第3話 オムライスと少女の変わり身

 どうしてこんなことになったのだろうか?


 俺は愛用のフライパンをリズムカルに振りながら、キラキラと大きな瞳でこちらを見ている少女をちらと見る。


 最初は警察に保護をお願いしようと思ったが、その後も少女の腹から獣の咆哮のように鳴り響く腹の虫の音を聞いて、本当に何日も何も食べていないのだと察して考えを改めた。


 家出をしたのか、はたまた親の育児放棄によって家を追い出されたのか。

 不思議な言語を喋っていたと思ったら、急に日本語を話し出したこと……色々と聞きたいことはあったが、まずは少女の腹を満たしてやりたかった。


 といっても店には僅かな食材しか残されていなかったので、あまった材料でオムライスを作り、それとは別に一人前だけ残しておいた看板メニューのクラムチャウダーを用意した。



「お待たせ」


 綺麗に盛り付けた二つの皿を少女の前に差し出し、スプーンを手渡してやる。


「これくらいしか出してあげられないけど、好きなだけ食べていいよ」

「あ、ありがとうなのじゃ」


 背筋を伸ばした少女は、意外にも丁寧な所作でオムライスを掬うと、大きく口を開けて卵とチキンライスによる赤と黄色の層を一気に頬張る。


「――っ!?」


 オムライスを口にした途端、少女の目が大きく見開き、大きな瞳がウルウルと震え出す。


「う、うう……」

「う?」

「うまい!」


 最初の一口こそ上品だったが、そこで我慢の限界が来たのか、少女はオムライスを勢いよくかき込むように食べ出す。


「食欲がそそられる甘い香りから、てっきりもっと甘い料理なのかと思ったのじゃが、甘いのは周りの卵だけで、中のライスに酸味と旨味が凝縮されておるではないか! しかも、具材に使われている鶏肉も、驚くほど柔らかくて味がしっかりと染み込んでいる。これは、下処理が丁寧に行われている証拠じゃ」

「あっ、うん……ありがとう」


 な、何だ? ただの行き倒れの少女が、いきなり食レポを始めたぞ。


 驚く俺を他所に、少女はオムライスを卵とチキンライスに分けると、プルプルと半熟になった卵を頬張り、目をトロンとさせて妙になまめかしい表情を浮かべる。


「しかもこの卵……ふわとろで絶妙な塩梅じゃ。だが、何だこの奥深い味わいは……甘味の中に僅かな塩気が……店主、この卵には何か秘密があるのかや?」

「えっ? あ、その……実は卵に隠し味として僅かに味噌を入れてあるんだ」

「ミソ? 聞いたことない調味料じゃが、なるほど……この絶妙なハーモニーの裏には、店主の深い想いが籠っておるのじゃな」

「あっ、うん……」


 呆然と俺が頷くと、少女は何度も頷きながら今度はクラムチャウダーへと手を伸ばす。


「――ッ、ううううぅぅぅん、こっちも非常に美味なスープじゃ! しかもなんじゃこれは……魚介……いや、貝の旨味が抜群ではないか!? それでいてベーコンや野菜とも喧嘩せずに一つのハーモニーを奏でておる。これはこれで一つの芸術作品として完成しておるぞ」

「お、お褒めに預かり光栄…………です?」


 この少女……一体何者なんだ?


 呆気にとられる俺には目もくれず、少女は忙しなくスプーンを動かして料理を平らげていく。


「うまい! 何てうまい飯じゃ! こんなうまい飯、久方ぶりじゃぞ!」


 ふと気が付けば、少女は涙を流しながら食べていた。


 …………まあ、いっか。


 色々と思うところはあったが、自分のしたことは間違っていなかったと思う。

 少女の涙は、かつて俺が異国の地で老夫婦によって助けられた時に流した涙と同じだ。


 言いたいことを言い終えたからか、夢中になってスプーンを動かす少女を、俺は子を見守る親の気分で黙々と眺め続けた。


 ただ、少女に食事を提供したことで俺の夕飯が無くなってしまったのだが……それは言わぬが花というやつだろう。



「ああ、幸せじゃ……」


 決して十分な量とはいえないと思ったが、少女は満足そうに腹をポンポンと軽く叩くと、居住まいを正して俺に向かって深々と頭を下げる。


「こんなにうまい飯にありつけたのは、久方ぶりじゃったぞ。店主、其方に心からの感謝を」

「お粗末様でした。せっかくだから食後のお茶を淹れるから少し待っててもらえるかな?」

「おおっ、何から何まですまぬ。ありがたく相伴に預からせていただくのじゃ」


 見た目の割に大人びた口調で話して頭を下げる少女を見て、俺は苦笑しながら空になった皿を回収して流し台へと向かう。


 手早く皿を洗い、お湯を沸かしながら俺は少女について考える。


 どう見ても十にいくかどうかの子供なのに、妙に大人びた仕草と喋り方をするのは、彼女が暮らしてきた境遇と関係があるのだろうか?

 日本語を話せるのだからこの国で暮らしているとは思うのだが、果たして少女の家庭環境に簡単に踏み込んでいいものだろうか?


「あっ……」


 そこで俺は、少女の名前すら聞いていなかったことを思い出す。


 複雑な事情を抱えていると思われるが、流石に名前ぐらいは聞いてもいいよな?

 少女の名前を聞くために、まずはこちらから自己紹介をしよう。


 やることを決めた俺は、二人分のお茶の準備をして少女が待つホールへと戻った。



「…………えっ?」


 二人分のお茶を手にホールへと戻ると、思わぬ展開が待っていた。

 少女が座っていた席に、見知らぬ女性が座っていたのだ。


 テーブルに肘をつき、物憂げな表情で何かを考えている様は、思わず見惚れてしまうほど麗しく、エアコンの風によってはらりと流れ落ちるサラサラの銀髪を見て、俺はあの少女が年を取ったら、きっとこんな美人に成長するんだろうな、なんて思った。


 いやいや、それよりあの少女の行方だ。


 女性の服装は、藍色のローブという少女と瓜二つの格好ではあったが、二人が同一人物のはずがない。


 もしかして、あの少女のお姉さんかな?


 そう思いながら消えてしまった少女を探す俺に、座っている女性はぱっ、と華やいだ表情を浮かべて手を振って来る。


「待っておったぞ。ささっ、どんな茶を淹れてくれたのじゃ? はようこっちに来るのじゃ」

「えっ、も、もしかして、君は……」

「何を呆けておるのじゃ。あれだけうまい飯を作る店主のことじゃ。其方が淹れてくれる茶を心待ちにして、さっきから気が急いてしょうがないのじゃ」


 その喋り口調、そして俺の飯を食べたという証言から間違いない。この女性……どうやらさっきの少女と同一人物のようだった。


 だが、頭で理解しても、それを受け入れられるかどうかは別問題で……、


「えっ……ええええええええええええええええええええええええぇぇぇっ!?」


 とりあえず俺は、店中に響く叫び声を上げるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る