぽつり漏らしてから病室を去った。
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