1842年
第四話 画家と少女の再会
「挿絵の話がなくなったってどういうことですか!?」
ジョンは思わず声を荒げたが、フロアにいる人々は一瞬顔を上げただけで何事もなかったように各々の作業を続ける。
「なぁ、そう怒らないでくれよ。編集長の意向さ。最近売れっ子のリーチに依頼し直そうってなったんだよ。お前はまだ若いし、これからいくらでもチャンスはあるさ」
編集者はジョンの肩を慰めるように叩いた。ジョンはその手を振り払いたくなるのをこらえ、その場を無言で後にした。
情けなさと怒りと悔しさで気持ちがグチャグチャになる。喜んでいたアンナを思うと、家に帰りたくなかった。
そんな時、角地に立つコーヒーハウスが目に入る。メアリーの父親が経営している店だ。アンナによると、メアリーは今ここで父親の手伝いとして店で働いているらしい。
ふと、ジョンはメアリーを懐かしく思い、会いたくなった。往来で逡巡した後、ゆっくりと店の扉を押す。
少し薄暗い店内には大きなテーブルが二つあり、片方のテーブルはほぼ満席で活発に会話が繰り広げられていた。土地柄、中国人が多いようだ。疎外感から既に家に帰りたくなる。しかも、店の奥には店主らしき人物の姿しか見えなかった。
さっさとコーヒー一杯だけ飲んで帰ろうと俯きがちに奥に進むと、「ジョン」と聞き覚えがある声が耳に届く。店主の隣に、見覚えのある垂れた眉毛の少女がいつの間にか現れていた。
「メアリー」
頭の中の幼かった彼女は、今や十一歳。すらりとした体躯の少女へ成長していた。
「随分と大きくなって……」
アンナのような口調になりながら、数年でこんなにも大きくなるのかと感動が込み上げてくる。
「久しぶりね! 父さん、こちら
滑舌良く喋る口調はジョンの知るものとは違ったが、弾けるような笑顔には面影が見られた。
「僕は元気だよ。君も元気にやってるかい?」
メアリーが大きく頷いたところで、「昔、君の話を娘からよく聞いたよ。君のお父さんもよくここへコーヒーを飲みに来ていたんだ」と父親が話に入って来た。
「そう、そうですね」
「君は顔は母親似だが、喋ると父親に似ているね。今日はコーヒーを飲む? 軽食もあるけど」
「ちょっと挨拶に来ただけなんです。会えて良かった。えっと……」
そこへ店の客から注文が入ったので、父親の代わりにメアリーがジョンの対応をすることになった。
「何か言いたいことがあったのではないの? 数年間会わなかったのに、突然会いに来るなんて」
「本当に君の顔を見たかっただけだよ」
メアリーは深く追求せず、「そうなの? 嬉しい」と朗らかに笑った。
「私、あなたの家に行かなくなった後も、絵が好きで今でも書いているのよ。ほら、あれは私が描いたの」
店の壁に飾られた一枚の絵をメアリーは指差した。一枚のバラのデッサンだ。
「信じられないくらいに上手になっている」
「あなたに教えてもらったことを思い出しながら描いているわ。ジョンは挿絵の仕事を今も続けているの?」
「あぁ……うん。でも……」
ジョンは十歳も下の子供に愚痴を言うのはどうかと思った。
小さなバックヤードで二人になると、ジョンは感情を抑えながら今日の出来事を話した。昔と同じように、メアリーは真剣な面持ちで話に耳を傾ける。
「何そいつ。ジョンの方が絶対にうまいのに」
「そんなことはないんだ。僕の代わりの彼は……ユーモアがあって温かみのある絵を描く。売れっ子なのもわかるよ、彼にしか描けない絵だ。対して僕の絵は……」
鞄の中からスケッチブックを取り出し、パラパラとめくる。
「とても平凡」
「綺麗な絵よ、何がいけないの」
「人の心に響かないところかな」
自分の絵を見れば見るほど溜息が出てくる。
「悪かったね、暗い話をして。そろそろ帰るよ。今日は話を聞いてくれてありがとう。また今度お礼をするよ」
立ち去ろうとするジョンに背に向かって、「人の心に響く絵って何? 私はジョンの絵を初めて見た時、感動したのを覚えているわ。猫の絵を描いてた」とメアリーが投げかけた。
彼女と出会った時、ジンジャーを描いたことを思い浮かべる。その記憶に引っ張られて、メアリーはよく独特な絵を描いていたのを思い出した。
「僕も覚えているよ。君は妖精の絵をたまに描いていたね。君の絵こそ僕より余程人を惹きつけるだろう。不気味でどこかユーモアがあって……あのセンスはななかな真似できないよ」
「じゃあ、ジョンも妖精を描けばいいわ。私よりずっと上手に決まってる」
「妖精画はよく描かれているよ。『夏の夜の夢』なんてメジャーな題材だ。珍しくはないし、僕も描いたことがある」
「それは本の中の妖精でしょ。実際に妖精を見て描くのよ」
真剣な眼差しのメアリーに、ジョンは苦笑した。この話ぶりからすると、今もメアリーは妖精を信じているのだろう。
「写生できたら、他の画家とは一線を画せるかもしれないね」
「私に任せて」
(つづく)
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