第15話
5人目の恋人 15
授業が終わりオタと別れ、駐車場を目指す。
途中広場を通り中庭に差し掛かった時、緑が生い茂る場所に見知った後ろ姿が目に入った。
モスグリーン色のカーディガンを着た男は、土の上でしゃがみ込んでいる。
何やってんだ・・・・何か落としたのか?
俺は出来るだけ気配を消して近づき、男の背後に立った。
「何やってんだ?」
「!?」
俺の声にビックリしたのか、彼はバランスを崩して地面に両手をついた。
その時手に持っていたのか、スマホも一緒に地面へ転げ落ちる。
「蟻!!」
「は?」
相手は慌ててスマホを拾い上げ体制を立て直すと、何かを確かめる様に地面を見つめて「はぁ、大丈夫だ」と呟き何かに安堵した。
それから首を捻り、不機嫌そうな表情で俺を見上げてきた。
「おいっ、気配消して背後に立つな」
「何してんだって」
「無視かよ・・・」
相手の言葉に敢えて答えない俺を、彼は一睨みしてからぷいっと顔を背けた。
ほぉ~~今度は俺を無視するんだな・・・
このままこの場を立ち去るのも癪に思い、男の隣にしゃがみ込む。
それに対して彼は面食らった表情を向けてきたが、それも一瞬の出来事で次には自分の作業に戻った。
どうやら彼は、地面にスマホを向けて写真を撮っているようだ。
何のために?
「何してんだって」
「見て解かんないのか?」
「解かんねぇ~から聞いてんだろう」
「蟻を撮ってんだよ」
「何故・・・弟の課題か?」
「・・・・・・・」
また無視かよ・・・そっちがその気なら・・・
黙り込んだ男の横顔を、俺も黙って見ることにした。
彼はひたすら真剣な表情で、地面を撮り続けている。
こうやって黙っていると、綺麗な顔立ちが際立って見える。
日々手入れでもしているのか、女が嫉妬しそうなほどのきめ細かな肌。
顔の作りはあっさりしているものの、黒い瞳を縁取る長い睫毛と薄紅色のしっとりとした唇が、同じ男とは思えないアンニュイさを感じさせる。
見た目こそ品があり大人しそうなのに、口を開けばガラリと印象が変わる。
それは猫を被っている時の彼じゃなく、俺にだけ見せる素の彼の姿。
最初こそ、そんな彼が嫌いで堪らなかった。
だけど今は・・・・・・
横目で盗み見るように向けてきた彼の視線と、俺の視線がかち合った。
黙って彼の顔を見ていたのが、気になったんだろう。
さっと視線は外されたが、ソワソワと居心地が悪そうにしている相手に、思わず笑いが込み上がってくる。
「で?何で蟻を撮ってんだ?」
「SNSにあげるんだよ」
「蟻を?」
「そう」
「SNSに?」
「そうだって!」
「蟻が好きなのか?」
「別に・・・今日まで存在忘れてたし」
「何で蟻なんだ・・・・」
意味不明な相手の行動に、軽く俺の頭が混乱する。
「SNSに何上げたらいいかわからないから・・・・生き物の写真とか手っ取り早いって言われて」
「生き物・・・・蟻が」
「蟻だって生き物だろうが!!」
何も間違ってないと噛み付くように言った彼に、俺は盛大に吹き出した。
やばい・・・天然かよ。
写真をSNSに上げる為に、真剣な表情で小さな被写体を撮ってたとは・・・・。
そんな彼の行動と必死な反応が、完全に壺に嵌ってしまい笑いが止まらない。
「なんなんだよ・・・アメンボだってオケラだって生き物だろうが・・・」
ぷいっと顔を背けた彼は、拗ねたように口を尖らせてそう呟いた。
2歳年上とは思えない幼いリアクションに、普通ならさらなる笑いが生まれそうだが、俺はそうならなかった。
彼の横顔が真っ赤になり、その色は首にまで染まっている。
それを見た瞬間、あの日に感じた胸がキュンと疼く感覚をまた感じた。
「もういい、鳥でも探して撮る」
本格的にへそを曲げたのか、彼は立ち上がるとくるりと背中を向けた。
行ってしまう。
そう思った俺は、反射的にアキの手首を掴んだ。
「何!?」
未だしゃがんでいる体制の俺を、首を捻って苛立った顔で見下ろしてきた。
何と問われても、何で彼を引き止めたのか自分自身でも理解できない。
無意識の行動に、自分が一番戸惑ってる。
「手放せよ」
アキの言うことは最も。
だけど、何故かこの手を離したくないと思っている自分がいる。
「・・・・鳥より・・」
「あ?」
「鳥より、良いのがいる」
最初は適当に理由を付けようと思って口を開いたが、瞬時に頭に浮かんだおぼろげな記憶に助けられた。
あまり関心なく気にも止めなかったけど、たしか・・あそこに・・・・。
俺は彼の手首を掴んだまま立ち上がると、記憶を頼りにそのまま医学部棟がある方向へと足を向けた。
そのまま中庭を通り過ぎて道路を横切った辺りで、俺は後ろにいる男をチラリと見た。
てっきり暴れるものだと思っていたのに、予想に反して彼は黙って付いて来ている。
うつむき加減だが、困惑している彼の表情が辛うじて見えた。
何かを堪えているかのようにキュッと結ばれた唇に、微かに頬が赤くなっていて・・・・・・俺の胸は再びキュンっと緩やかに締め付けられた。
*
医学部棟の近くにある、小さな休憩所。
数個のテーブルセットがあるこの場所に、薄汚れた犬が居た。
元はビーグル犬のようだが、長い間外で暮らしていたのか土やホコリで身体は汚れきっている。
確かこの辺で犬を見かけたと記憶の片隅にあったぐらいで、そこまで注意深く見ていなかった。
思った以上に汚い犬で、バンクはしまったと思ったがアキはそこは気にならないのか、犬を見つけると目を輝かせて近寄った。
そして犬の前でしゃがみ込み、手を伸ばして汚れなど気にせずに撫で始める。
「お腹がぽてぽてしてるから、皆からご飯貰ってるんだな」
彼が言う通り生徒達から食べ物を貰っているのか、犬は少し肥満気味に見える。
だからこの犬もこの場所から離れられずにいるのだろう。
「スマホかせよ、写真撮ってやる」
アキに向かって手を差し出すと、彼はさっとスマホを手渡してきた。
そして2歩後ろに下がると、彼のスマホを操作しカメラを起動させた。
「オレは写さなくていいから」
そう要求する相手に俺は返事を返さず、1人と1匹をスマホの画面に収めた。
犬に向けて優しげに笑いかけている彼の横顔に、シャッターボタンを押そうとする指が止まる。
目を細め白い歯を見せて笑う表情はどこか幼く見え、俺は呼吸をするのも忘れ・・・・見入ってしまった。
知らずの内に心臓の鼓動が甘いリズムを刻む。
そしてふと、彼がこちらに顔を向けた。
画面越しでお互いの目が合い、俺は咄嗟にスマホを下ろす。
なぜか・・・物凄く、後ろめたい気分になった。
「もう撮ったのか?」
いつまで経ってもシャッター音がしない事に、相手は訝しく思ったのだろう。
さっきの笑みは消え去り、今は不機嫌な顔を俺に向けている。
何だよ・・・汚い犬には笑いかけるくせに・・・
そんな思いが過ると同時に、イライラした感情が湧き上る。
「アキ先輩?」
少し離れた場所から呼びかける甲高い声が、辺りに軽く反響した。
呼ばれた本人はしゃがんだままの体制で振り返るも、サッと顔を背け「ゲ」と口から漏らし顔を歪めた。
その反応で彼にとっては、招かれざる客なのだと悟る。
ヒールを打ち鳴らしながら小走りでやってきた女は、「やっぱりアキ先輩だ。こんな所に居るなんてまさかとは思ったけど、カーディガン着てるから解っちゃったー」と彼の背中に向かって猫なで声で言った。
するとアキは観念したのか、立ち上がると彼女に向き合う。
「こんにちは、ミィナさん」
「やだぁ~呼び捨てでいいのに~~」
相変わらずニコヤカに笑いかけるアキの表情は、今でこそ余所行きだとわかる。
「それにしても、今年のムーンと一緒に居るなんて。仲いいんだね。久しぶりだね、バンク」
久しぶり・・・・?
馴れ馴れしく話しかけてくる女と、俺は会った覚えが一切ない。
それが表情に出ていたのか、アキは俺に体を寄せて「彼女、去年のスターだよ」と耳打ちしてきた。
そんな彼の言葉のお陰で思い出せた。
一ヶ月前に行われた、ムーン&スターコンテスト。
そこで去年のムーンとスターが、選ばれた今年のムーンとスターに小さなトロフィーを贈呈する。
一瞬だけだが、一緒の舞台に立ち・・・・確か並んで写真も撮った。
例え一年前に大学一の美女と選ばれた相手でも、記憶に残ってなかったという事は、自分にとって魅力を感じなかったんだろう・・・
ブラウンの髪は綺麗に巻かれ、小さな顔にも抜かりなく鮮やかなメイク。
多少化粧は濃くても、元々の顔立ちにはよく似合っている。
スタイルもバツグンで、確かに大学一に選ばれるだけあると思う。
だけど・・・・・・・何もせず自然体のままでも、本当に綺麗だと思えるのは・・・・・・
俺は隣に立つ男を見下ろした。
おい・・・何考えてんだ・・・ありえない、こいつは男なんだ。
「そうだ、アキ先輩!!SNS始めたんだよね!?フォロー承認制にしてるから繋がれなくて、申請するから承認してよぉーーー」
彼に詰め寄るように近づく彼女に、俺は咄嗟にアキの腕を掴んで自分の方へと引き寄せた。
「先輩、約束あるだろ。遅れるから行くぞ」
自分でも何でそんな嘘をついてるのか・・・・わからない。
ただ考えるよりも先に、俺は彼の手を引っ張りその場を離れるという行動に出ていた。
らしくない考えと、らしくない行動をする自分自身に狼狽してしまう。
それでも彼の細い手首を掴んだ手は離さず、一刻も早く彼女から遠ざけたい気持ちが大きかった。
続く
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