289への応援コメント
鍛冶に特化しているとは言え、衆愚政治とは真逆の…民衆全員が王を正当に評価する眼を持ち、王もまたカリスマのみが求められる。一つの極致の様な体制ですね。
クソドワーフことアズヴァルドも成長が止まった段階ではなく、緩やかになった時点で自分で自分を評価できるのは職人の鑑ですね。
クソエルフことエイサーも、自分は変わらないと言いつつも…カエハの最期の一振りであったり、ウィンの成長であったり、ドワーフの未来に貢献したり…多くの経験をして、確実に積み重ねているはず。
ドワーフの王として腰を据えるエイサーは想像がつきませんが、最高の師匠であり最高の友人であるクソドワーフの最期の場には何を置いても、それこそ王になってでも立ち会う未来しか見えないのですよね…。はてさて。
長文失礼いたしました。
今後も楽しみにしております。
作者からの返信
価値観が違う生き物だから成り立つ体制かなとは思います
286への応援コメント
石像は大抵、人の寿命よりも永く残るので歴史の重みを感じさせますが長命種であるドワーフ、更に永く生きるハイエルフにとっては一種のアルバムの様な物になるのでしょうか。なんだかそこに可笑しさ?趣?(語彙がなくてすみません)を感じます。更新ありがとうございます。
作者からの返信
結構面白い例えですよね
写真って長く残る感覚があると思うんですが
実は何十年かで劣化しますよね
歳を重ねるとそれもわかってきますが、若い頃は感覚としてはわかりません
この頃のエイサーはまだ石像は長く残ると無条件に考えてしまってるのでしょう
若者が写真は長く残ると考えるように
という訳で、アルバムって表現はとても良いかもしれませんね
編集済
308への応援コメント
あらまぁ…(語彙力)
作者からの返信
あら……