第四話 始《プロローグ》(其ノ五)
血の気が引く思いだった。
カイイが出たとしたらおそらく入り口の方。勝由が筒を見つけたと言っていた所だと思った。
村の近くにカイイが出たことで子供たちが家に避難した事態は滅多にない。それだけ強力なカイイだったのかもしれないと思うたび不安になり、焦る。
「おお、満輝くん!」
「うわああ!?」
とにかく村の入り口へ。
頭の中はそのことばかりで周囲を気にする余裕の無かった満輝は、突然横から話しかけられ酷く驚いた。
「無事だったか! 良かった良かった!」
「わ、
力持ちで酒豪の湾前という男。どうやら、丁度家から出てきたところだったらしい。驚きに大きく震える鼓動をどうにか宥める。
「全然姿が見えなかったからみんな心配してたぞ。お前の父ちゃん血相変えて探してたから早く行って安心させてやれ」
「あ、う、うん……。あの、湾前さん、カイイは? みんなは無事!?」
「お? カイイならあっちゅーまに退治してやったぜ! 俺たちの敵じゃあねぇな! まあ、今回はちと手こずったがな」
「怪我とかは?」
「ないない! 心配すんな! それよりほら、早く家に帰りな。母ちゃんの方は家でずっと待ってるってよ」
「そっか。ありがとう湾前さん」
満輝は、ほっと息を吐く。
みんな無事で良かった。「手こずった」と言っていたことから、怪我はないと言っても小さな傷は負っているだろうが。よくよく見れば湾前の腕に小さな切り傷が二つ三つ付いているが、本当にその程度でカイイを退けられたんだろう。現に村の空気は少し緊張した余韻はあるがいつもと変わらない穏やかさだ。さすがはこの村の人たちだ。
ここで湾前に会えたのは幸運だったと満輝は思う。
湾前は嘘をつかないし、周囲をよく見ている男だ。満輝の姿が村のどこにも見当たらなかったことは湾前も心配であり、今対面している間に聞きたいことはあるが、満輝の両親の様子と満輝の表情から己の用事は後回しで良いと考え、満輝を両親の元へ送り出そうとしている。
満輝は湾前の優しさに甘え、頭を下げると家に向かって駆け出した。
湾前の家から満輝の家まで然程の距離もない。元々森を開拓して広げたこの村は起伏も少なく非常に動きやすい場所だった。途中すれ違う村の人たちに無事なことを報告し謝りながら、平坦な道を進み何度か右左折をすれば見えてくる一軒の民家。その戸口の前に女性が一人立っている。
「母さん!」
満輝が大声で呼ぶと女性は驚いたように振り向き、安堵した笑顔を浮かべた。
「満輝! どこ行ってたのよもう!」
駆け寄ると、母親は両腕を広げ満輝を力一杯抱きしめた。
「どこにも見当たらなくて心配したんだから!」
「ご、ごめんなさい……」
苦しい、というより痛い。
満輝は母親の背をパシパシと叩いた。このまま抱きしめの刑というお説教にならないことを祈る。
その思いが通じたのか母親はすんなりと離れてくれた。
「母さん。それと父さんに話したいことがあるんだ」
母親が離れたタイミングで口を開く。母親は不思議そうに満輝を見つめる。
「話したいこと?」
首を縦に振る満輝の表情が今まで見たことのない緊張を帯びていることに母親は不安を覚える。
普段はすることのない真剣な顔を向ける息子の話を聞いてやりたい、聞いてあげなければと思う反面、聞いてはいけない、聞きたくないとも思う。
母親は葛藤を誤魔化すように目を伏せ、そして開くと同時に「わかったわ」と微笑んだ。
「父さんを連れてくるから、待っていて」
「うん。お願い」
自分が探しに行くとは言えなかった。さっきまで行方不明でみんなに心配をかけていた身で勝手な真似はできなかった。尤も、これから両親に村を出ると伝える緊張もあった。一人になる時間が欲しかったのだ。
引き戸を開け入った我が家は、朝もここで朝食を取ったはずなのに何故か懐かしく感じる。片付け忘れたアクセサリー作り用の工具を見つけて、引き出しにしまおうとしたところで手を止めた。逡巡した後、開けた引き出しから小さな巾着袋を取り出す。そこに工具ともう一回り小さな巾着を入れ、懐にしまう。巾着の他にゴム紐に宝石を通した腕輪のような物を三つ取り出す。少し大きめの宝石が一つだけというシンプルなデザインで子供には物足りないだろうが、その分後で好きなものを好きに付け足すこともできるし、使える幅も広いだろう。満輝は村を出る前にこれらを真弥瑠たちに持って行くことにした。約束をすっぽかしてしまうお詫びだ。
「……あと何を持っていけば良いんだ?」
本格的に村を出るのは満輝にとって初めての事だ。何が必要なのかまったくわからない。勝由に聞いてくれば良かった、と少し後悔していると、引き戸が開く。満輝の両親が帰ってきたのだ。
「満輝!」
「父さん」
「まったく、今までどこに……! みんなに迷惑をかけたんだぞ! わかっているのか!」
「ごめんなさい」
「村の入り口にカイイは出るしお前はいないし、万が一のことが起きてしまったのかと……」
万が一。もしかしたら今日己の身に起きたことはその万が一だったのかもしれないと満輝は思う。だからこそ話さなければ。
満輝は真剣な瞳で父親と母親を見つめる。
「そのこと……今日のことで、話さないといけないことがあるんだ」
*
満輝は朝両親と別れてから起きた出来事を順を追って話した。
いつものように村の人たちの手伝いをしたこと。子供たちに会ったこと。三郎という男に会ったこと。村の外に出たこと。満輝と同じ生贄だという明李という少女と勝由に会ったこと。
父親は腕を組み、母親はハラハラした様子で満輝の話を聞いている。勝由が特別な能力を持ち満輝と同じ生贄だったということに驚き、また満輝が攫われた話はショックで倒れそうだった。村では村長にしか話していない極秘扱いの満輝の能力のことをどうして他所から来た人間が知っているのかと、父親は眉を顰める。
ここまでの出来事を話し終えた満輝は吸い込んだ空気を静かにゆっくりと吐き出すと居住まいを正す。本題はこれからだ。
「勝くんと明李が何をしようとしているのかはわからない。明李のことも俺はよく知らない。でも、勝くんがいるんだ。俺は、勝くんのことは信じたい。俺にできる事があるなら協力したい。だから、二人に付いて行くために、村を出ようと思う」
言い切った後で満輝の胸に重くのし掛かる何か。これは後悔か不安か、その両方か。満輝の双眼が僅かに揺れる。
両親は満輝の言葉を聞き、息子の決断に返事をするべく思案しているようだ。しばらく音のない時間が流れる。
微かな衣擦れの音すらはっきりと耳に届く空間で、母親が徐に口を開いた。
「勝由くんは、元気だった?」
「……うん。昔と変わらず元気だった」
「そう。良かった」
微笑む母親の横で父親が口を開く。
「お前がここまではっきりとしたい事を言ったのは初めてだな」
「そう……だったかな」
「行ってこい」
「え」
あっさりと告げられた言葉に思わず間抜けな声が出る。引き留められると思っていた。満輝には特殊な力があるから安全でいられるように、安心できるようにと様々な制約を設けてきた両親だから、今回もまた止められるだろうと、そう思っていた。それが嫌ではなかったし、己を愛してくれているからだと理解していた満輝は、反対されても良かったのだ。いつの間にか満輝の想像には「行くな」と言われて「わかった」と頷く、その未来しかなかった。
「外に出て……良いのか?」
「勿論だ」
強く頷く父親。
諦めながらも憧れていた村の外へ両親公認で出られる喜びと未知への不安、何よりも外に出ることを認められたという感覚に恐怖を覚え困惑し、喜ぶことができない。
満輝の戸惑った様子に父親は苦笑する。今まで散々外に出るなと言われていたのに突然出てもいいと言われては困惑するのも当前か。これも、満輝のためを思ってこの場所に縛り付けてきたせいだろうか。——満輝のためとは随分と都合の良い言葉があったものだ。満輝の聞き分けがいいのを良いことに自分たちの我儘を押し付けていただけだ。
「俺たちはお前に過保護すぎたかもしれん。お前にやりたい事ができたならそれをやりに行けばいい」
もっと自由で良かったんだ。我儘で良かったんだ。そう言われているようだった。
「母さんも、いいな?」
父親の隣で黙り込んでしまった母親は、ハッとしたように顔をあげ頷く。まるで『心配』とでかでか書かれているような表情だ。満輝の胸がチクリと痛む。しかし母親は「満輝の思うように進みなさい」と微笑んだのだった。
「——ありがとう。父さん、母さん」
両親にここまで言われては迷っていられないと、満輝の覚悟は決まった。が、まだひとつ不安な事がある。
「もうひとつ父さんと母さんに伝えたい事があって」
「なんだ?」
「明李って子と勝くんのことなんだ。明李は生贄にはならないって言ってた。勝くんはそれに協力して一緒にいたんだと思うし、俺もそれに協力することになると思う。確か生贄はちゃんと捧げないと村が滅びるって言われてるだろ? もしかしたら……」
そこで言葉を区切る。本当のところは言葉にしようとして声に出せなかった。
しかし二人はその先を言われずとも理解している。
「こっちのことは気にするな。お前はお前たちのために全力を尽くせ」
「……ありがとう」
満輝はもう一度感謝を述べ、深く頭を下げた。
話し合いが終わり旅立ちが決まった満輝は最後の用事を済ませるため家を飛び出して行った。
「まさかこんな日が来るなんて」
見送った母親がぽつりと呟く。
「寂しいか?」
「当たり前でしょ。寂しいし、心配以上に心配」
満輝には普通の人間には無い特殊な力がある。故に鬼神に捧げられる生贄となる。せめて生贄として捧げる日までは穏やかな日々を送らせたかった。できることなら村を滅ぼしてでも満輝を連れて逃げ出したかったが、満輝がそれを望んでいないことも理解していた。
「——どうして、満輝なのかしらね」
「そうだなあ……」
あのような能力さえなければ、満輝も普通の男子と同じように過ごせただろうに。
いや、違う。満輝を普通から遠ざけてしまったのは自分たちだ。守るためと言いながら必要以上に縛り付けてしまった。反抗することもなく言いつけを守ってきた満輝にはどれほど我慢をさせてきたのだろう。
今まで通り村に居させるのと危険はあるが外へ出すのはどちらが良かったか、と母親に尋ねてみる。答えに困っている様子に、己と同じだなと父親は思う。
どっちが正しかったかなど到底わからない。それを決めるのはおそらく父親たちではないだろうことしかわからない。残すか送り出すか、どちらにせよ満輝の話を聞く限り村の中も絶対安全ではなくなってしまった。もっと安全な場所を作ろうとすれば満輝にはさらに窮屈な思いをさせるだろう。そんな人生ではあまりにも酷だ。どうせ危険なら外で様々な物を見て感じて広い世界で生きてほしい。無責任な話ではあるが、どこに行ったとしても生きていてさえくれればいいと思う。
「もっと早くに連れ出してやれば良かったな」
後悔先に立たず。気にしても今更だ。
今は満輝が村を出ることを村長に話し、村人たちに伝える内容も考えなければならない。秘密にしていた満輝の能力のことを外の人間が知っていたことも気になるしそこも含めて村長に聞いてみようと父親は気持ちを切り替える。一方の母親はまだ顔が強張っていた。
「大丈夫か?」
「……頭ではわかってるんだけどね。まだちょっと怖いみたい」
困ったように微笑む母親の手を握る。
「俺もだ」
二人にとって大事な一人息子なのだ。どう理由を並べても寂しさはある、不安もある。それでも送り出すと決めた。
こうしてたくさん悩み迷うのもまた、満輝が大事だからであり、二人は満輝の親であるからなのだ。
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