第16話 原田雅晴・一日目その一

 面倒な事件が起こったものだと、原田雅晴はらだまさはるは思った。

 刑事としての直感だ。

 川に死体が遺棄してあったなんて珍しい話ではないが、この事件は何か臭う。

 そう思って現場に駆け付け、そしてその場の現場検証が険悪な雰囲気になった時、やっぱりねという気分になった。

 とはいえ、この段階ではそこまで奇妙な事件だと思っていたわけではない。ただ、面倒になるなとだけ思っただけである。

 見た目は普通の死体だった。白衣を着ていて、被害者は医者か何かかと思ったら、研究者だという話だった。この時点でも奇妙さはあったが、そこまで怪しむ必要のない事実だ。

 そう、一見するとただ死体がそこに遺棄されただけだ。しかし、鑑識がワイシャツを少し開けさせたところで、全員の顔色が変わった。

「これ、手術痕じゃないよな。こんなに大きく開くなんて、まるで解剖だぞ。こりゃあ殺人で間違いないな」

「素人がやったにしては、綺麗なもんだけどね」

 鑑識の綺麗というのは傷口の話だった。死体は大きく腹を切った跡があったのだが、しっかりと縫って閉じられていたのだ。

 しかし、まだまだ奇妙というだけで、殺人事件とは断定できていなかった。だからマスコミ発表は事故と事件の両面から捜査するとされたのだ。

 だが、司法解剖に回され、そこで監察医たちの顔色が変わったところで、事件はさらに面倒な色合いを帯び始めた。

「これはもう一つ死体が出てきますよ。しかもこれ、手術として成功していますね。この人、内臓を入れ替えられて一日以上は生きていたはずです」

 監察医はそう断言した。

 どうやら死体の内臓が丸ごと入れ替わっているというのだ。しかも、その代わりに入れられていた内臓の状態から言って、相当な知識を持つ医者か研究者がやったことは間違いないという。

「なんだそりゃ。可能なのかよ」

 原口がそう確認したのは当然だった。しかし、監察医は首を横に振ると

「難しいでしょうね。しかも、それほどの高度な医療を施しておいて、死んだからって川に遺棄するなんて意味不明ですよ」

 と困惑顔で言った。

 監察医でも解らないこととは、それは困ったなと、原口は彼女に連絡を取ることにしたのだ。

 昨今では奇妙な事件が多く起きていて、科学的なアドバイザーというものが必要になることが多い。そのアドバイザーの一人が土屋七海だ。




「原口さん。もうすぐ先生が到着します」

 G県警捜査一課の自席でこれまでのことを振り返っていた原口は、部下で相棒の落合桃花おちあいももかの声で現実に引き戻された。

「解った。写真と資料の準備を頼む」

「解剖の写真はすでに上がっています」

 落合はきびきびと答えて自分のデスクに向かった。奇妙な事件を前にして少し高揚しているようだ。そんな落合を横目に見ながら、犯人は何者なんだろうかと原口は再び考え始める。

 奇妙な事件なのだ。そしてどうやら、医学の知識が必要であるらしい。ここまでは確実だ。しかし、医者が救った患者を川に捨てるなんてことはしない。ここが問題だ。

 そもそも、捜索願を出されていた被害者の石田は、どこか病気だったなんて話は出てきていない。

 T大には付属の大学病院があり、そこに石田のカルテもあったが、それは実験中にぎっくり腰になって担ぎ込まれた時のものだった。つまり、違法に内臓移植を受けたなんてことは、まずもってないわけである。

「随分と大変な事件のようですね」

 考えに没頭していたら、優しい声音が聞こえた。部下の落合ではない。目線を上げると、いつの間にやって来たのか、土屋七海の姿があった。

「あっ、先生。すみません、気づかずに」

「いえ。渋滞に嵌ってしまって到着までもう少し時間が掛かりそうだったんですけど、その後でスムーズに動いたものですから」

 こちらが悪いんですと、土屋は優しく微笑む。

 一部では天才科学者ともてはやされる土屋だが、いつも物腰は柔らかい。長い髪がさらっと流れる様も優雅だ。

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