104話 白光の勇者はすくわれない③
大賢者の肩書を持つパーシェンは、しかしながら貧民街で生まれ育った。
父がどんな人間なのか、幼いパーシェンは知らなかった。
パーシェンの母親が、パーシェンにすら父親の素性を隠し続けたからだ。
──どうせ、ろくでもない父親なのだろう。
パーシェンは幼い頃から、名前も顔も知らない父親を軽蔑していた。
なにせ、体の弱い母と、幼い子供である自分を、貧民街に放り出して何とも思わないような男だ。
母は優しかったが、素朴で純粋な、言ってしまえば騙されやすい性格の女だった。
きっと父親が母親を
そうしてパーシェンは、クズな父親のかわりに、自分が母を守るんだと子供ながらに心に誓った。
母親はいつもボロボロの服を着ていた。
生活のために、金になるものはほとんど売り払ってしまったらしい。
けれども1つだけ、分不相応に豪華な宝石を、母親は肌身離さず着けていた。
その宝石を
それはきっと、自分の父親に繋がる手がかりなのだろう。
自分たちを捨てた男に、何の愛着があるというのか。
売れば、きっと慎ましく生きていくのに困らないぐらいの金が手に入る。
けれども母親は、パーシェンがいくら説得しても、その宝石を手放さなかった。
自分は今の暮らしで満足だからと、いつだって、悲しそうに笑うのだ。
貧民街時代のパーシェンは賢い子供だった。
すでに賢者の片鱗が出始めていたのかもしれない。
だが、その知恵は詐欺や
自分が悪事に手を染めて金を稼いでいることを、パーシェンの母親は知らない。
働いて稼いだ金だと言えば、すんなり信じた。
バカな女だ、だからクズな父親に騙されるんだとパーシェンは思った。
けれど、そのバカな母親が、パーシェンは大好きだった。
その母親は、風邪をこじらせて肺炎になり、あっけなく死んだ。
子供の割に稼いでいたとはいえ、貧民街で暮らすパーシェンには、薬はあまりに高価で、とても買えるような代物ではない。
困ったパーシェンは周囲の人々に助けを求めた。
だが、貧民街の悪ガキに力を貸す者はいなかった。
そして、パーシェンが長い時間をかけて、悪どい方法で、わずかばかりの薬を手にして帰ったとき、母親は息も絶え絶えだった。
母親は
「この宝石は、あなたの父親が、私たち家族が生活に困らないようにと別れ際に渡してくれたものです。ですが、愚かな私はあの人の贈り物を手放すことが出来ませんでした。そのせいで、あなたにはずっと辛い思いをさせてしまいましたね。受け取ってください。今から、この宝石はあなたのものです」
パーシェンが宝石を握りしめると、母親は満足そうに笑った。
「上手に生きるのですよ。パーシェン、あなたは賢い子なんですから」
その母の最期の言葉が、パーシェンの生きる理由になった。
──ええ、
そうして幼くして社会を
自分の”天啓”が
それはまさに、神の啓示だった。
パーシェンは、神は自分を成り上がらせるために、大賢者としての”天啓”を与えたのだと確信した。
この世界では、”天啓”がその人間の素質を決めるとされる。
ある日のこと。
男は、とある有力貴族だった。
疑り深い性格のパーシェンだったが、男が自分と母親しか知らないはずの、宝石のことを話したため、男の話を聞くことにした。
男は言った。
パーシェンの両親は互いに愛し合っていたが、時代がそれを許さなかったのだと。
2人はやがて惹かれ合い、1人の子供をもうけた。
それがパーシェンだ。
けれども、パーシェンの祖父にあたる当主が、2人が結ばれるのを許さなかった。
パーシェンの母が身ごもっているのが分かったとき、ちょうど当主がパーシェンの父と王国の姫との婚約の話を持ち帰ってきたのだ。
当時、別のある貴族の娘が、王太子との婚約を破棄して間男と駆け落ちをする事件が起きたばかりだった。
その貴族と同じように国王陛下の不興を買うのを嫌がった当主が、パーシェンの両親の仲を引き裂いた。
パーシェンの母親は、侍女として働いた記録さえも抹消され、屋敷を追放された。
男は当主に逆らうことができず、せめて生活に困らぬようにと秘宝の魔石を渡すことしか出来なかった。
それから時は流れ、男は家督を継ぎ、新たな当主となった。
そうして、かつて追放するしかなかった愛する人を迎えにきたのだという。
「おまえの母親が亡くなっていたのは残念でならないが、お前だけでも無事でよかった。これからは家族として一緒に暮らそう」
男の話を聞き終えたパーシェンは、必死に怒りを抑えた。
そんな都合のいい話があるか。
男が本当に母を愛していたというのなら、もっと他にいくらでもやりようがあったはずだ。
いままで何の連絡も寄越さずに親子を放置していたというのに、パーシェンが
おおかた、「家の者から大賢者を
しかし、パーシェンは父を名乗る男に、怒声ではなく笑顔を返した。
それから、パーシェンはその貴族の一員となった。
庶子の扱いではあったが、父親はパーシェンに金銭的な援助を惜しまなかった。
高価な服や、勉学に必要な教材など、パーシェンが望めばいくらでも手に入った。
パーシェンは表向きは「父は貧民街に身を落としていた自分を救ってくれた恩人」として常に感謝しているように見せかけたが、その裏では男を心底嫌悪していた。
──ふん、クズが。この服に使った金の、ほんの一握りでも、母が生きているうちに与えてくれたら。母はきっと、つまらぬ風邪で命を落とさなかっただろうに。
男が本当にパーシェンの父親なのか、パーシェンにとってはどうでもよかった。
相手が自分を利用するつもりなら、それ以上に利用しかえしてやるだけだ。
そして、ゆくゆくは、この家を遥かに凌ぐ権力を握るんだ。
そのときは、この貴族の家を取り壊しにして一族郎党を貧民街暮らしにしてやる。
そう誓ったパーシェンは、やがて大賢者の肩書を手にして。
そして、勇者と出会った。
結論から言うと、その出会いはパーシェンの歪んだ心を救わなかった。
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