第22話 向こう岸まで1

 ロドとメイタロウは歩いてスラムの端、対岸に試合会場のドームをのぞむ川岸まで出てきていた。


 夜は更けに更けて、最早レセプションパーティー終了までに顔を出す時間もない。

 完全にすっぽかすことになるが、開き直って二人ともゆっくりそれぞれの帰路につくことにしたのだ。

 そうしてぶらぶらここまで歩いてきた。


 広い川の向こう岸は、群れた摩天楼の明かりに嫌と言うほどキラキラ輝いている。

 遠くから眺めれば眺めるほどに、そこは勝者の街だった。


 そしてその勝者の街をスラムからはよく見渡せるが、向こうへ渡る橋は一本も架かっていない。それを改めて問いただす人もいないから、橋は永遠に架からないままだ。

 海に注ぐ前の大河口を挟んで、まったく別の世界が向かい合っている。このアンバランスを。

 対岸から流れてきたとおぼしき薄汚れたヨットだけが、船体をキィキィ言わせながら川岸に引っ掛かっていた。


 スラムに打ち寄せる川面の悪臭を巻き上げながら、夜風がメイタロウの髪を吹いていく。

 とりあえずラビィに保護者が現れたことは一安心だが、これからのことは見通せない。

 ラビィにも自分にもそう言いたくはなかったが、このまま彼女のもとには誰も帰ってこない可能性が高い。もしそうなったら……。


 向こう岸では高層ビルが、届くはずのない空高くまで光を届かせ、ネオンサインがまばゆく輝きを放っている。

 それとは次元を違えるほど深い闇をたたえるこの場所を照らすこともなく。


 川岸に打ち寄せるゴミを足下に、メイタロウはしばらくそれを眺めていた。

 そして、


「ごめん、大丈夫だよ」


 そう呟いた。

 ロドがじっと自分の背を見ていることに気が付いたからだ。

 そうやって言葉もなく刺さる配慮の視線には慣れている。虚勢を張るくせに一人では何もできないのだから、そりゃ心配もされる。

 昔からそうだ。


 苦々しげに身の上話なんてしてしまったし、特にロドには、メイタロウが己の無力に憤りも通り越して諦念すら抱いているのを見透かされているような気がするから。


 市長になったリン先生と、プロ魔術師になったスオウ。

 そして迷走する自分。教え子一人救えずに。


 川辺を見ながら、色んなことを考えていた。考えるだけで、何もできない自分のことも。


 ただ、


「誰も傷付けずに生きていけたら、それでいいよ」

「ロド……」


 それは静かな水面に、波紋を広げるような声だった。


 どうやらロドは迷走魔術師の心配をしているわけではないようだった。

 彼女はそのままメイタロウを追い越して岸辺の際に立つと、向こうの景色を一心に見つめ続ける。

 何を考えているかは相変わらず分からないが、メイタロウが今まで出会ったどんな魔術師よりも、まっすぐで揺るぎない瞳だった。


 誰も傷付けずに生きていけたら。

 それはおよそ彼女のレベルまで達した魔術師が放つ言葉ではない。

 相手を制して、倒して、フィールドに勝利を飾る。飾り続ける。それが皆の理想とする魔術師の在り方なのだ。

 でも……。


 彼女もいつかメイタロウと同じような景色を見て、悩んで、そしてさっきの答えにたどり着いたのだろうか。

 いまだに彼女のことをよく知らない。

 しかし今まで見てきて一つ分かるのは、どんなに強くて実力があっても、ロドもメイタロウと同じ。ここに立って明日に迷う、一人の魔術師だということだ。

 

 ……ラビィが魔術教室に来たら、いつものように受け入れよう。

 あのとき、メイタロウとスオウを受け入れてくれたリン先生のような先生にはなれない。それは知っているけど。

 自分にできることをするのだ。


 魔術学校に通えない子どもに魔術を教えてどうするんだ、なんて言う人もいる。彼らにとっても社会にとっても何の益にもならない。益にならないなら必要ない。……そう信じている人が、驚くほどたくさんいる。

 だがその言葉が否であることが、メイタロウには分かるから。


 ロドはまだ、向こう岸の景色をじっと見据えていた。羨望も畏怖もなく、ただ、じっと静かに。


 青年も今はただ、この分離した世界の、暗闇に落とされたこちら側に立っていることを誇りに思っていた。

 今も、大会での優勝や、強い魔術師への憧れは変わらない。だがそれと同時にやりたいことがあるのだ。今やっと気付いたことが。

 

 世界はいまだに闇の中で。事態は何も好転してはいない。

 それでも自分の中に巡る新しい潮流に、青年はしばらく瞳を閉じていた。

 

 そして。

 思案にふけるメイタロウを試すように、ふと、一陣の風が通り抜けていった。

 感じた悪寒に、思わず風が来た方に目を向ける。


「何だ、あれ……?」


 目を向けた視線の先。

 そこに赤い光が灯るのをメイタロウの目は見逃さなかった。

 青年の呟きと、対岸の競技魔術用ドームの天井が燃え上がるのは同時だった。

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