美少女揃いのシェアハウスにはオタクな秘密が多すぎる。

ロザリオ

第一章 ライトノベル編

プロローグ

1話 あの子の秘密がヤバすぎる

鳥羽とばくん、おはよー!」


 ペタペタとリノリウムの床を叩く足音と共に、小鳥がさえずるような可愛らしい声が早朝の廊下に響いた。


 振り返ると、茶髪のポニーテールと制服のプリーツスカートをリズム良く揺らしながら、クラスの人気者、錦織にしきおりさんが駆け寄ってくる。

 遠目にも美人と分かる容姿に恵まれた彼女は、男連中からお姫様扱いされている、いわゆるスクールカースト上位の存在だ。


 錦織さんは俺と肩を並べると、軽く息を整え、きょろきょろと廊下に誰もいないことを確認してから、内緒話のように小さく口を開いた。

 

「あのね、鳥羽くんに聞きたいことあって……」


 戸惑い混じりに頷くと、彼女は頬を赤らめ、周囲を気に掛けるように視線をチラチラと彷徨さまよわせた。


 走ってきたせいで肩からずり落ちそうになったスクールバッグを掛け直し、乱れたスカートの裾を弄る細く小さな指先。

 長いまつげの奥から覗く大きな瞳は微かに潤んで見える。


 (これはもしや、告白……!?)


 息を整えようと上下する豊かな胸のうちには、今どんな気持ちが秘められているんだろうか。

 桜色の艶やかな唇から今にも紡がれるであろう、高校生活を懸けた告白を、俺、鳥羽とば快斗かいとは固唾をのんで待った。

 

「あのね……古代ローマの五賢帝って誰だっけ?」


「……………………へぇ?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出た。

 期待した熱い展開と現実との温度差が酷すぎてもはや風邪を引くレベルだ。なんだろう、それって世界史の問題ですよね?


 完全に沈黙していると、彼女は愛嬌たっぷりな顔で覗き込むように首を傾げてきた。


「おーい鳥羽くーん?」


「あ、はい……なんでしょう」


「だーかーら! 世界史の問題だって。ローマの五賢帝の名前おしえてよ?」


 しっかりきっちり言い直され、淡い期待は木っ端微塵に砕かれた。

 錦織さんは俺に気があったわけではない。世界史の問題を教えてもらうために声をかけたのだ。


 ――すなわち今日も俺の高校生活スクールライフは平常運転ということだ。


 テストの成績が良く、問題を出せば即答する。そんな認知がいつしか広まっていることが全ての原因。

 挙句の果てに「Chat TKT(鳥羽快斗)」なんていう、絶妙にイケてないあだ名まで付けられてしまっている始末。


「それ今日の宿題じゃなかったっけ……」


「ねーお願い! 堅いこと言わないで教えてよー?」


 正論で返す隙を与えず、伝家の宝刀たるプク顔で男子の急所を突いてくる。自他ともに認める優れた容姿を持つ女子は恐ろしい。


「ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウス=アントニヌス……じゃないかな。知らんけど」


「知らんけどってなにそれウケる。やっぱり物知りの鳥羽くんに聞いてよかったよー。じゃ、私ちょっと行くとこあるから、また教室でー」


 用は本当にそれだけだったらしく、錦織さんはあっさり俺を追い越していった。


 それでも流石はクラスの姫といったところか、去り際の営業スマイルを向けてきた。駆け足で前に進みながらも俺に向かって手を振っている。

 男子を沼らせる営業努力には感服するが、それでも廊下は走っちゃいけない。せめて前見て走ろうな?

 ――なんて、冗談半分に忠告しようかと思った矢先だった。

 

「きゃっ⁉」


 曲がり角に差し掛かった彼女が短い悲鳴を上げて尻もちをつく形で派手に転んだ。


 どうやら死角から不意に現れたもうひとりの女子高生とぶつかったらしい。カバンの中身は盛大にぶちまけられ、廊下には小物が散乱していた。


 だが、そのぶつかった相手が悪すぎた。


「ったく、痛いんだけど……」


 勿体ぶるように立ち上がり、乱れたスカートを整えはじめる女子。


 整った顔立ち。均整の取れたプロポーション。制服を着崩したスタイルは、否が応でも視線を吸い寄せる。

 まさに容姿端麗を具現化してみせる彼女の名は、河原かわら万智まち


 通称、《陽キャの女帝》と呼ばれる学年一の有名人だ。


「あーあ、こんなに散らばっちゃった」


「ごめんなさい! すぐ拾います!!」


 さっきまで笑顔を振り撒いていた錦織さんは、真っ青な顔で平謝りすると、すぐさま散らばった道具を拾い始める。

 それだけ必死になるのも当然だ。彼女は《美人だけど怒らせたらヤバイ女王様》と言われている。


「俺も手伝います!」


 俺も一声あげて荷物拾いに参加する。当事者じゃないといっても、ここで棒立ちしていたら「近くにいたのに手伝わなかった」という理由で噂の彼氏にボコされる可能性だってあるのだ。


 まずは手近な場所に落ちていた教科書を拾う。するとその下に1冊の文庫本が落ちていた。

 ブックカバーのついていない、長文タイトルのついた超典型的な「ライトノベル」だ。


「これって?」


「あんたそれ……」


 気が付くと、河原万智が嫌悪に満ちた目を本に向けていた。

 この進学校で「ライトノベルを読んでいる」と知られること、すなわち「二次元オタク」だと認定されることはスクールカーストのどん底への転落を意味する。


「鳥羽くん……」


 俺の陰に隠れるように立つ錦織さんの足は微かに震えていた。

 その反応で俺は察した。きっとこのライトノベルは彼女の持ち物なのだ。

 そして今、陽キャの女帝にその事実を知られてしまった。このままだと、これから彼女はカースト底辺で生きていくことになってしまう。


 ――けれど、俺なら彼女を救うことができる。

 学年でも成績上位の俺の偏差値を考えれば、「ちょっとオタクの趣味がある」と知られても今のカーストが揺らぐことはない。


 そう確信した時には手と口が同時に動きだしていた。


「これ、俺の本なんでっ‼」


「は……?」


 瞬間、河原万智の瞳が驚くほど大きく見開かれる。

 めっちゃ怖い。怖すぎる。

 だが俺は屈しない! 俺が盾となって彼女とこの本の尊厳を守りきる!


「なにバカみたいに必死になってんの。あんたオタクなの?」


「……いや、そういうわけじゃないけど」


「オタクの本をめっちゃ大事そうに抱えてるくせに? ウケる」


 意気込んだはいいものの、想像以上に言葉のナイフの切れ味が良すぎてメンタルがグサグサやられている。


「何か言いたいことあるの?」


 河原があおるようにめつけてくる。

 こういう時は黙ってやり過ごすのが一番だと分かっている。

 だというのに、俺は一言物申さないと気が済みそうになかった。


「偏見でどうこう言うのはやめた方がいいと思うぞ。これは普通の小説だし、俺も普通の高校生だ。知りもせずに馬鹿にするんじゃねぇよ」


「あ、そう」


 河原がドン引きしていた。体感温度がめちゃくちゃ低い。


 しかし、俺の惨めな抵抗の甲斐はあったらしい。河原は険しかった表情を少し和らげると、肩をすくめてため息を吐く。


「なんかもういいや。次からは気をつけてよね。あと、あんたの顔は覚えたから」


 それきり河原は荷物を手早く鞄にしまうと颯爽と廊下の奥へと歩いて行った。

 さらっと恐ろしいことを言われた気がするが、なんとか最悪の事態は防げたはずだ。


 胸を撫で下ろしつつ、俺は身をていして守りぬいたライトノベルを錦織さんに差し出した。


「はい、この本返すね」


「わたしの本じゃないんだけど」


「……へ?」


 衝撃のカミングアウト。

 この本は彼女と河原がぶつかった時に落ちたもののはずだ。なのに彼女の持ち物じゃないということは……?


「なんかごめんね? 私の代わりに鳥羽くんが『オタク狩り』のターゲットになっちゃったね……」


 ――オタク狩り。オタク趣味を隠していた生徒が突然不登校になる、という最近まことしやかに広まっている噂だ。


「ああああああぁ‼ そういうことかあああぁッ‼」


 つまり、さっきの事故は河原が仕掛けた罠。

 本来の狙いは錦織さんで、彼女にオタク趣味があるという噂を広めて貶めようとしていたのでは!?

 俺は勝手な勘違いをして河原の仕掛けた地雷をガンガン踏んでいたわけだ。


「えっと、それで、わたし急いでるからその本は鳥羽くんに任せていいかな?」


「え……あ、はい」


「ありがと! じゃあまた教室でね~」


 事態を飲み込み切れていない俺を放ってけぼりにして、錦織さんはけろっとした態度で早々に立ち去っていった。

 廊下には茫然ぼうぜんと立つ俺と、後始末に困るライトノベルが1冊。

 この本いったいどうすればいいんや。


 改めて本を手に取ると、ページが少しれていて既に読まれた形跡がある。誰かの私物であることは間違いないだろう。

 そう思ってページを繰ってみると、隙間から何かがさらりと抜け落ちた。

 拾い上げてみると、それは短冊型のしおり。


 ――その隅っこにはマジックで「河原万智」と記名されていた。


 しかも、しおりが抜け落ちたのはキリのいい小説第3章の最初のページ。

 明らかに絶賛読書中の使われ方だった。


 「まじかよ……。これ河原の私物じゃん」


 こうして俺は、「オタクの天敵である陽キャの女帝が、実はライトノベルを読んでいる」という、とんでもない秘密を知ってしまった。


 ……なんて、このときの俺は自分の不運に嘆いていた。


 これがすべて、河原に仕組まれた出来事だと知るのは、数日後のお話。

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