レディ

 優美であれ。風雅であれ。それこそがお前の価値だと、そう言われ続けてきた。


 腕は細く、腰はくびれ、尻は丸く、脚は長く。動作はたおやかで、いつも笑みを崩さず、余計な口をきかず、こころは穏やかに。

 夫が望む美を体現し、彼にとって一流のとして振る舞うことが、ルオンに求められた生き方だった。


 彼女を手に入れた男が、夫となる際に交わした『契約』は見えない糸となり、彼女を縛りあげた。


 彼女の顔や肉体には、くり返しメスが入れられた。生理現象としての老い――いわくくところの『ほころび』――を、彼女の夫が許さなかった為である。


 少しでも溜まった脂肪は吸引された。あらゆる関節は最高級の軟性緩衝材と交換され、繊状筋肉が融接された。肌の劣化を防ぐため皮膚下には流体ジェルが注入された。形を整えるために全身の骨が削られ、遺伝子治療によって細胞は書き換えられた。加齢に伴う機能低下は抑制され、内臓は働きの落ちた物から次々と人工臓器に切り替えられた。


 テセウスの船。あらゆる部品を取り替えた船は、果たして元の船と同じ存在と言えるのだろうか。


 偏執的な富豪による、これら肉体改造と維持の強制に対して、削ぎ落とされていく自分を何処か遠くから俯瞰ふかんするかのように、ルオンは一切の抵抗をしなかった。

 夫を愛していたから、というわけではない。


 ルオンにとって、もはや肉体は意味を持たなかった。

 自分の『中身』を置いておくだけの器に過ぎない肉の塊が、どのように形を変えたところで興味を持てなくなっていたのである。

 彼女がどこかの時点ですでに壊れてしまっていた、等と評するのはいささか短絡的に過ぎるかもしれないが。


 彼女は他者との繋がりの中にのみ、自身の存在を求め続けた。優先されるべきは夫――自分の所有者が満足する事であり、彼の幸福はいまや彼女の幸福でもあった。


 不慮の事故でその夫が急逝した後、彼女はようやく彼女自身の所有者となった。

 ルオンは彼の資産と事業を引き継ぎ、精力的に活動し始める。

 その目的はひとつ。夫から注がれた『愛情』の代わりとなるもの、即ち他人からの『評価』を得ることである。


 自らの存在を誇示し、他人の記憶に刻みつけ、決して忘れさせることのないように。その為に彼女はあらゆる事をした。合法、非合法を問わずして。

 それは程なくして犯罪組織・辰陽会の接触を受けることになり、やがてルオンはその一部に組み込まれたが、やる事は変わらない。


 人間同士を結びつけるストランド、それこそがルオン・ルーシーレイン自身だと彼女は信じ込んだ。その具現化がナイトクラブ『ストランド』だった。

 

 出会いと別れ、獲得と喪失、繰り返される夜と昼の狭間。

 目には見えない紐によって店に吸い寄せられる人間たちが繰り広げる人間模様。そのすべてが彼女の思惑の内にあった。


 ルオンは紐を伸ばす。表では実業家として名と顔を売りながら、障害となるものを容赦なく排除して、他者からの評価を求め続けた。壊れた精神がもたらす自己顕示欲求は留まるところを知らなかった。


 そんな日々の中、彼女が偶然に得た“本”の情報は、久方ぶりに胸に火を灯した。これを上手く使えば、自分の名はこの都市に永久に刻まれる事になるだろう。

 それが栄誉であるか、あるいは悪名となるか。そんなものは気にはならなかった。


 ルオンは無駄を嫌う。“本”を取引材料にしようとした身の程知らずの古物商はとっくに始末したものの、半年も過ぎた頃になって、その行方を探す人間が現れたという。


 辰陽会の力を借りて猿衆エンスーを動かしたが、どうやら失敗に終わったらしい。

 まあ、治安維持管理局の動きさえ抑えておけば、なんとでもなるに違いない。その間にゆっくりと始末をつけるつもりだった。


 考えが甘かった事に気がついたのは『ストランド』にその男が現れた時になってからだった。

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