第9話

 酷く体が重い。

 そしてとにかく眠い。

 でも意識が浮上した感覚に、そろそろ起きなければと思い留衣はぼんやりと億劫そうに瞼を上げた。

 目に入ったのは、最近すっかり見慣れた天井だ。

 ぼーっとそれを見上げながら。

(私いつ寝たっけ?)

 覚えていないことに首を傾げる。

 確かトゥーイの看病をしていた筈だ。

 そこまで思考がたどり着くと、留衣はがばりと起き上がった。

 勢いよく起き上がった留衣に驚いたように、ベッド脇に座っていたらしいトゥーイが立ち上がっていた。

「あれ?トゥーイさん、なんで」

 ベッドに眠っていたのはトゥーイで看病をしていたのは留衣だったはずなのに。

 トゥーイは目に見えてほっとしたような安堵の表情を浮かべていて、ますます留衣は不思議に思った。

 よく見れば、彼はラフな服に着替えて手袋もしている。

 顔色も良くなっていた。

「気分の悪さはありませんか?」

「え?うん、平気だけど。それよりトゥーイさんこそ体の具合は?寝てないと」

 慌ててベッドから立ち上がったら、留衣は夜着を着ていた。

 ニーナが着替えさせたのだろうか。

 トゥーイの方へ踏み出すと、彼は落ち着きなさいと一歩離れた。

「私の体はもう大丈夫です。あなたは痛いとかだるいとかはありますか?」

 何もないとふるふると首を振る。

 トゥーイはそれに細く長い息を吐くと、鋭い眼差しで留衣を射抜いた。

「あなたは馬鹿ですか!私に触れるなと言ったのに、よりによって体の機能が落ちているときに長時間触れ続けるなんて」

 鋭い切れ味の刃物のような声と眼差しに、おもわず留衣は身をすくませた。

「それは……ごめんなさい。でも苦しそうだったから」

「余計なお世話です」

「でも」

「あなたは!」

 しどろもどろに反論しようとすると大きく遮られ、思わずムッとトゥーイの顔を見上げると、そこにはどこか泣きそうな表情があって。

「死んでいたかもしれないんですよ」

 苦し気にうめいた。

 留衣がその顔と声に何も言えなくなると、ふいとトゥーイは部屋の扉へと向かい、出ていく間際にこちらへ背中を向けたまま。

「二度としないでください」

 言い切るとバタンと音を立てて扉は閉まった。

 置いて行かれた留衣は、まさかトゥーイにそんな顔をさせるとは思ってもいなかった。

だから、自分のした事が悪いとは思っていなかった。

けれどあんな顔と声を前にしてしまえば。

「謝った方がいいのかな……でも、悪いなんて思ってないのに謝るわけにもいかないよね」

 はあ、とため息をついた。

 コンコンと扉がノックされ、ニーナの声がかけられる。

 どうぞ入ってと答えれば、ニーナがワゴンを押しながら入ってきた。

「それは?」

「ホットミルクです。トゥーイ様より指示がありました」

 思わず何とも言えない表情になった。

 あれだけ怒ってたのに、気を使ってくれているのだ。

 カチャカチャと準備をするニーナに、留衣は小首を傾げた。

「私どれくらい寝てた?」

「二日です」

 思ってもいない返事だった。

「ふ、ふつか!え、嘘でしょ」

「ベロニカ様の対応された時から、ちょうど二日たっています」

「ということは、今は昼前……」

「はい」

 そりゃあ心配させるわ。

 留衣は我ながらそう思い、ひくりと口をひきつらせた。

 ニーナがお盆に乗せたマグカップを差し出してきたので、それを受け取り口に含んだ。

 ミルクの中に蜂蜜が入っているのだろう、優しい甘さが舌の上を転がって行く。

「あのさ、トゥーイさんの具合は?」

「完治しております。ニッポリア殿下が秘密裏に治癒魔法使いを派遣してくださいました」

「そーゆー裏技があったのね」

 がくりと脱力してしまった。

 そんな予定があったのなら、ちゃんと言ってほしかった。

 そしたら出勤だって無理に止めなかったのに。

「なんか空回りしまくって心配させただけじゃない、これ」

額に手をあて俯き、はあーと深々息を吐いた。

「私ってそんなに危険だったの?」

「トゥーイ様が目を覚ますまでのあいだ、体が必要としているエネルギーを与え続けていたので魔力の低いものなら死んでいたかと思います」

 ごくり、と思わず喉が鳴った。

 軽はずみな行動だったかもしれない。

「そりゃあ怒るわ」

 がくりと肩を落として、留衣は考え無しに動くのやめようと思った。

 着替えて応接間に行くと、トゥーイが騎士服の姿でフミの肖像画を見ていた。

「トゥーイさん」

 パタパタと駆け寄り、がばりと頭を下げる。

「心配させちゃってごめん、考え無しでした。心配してくれてありがとう」

「……」

 なにも反応がない事に、そっと頭を上げるとトゥーイはこちらをじっと見下ろしていた。

「トゥーイさん?」

「しばらく忙しいので食事の準備はいりません」

「え?」

 言うだけ言って、トゥーイは足早に応接間を出て行ってしまった。

 会った頃の時よりもよそよそしい態度だ。

 はあ、と何度目かの溜息をついた。

「せっかく仲良くなれたと思ったのに」

 フミの肖像画をちらりと見やる。

 暖かい微笑みに、なんとなく弱音を口にしたくなった。

「失敗しちゃった。空回りしてばっかりだよ、おばあちゃん。迷惑ばっかりかけてる」

 料理だって喜んでもらうつもりで作っているが、トゥーイには自己満足に付き合ってもらっているようなものだ。

 攻撃を庇おうとしたら、逆に庇われた。

 魔力をあげた事も迷惑だったのだろう。

 心配だってさせてしまった。

「でも、死んでたかもしれないって言われても、ピンとこないんだよね……」

 二日も目を覚まさなかったくせに、基本が能天気なせいかあまり深刻に思えなかった。

「また、仲良くなれるといいけど」

 その日トゥーイが騎士団に行ってから、まったくと言っていいくらい顔を合わせることが少なくなった。

 朝は留衣が起きるよりも早く出かけているようだし、夜も帰るのは遅い。

 ときおり留衣が起きている時間に帰ってきたりしても、顔を逸らして自室へと行ってしまう。

 今までだったら夕食後、一緒に応接間で食後のお茶を飲んでいたりもする日もあったのに。

「かたくなすぎる」

 庭の手入れ用にバケツに水を入れながら、うーむと留衣は唸った。

 昼食を持って行ってみようかとも思ったが、またベロニカと鉢合わせなどしたら目も当てられない。

「そういえば恋人か聞くの忘れたなあ」

 もし人目を憚る仲だったら、追い返したことも謝らなければならない。

 それに、もう一度ちゃんと触れたことを謝りたいと思ったが、また傷ついたような泣きそうな顔を見るかもしれないと思う。

「あれは嫌だな」

 凛として表情を変えない白皙の美貌が、まるで迷子の子供のようだった。

 あんな顔を、もうさせたくはない。

 バケツに並々と水を入れて、植木に水をやっていく。

 玄関の方まで向かうと、トゥーイが今まさに玄関の扉を開けようとしていて目が合った。

「トゥーイさん、うわぁ!」

 夕方の早い時間にも関わらずトゥーイが帰ってきたことに驚いて、慌てて出迎えようと声をかけたら右足をおもいきり左足にぶつけて盛大にすっころんだ。

 これにはトゥーイも驚いた顔だ。

 バケツをひっくり返してずぶ濡れになった留衣は、そこに座り込んだままうへえと呻いた。

 その様子を見てトゥーイが呆れたというように溜息を吐く。

「まったく、何をしているのですか」

 留衣の前まで歩いてくるが、当たり前だが手を貸してくれるわけでもないので留衣はぴょいと立ち上がった。

「トゥーイさん今日は早いんだね」

「……仕事がすべて片付いたので」

 不本意そうな声音に、ああこれは帰ってこないように根を詰めていたら、やることが無くなったんだなと推測する。

「風邪をひいてしまいますよ」

 トゥーイは右の人差し指を一度回すと、風が吹いて濡れネズミになっていた留衣の髪やドレスを一瞬で乾かした。

「わあ!すっごい」

「誰でも使える初歩的な魔法です」

 乾いたドレスの表面を撫でながら、凄い凄いと連発したあと、留衣は期待に膨らんだ顔でトゥーイを見上げた。

「ねえ、私も魔力あるんだよね。魔法使えたりする?」

 魔力があるというのならば、一度くらいは経験してみたいものだと留衣はわくわく顔だ。

「あなたは魔力が多いから出来るでしょうね」

「本当?やってみたい」

 自分の両手のひらを一度見下ろして、うきうき声を上げると。

「そうですね、じゃあ初心者には火の魔法が使いやすいので簡単な炎を出す魔法なら」

 トゥーイが右手のひらを上に向けると、ポッと小さな炎が現れた。

 赤い炎の形は、いわゆる鬼火のようだ。

「おぉうファンタジー」

 感動だ。

「どうやればいいの?」

「手の平を上に向けて、体に流れる魔力を指先に流すイメージですね。そして熱いものが飛び出すように念じます」

「んん?」

 言われたとおりに右手のひらを上に向けるが、そもそも魔力というものがどんなものかわかっていないのだから、指先に流すと言われてもよくわからない。

とりあえず熱いものが出るイメージを練ってみるが、まったく出る気配はなかった。

「魔力の流れってのがわかんない。みんなはどうやって感じてるの?」

「普通は最初に魔法の流れをコントロールする感覚を感じさせるものなので、イメージだけでは難しいかもしれませんね」

「そっか、じゃあトゥーイさんが教えてよ」

 簡単に頼んだ留衣に、トゥーイはわずかに眉のあいだに皺を刻んだ。

 留衣は面倒だったかなと思ったが、一度くらい魔法を使ってみたいと思う。

「……魔力の動きを感じさせるには触れなくてはなりません」

「そうなの?じゃあはい」

 あっけらかんと右手をトゥーイに差し出すと、ますます彼の眉間の皺が深くなった。

 綺麗な顔に皺がつくと何だか申し訳ない気持ちになる。

「あなた、怖くないんですか?私が前回みたいに魔力を限界まで奪ってしまうかもしれないんですよ」

 留衣はことりと首を傾けた。

「だって今、手袋もしてるし怪我してないし。そりゃこのあいだは気絶したみたいだけど、元をただせば怪我は私のせいだったから」

「あなたは危機感がないというか、能天気というか……」

 なんだか失礼な言い草だ。

「馬鹿な子ですねえ」

 小さく苦笑するトゥーイに、留衣はぱちりと目を丸くした。

 陽の光がチカリと瞳に反射する。

「さ、そういうわけだから魔力の使い方教えて」

 期待に満ちた眼差しに、トゥーイはやれやれと肩をすくめると、と留衣の左手をそっと取った。

 ほとんど触れるか触れないかという接触だ。

「あなたの中の魔力を動かします」

 すると、体の中の何かが流体のように左手の先に動いていく感触がわかった。

「うわあ、変な感じ」

「今の感覚を右手に意識してみてください。水が流れるイメージをすると、わかりやすいと思います」

言われて留衣は水が右手の先に流れていく用にイメージした。

体内を何かがゆっくり指先に動く感覚がする。

「そのまま右手の指先に集中して、炎が出るように念じてください」

「んん」

 若干、眉間に皺を寄せながらもなんとかトゥーイの言うように炎、炎と口の中で呟いて出ろ!と力強く考えると、ポッと小さな炎が右手のひらの上に一瞬出た。

 大きさは、はっきり言ってショボい。

 それでも。

「出た!トゥーイさん出たよ!」

 初めての魔法に留衣ははしゃいだ声を上げた。

「まあ、基礎の基礎ですけれどね」

 手を離したトゥーイが肩をすくめるが、留衣はまじまじと自分の手のひらを見つめた。

 自分の手から炎が出たなんて、いまだに信じられない。

 ただ。

「なんか小さいうえに、すぐ消えちゃったね」

 それだけが不満だ。

「魔力が膨大でも、勉強してコツが掴めないと魔法は使えませんからね」

「そっかー、でもちゃんと出たの嬉しいな」

 ふふ、と笑うとトゥーイも微かに口元に笑みを浮かべていた。

 その日以来、また以前のようにトゥーイは夕方には帰るようになったし、留衣を避けることはなくなった。

 そんなある日、夕食後に二人は思い思いに過ごしていた。

 留衣は応接間でトゥーイが貸してくれた初歩の魔法教本を読みながら、ちらりと向かいの長椅子に座って魔道具らしい何かの塊をいじっている男を盗み見る。

 テーブルの上には工具のような物が何個か置かれ、自室へ閉じこもらないのは珍しいなと思った。

 魔道具をいじるトゥーイは、目をキラキラさせていて見た事のない顔だ。

(なんか子供みたい)

 鳶色の目がわくわくとした色をたたえてい、普段の差になんだかドキリとしてしまう。

 それを不思議に思い、そんな考えを振り払うように首を一度振ったときだ。

「うっ!」

 ばしゃんと音がして顔を上げると、何か魔法を使って失敗したのかトゥーイの上半身がぐっしょり濡れていた。

「わあ!大丈夫?」

慌てて腰を浮かすと、トゥーイが立ち上がった。

髪も来ていた黒いシャツも水浸しだ。

幸いなのは下半身は無事なので、長椅子が濡れなかったことだろうか。

 はあ、と溜息を吐いてトゥーイは前髪をかき上げた。

「もうそのままお風呂入っちゃったら」

 もういい時間だしとそう提案したら。

「そうですね、そうします」

 うっとおしそうに張り付いたシャツのボタンを開いた。

 顔に似合わずほどよく筋肉のついた均整の取れた体が晒される。

 その体には縫い傷や火傷のあと、切り傷などがあり痛々しかった。

 どれも古そうな傷痕だ。

「わあ!」

 思わず目を逸らして留衣はあわあわと口を開いた。

「ま、前止めて」

「濡れて気持ち悪いんですよ」

「じゃ、じゃあお風呂準備してくる」

 ちら、とトゥーイを見やると目が合い、留衣はびくりと肩を震わせた。

「……気になりますか?」

「当たり前でしょ」

 問われて即答したら、何故かトゥーイの眼差しが何の感情も浮かべていない冷めたものになった。

 けれど。

「男の人の裸なんて近くで見るの初めてなんだから!」

「は?」

 留衣の言い分に、トゥーイが僅かに首を傾けた。

 濡れた長い髪が張り付いて、なんだか色っぽい。

「いや、裸気になるから前閉じて」

「そっちですか?普通は傷痕を気にされるんですけどね」

 言ったトゥーイにチラリと目線を向けると、確かに体の見える範囲は傷だらけでものによっては肉が盛り上がっていたり、色が変わっていたりグロテスクだ。

けれど留衣はぽり、と指先で頬をかきながら。

「……痛そうにしてないから、気にしてなかった」

 おずおず言えば、トゥーイが喉でくっと笑った。

 何の笑いだと思えば。

「大雑把ですね」

 どこか楽しそうに言うと、風呂に入ってきますとトゥーイは応接間を後にしたのだった。

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