第5章 「アイドルはやめらんない」5

 ステージ脇に上がる俺に差し出される手のひら。

「おかえり」

「ただいま……。すまない。遅くなった」

 ステージでは前のグループが歌っている曲が終盤に入っていた。

「あゆむから話は聞いているわ。多少振りとか間違えても、私がフォローするから」

 涙歌に、「頼りにしているよ」と言うと、「私もよ」と返された。

「足、引っ張んなよ」と発破をかけてくる卯月に、「お前こそ」と返し、互いに顔を見合わせて笑い合う。

「あゆむちゃんのためにも負けられないですね」

 咲月は気合十分といった感じだ。

「俺たちであいつ決勝に連れて行こう! 今度はあゆむがここに立つ番だ」

 とは言うものの、音楽やダンスに勝ちや負け、優劣をつけるのはナンセンスでしかない。俺は誰かのためにじゃない。俺たち応援してくれる一番のファン(あゆむ)のためだけに、今の自分に出来る最高のパフォーマンスをするだけだ。ともかく楽しんだやつが勝ちなんだ。結果はあとからついてくればいい。

「楽しんでいこう!」

 俺はみんなを鼓舞すると、前のグループがステージから掃けるのを合図に俺たちは飛び出した。

 定位置に立つと、横にいる涙歌の膝が微かに笑っていた。

「ずっとこんな日が来るのを夢みていたのに、その……私の夢が、もうすぐ叶うって思ったら、膝が震えて」

「『私の』だけじゃないだろ? あの頃の、そして、今の『二人の』夢だ。安心しろ、俺がそばで見守っているから。だから、涙歌も見ていてくれ。これまでの俺、これからの俺を……。一緒に頑張ろう」

 観客席に見えないようにそっと手に触れると、「うん」と言って涙歌はうなずく。

 俺は大きく息を吸い込み、吐き出した。同時に、曲が流れ出す。

 もう一度、今度は小さく息を吐き出す。と、自然と体が動き始めた。出だしの歌は声が震えているのが自分でも分かった。でも、歌うほどに、曲と馴染み、息をするようにメロディーラインを追いかけていた。

 それから、とにかく無我夢中で歌い、手足を動かした。しかし、どうしても練習不足は否めず、失敗しそうになってしまう所や、歌詞に自信がない部分はあった。そんな時は、涙歌が俺に調子を合わせてミスを目立たないようにしてくれていた。

 月野姉妹の方も、じっくり見ている余裕はないが、互いにフォローし合っていた。むしろ息がピッタリ合っていて、ペアとして完成されていると言えるだろう。

 サビへと突入して、涙歌と卯月がツインボーカルで会場を盛り上げる。涙歌の綺麗な歌声と卯月の力強いボーカルが見事なハーモニーを奏で、それが胸を熱くたぎらさせる。

 と、徐々に会場からポツポツと拍手が聴こえてきて、曲にシンクロしていく。それをきっかけに、みんなのテンションが上がっていき、会場のボルテージは加速度的に増していく。手が、足が、自身の限界を超えて動く。今まで出来なかったことを実現するように、想い描いた理想を体現するように舞い、踊った。胸が激しく鼓動する。全身の毛穴から汗が吹き出しその瞬間に乾いて頭上で雲が出来ている。

 会場にいる全ての観客が俺たちを見ているような気さえした。

 曲が終了しても、拍手が鳴り止まなかった。

 会場を埋め尽くさんばかりの拍手の雨。梅雨の終わりを告げるような激しい雨音が胸を打つ。

 ステージ上から見ると、あゆむが会場から俺たちに向けてピースサインを出すと、惜しみない拍手を贈ってきた。

 咲月は、自分の足でしっかりと立っていた。卯月は、会場を真っすぐに見つめ、天高く拳を突き上げていた。二人とも実に堂々と胸を張っている。おそらく、同じ景色を見ているのだろう。

 激しい息遣いの中、俺は隣に立つ涙歌の方を見た。涙歌もこちらを見つめていた。

 どちらからともなくうなずく。その拍子に、二人の目から大粒の涙が溢れた。

 あの約束の日から始まり、今までの遠く果てしない道のりが走馬灯のように脳裏を駆け抜けていく。喜び、傷つき、苦悩した日々。それは多分涙歌の方も同じなのだろうと、流れゆく雫を見れば分かるような気がした。

 捨ててしまったもの、手に入れたもの。その全ての日々の結果、今、この瞬間を迎えている。夢を捨てたはずの俺は、夢のただ中にいるのだと思った。

 涙歌の瞳に映る俺は、ひどく不細工な表情をしている。我ながら、まったく締まらない顔をしているものだ。夢ってのは、こんな顔をしながらみるものじゃない。

 だから、俺は笑った。

 涙歌も幸せそうに笑った。

 俺たちは互いの夢を目にしていた。

 あの頃夢みた二人の姿は、今の俺たちだった。

「ずっとこの瞬間を夢みていた」

 そう口にした時、俺は実感した。

 夢が叶ったのだと――。

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