現実:23
不思議と目覚めは悪くない。
ゆっくりと瞳を開けて、体を起こす。
漂う空気に熱が染みていて、俺はそこに
「トーチ、いるか?」
俺の呼び掛けに答える声はない。
ここはBLUEの塔の地下廊下。
階段には、全身を黒炭に変えられた焼死体が転がっている。
記憶は一続き。
気を失う前と状況は変わっていない。
記憶の断絶がないことに、俺はそっと安堵した。
「生きて、るわけはないよな」
改めて俺は焼き焦げの物体に声をかけるが、当然何の反応も示さない。
周囲を見渡しても、人を一人燃やし殺した赤い髪の女の姿はない。
どうやら俺と死体を残して、先に進んだらしい。
「俺は殺さず、放置か。トーチは怖いくらいに自らの哲学に従順だな」
発火能力者の判断基準は背筋が凍るくらいに明確だった。
嘘吐きと殺人犯は燃やし殺す。
俺が生きているのは、そのどちらでもないとトーチが判断したからだ。
『テレポーター? 非常に興味深いわね。その子は、どんな外見をしてた? 他にも特徴はあった?』
アキラが入り込んでくるあの非現実的な世界で言われた言葉を思い出す。
毎回俺が気を失ったタイミングでのみ現れることから推察するに、あれは俺の心象世界、要するに心の中だ。
詳細はわからないが、この館に俺たちを閉じ込めたあの女には、他人の心の中に侵入する異能があるらしい。
スノウが死んだと伝えた時の、アキラから感じた疑念の気配。
その理由には俺は、一つ仮説を立てることができていた。
「おそらく、スノウは死んでいない」
高火力で炙られて、原型の面影が一切なくなった焼死体を眺めながら、俺は確信していた。
スノウは死んでいない。
より厳密に言えば、この焼死体はスノウではないと言った方が正しい。
“前提一、館の中にいる七人の中に、一人、殺人鬼がいる”
この一つ目の条件から分かるように、この館には七人の人間がいる。
七人という数は、俺たちを閉じ込めたアキラの言葉だ。
つまり、ここに嘘はない。
“前提二、アキラはこの館にいる者の名前の認識が俺とは異なる”
もはや人間だったかも定かではないように思える焼死体から目を離し、俺は誰もいなくなった階段を上がりながら思考を進めていく。
先ほどアキラが俺の心の中に侵入した際に交わした会話からすると、スノウが死んだという状況は、彼女からすれば違和感を覚える事態ということ。
だが、
つまり、今回死んだのは、転移能力者ではないということだ。
“前提三、嘘吐きは発火能力者に燃やされる”
階段を上がりきり、扉を開け放っても、そこにトーチの姿はない。
ここにも熱の燻りが残っていて、苛烈な断罪はまだ続いていることが分かる。
スノウが燃やされていないとしたら、ではあの焼死体は誰なのか。
答えはあまりにシンプルだ。
トーチに燃やされたのは、フウカ。
簡単な消去法で、答えは導き出される。
トーチが推理した、フウカの異能である“
これが、間違っていた。
おそらくフウカの本当の異能は、“
自分以外の何者かの姿を、自身に投影することができたのだろう。
フウカが、死んだ。
三人目の犠牲者は、
そう考えれば、辻褄が合う。
「今思えば、二度目に地下で出会ったスノウも、あれはおそらくフウカだったんだろうな」
空っぽの大広間を抜けて、二階の回廊部へと足を進める。
オゾンとプレイと共に館を散策していた際に、一度俺たちはスノウを見かけている。
あの時に、何も言わずに走り去ったのは、あれが転移能力を持ったスノウではなく、擬態したフウカだったからだ。
「……あの野郎。本当に心のない奴だな」
ぼうっ、とその時、炎影が揺らめく。
俺が次に開いたのは、次の塔へと続く廊下の扉。
その先には、荒れ狂う雷雨の海に似た炎波で埋め尽くされていて、慌てて扉を閉じる。
俺は一人、取り残されている。
トーチが他の塔へと続く廊下を、炎で封鎖しているのだ。
“前提四、夜が明けるまで生き残れば、ここから出れる”
そして、インクが試してみた通り、この館には異能が通じない。
つまり、七人全員が、この館の中に取り残されている。
残った者は、インク、トーチ、スノウ。
この中に、連続殺人鬼がいる。
ただ、俺たち犯人以外にとっては、誰が殺人鬼かを特定するのは、あくまで条件を達成するための通過点にしか過ぎない。
最も大事なのは、生き残ること。
その一点に尽きる。
「生き残る方法は、もう見つかってる」
俺は今更ながらに、暗鬱な気持ちになる。
答えはすぐ目の前にあった。
生き残る方法は、簡単なものだった。
疑心暗鬼という罠に、引っかかってしまった。
目の前にいる人々を信じ合うだけで、俺たちは全員が生き残ることができたはずだったのだ。
——風が、通り抜ける。
閉じ込められた俺が最後に開け放ったのは、テラスへと続く扉。
気づけば月と星以外に灯りのない、静謐な闇が広がっている。
安息地は、すぐ目の前にある。
連続殺人鬼は、まだ姿を現さない。
「トーチは正しかった」
あの聡明で冷淡な発火能力者は、連続殺人鬼を二人に絞った。
フウカかインクか。
そして次に、インクの命を賭した情報提供を受けて、その行為を論理的に解釈し、
犯人は、フウカ。
透明化能力を使って、フウカが連続殺人を行った。
それがトーチの最終結論だ。
「間違ってない。推理は、間違ってない。間違っていたのは、犯人だけ」
殺害方法。
トーチが構築した連続殺人の手法は、正しい。
違っていたのは、フウカの異能だけ。
「この館に、
ちょうど俺から見て、反対側の塔のテラスの扉が勢いよく開く。
先に、黒い燕のようなものが凄まじい速度で空に飛び立つのが見えた。
遅れて明滅する赤。
扉の内側から、夜を眩しく照らし出す火炎が吹き荒れる。
「
黒い燕が、塔の中央に降り立つ。
月光に照らされる中、その燕が静かに俺を見つめる。
テラスから先に行けるのは、この館で彼女以外には存在しない。
「もっと早くに気づいていれば、俺たちは、きっと……」
迸る炎が消え、その向こう側からトーチが感情のない表情で姿を見せる。
これでおそらく、館の内部全てを燃やし尽くしたのだろう。
それでもまだ、断罪が終わっていないということは、まだ
「嘘吐きは、燃やされる」
おそらく俺と同じ結論に至ったのであろうトーチが、彼女が立っている場所の一つ隣の塔のテラスを燃やす。
逃げ場がないように確実に燃やし尽くしてきた。
だが、僅かな抜け道があった。
それがこのテラスだ。
ここはまだ、燃やしてない。
「ああ、次は、俺か」
空っぽの塔の何もないように見えるテラスに、また火が灯る。
炎が立ち昇ったのは、俺の立つ場所のすぐ隣。
これで、二つ燃えた。
次は、俺の立つこのテラス。
そこで俺の、役目は終わる。
反対側に立つトーチの瞳には、何の感情も逡巡も映っていない。
最後にと、俺は六つの塔の中心に立つインクの方へ視線を向ける。
きっと彼女が立つそこに、火は灯らない。
なぜなら彼女以外に、その場所に辿りつける者は誰もいないから。
「君は、生き残ってくれよ、インク」
三つ目の、火が灯る。
俺の前後左右から凄まじい熱量が忽然と現れ、息をすれば喉がひりついた。
悲鳴は聞こえない。
きっと、ここにもスノウはいないのだろう。
でも、それでもいい。
断罪は、じきに終わる。
それだけで、十分に思えた。
「——うぇっ!?」
唐突な、浮遊感。
気づけば俺の体は、真っ暗な夜空に放り投げられていて、熱は遥か下方。
すぐに凄まじい引力に煽られ、俺は硬い地面に自由落下していく。
転落死と焼死。
どちらがましか、自然と考えてしまう。
「言ったはずですよ。骨くらいは、拾ってあげますって」
ついに地面に叩きつけられる寸前、ビタリと俺の体は宙空で止まる。
その後、こつんと雑に下に落とされた俺を覗き込む、黒髪の少女。
業火の断罪から俺を救い出した彼女は、優しく俺に微笑む。
「インク?」
「……でもまだ、夜は明けないみたいですね」
しかし、その微笑をすぐに隠して、インクは緊張に強張った鋭い表情を見せる。
五つ目の、火が灯る。
俺の生死を気にすることなく続けられた断罪。
まだ、終わらない。
条件と結果が、答えを導く。
一瞬の戸惑い。
刹那の隙を、透明な殺意は見逃さない。
六つ目の塔に立つ、トーチが何かに気づいたように急いで振り返る。
瞬間、飛び散る赤。
その赤は、断罪の炎ではなく、濡れた血潮。
狡猾な殺人鬼は、ついに色を手に入れる。
喉から溢れる血を手で抑えながら、最後まで無表情を崩さないトーチが、そのままテラスの柵に背中を預けるようにして、ぐらりと崩れて落下する。
ぐちゃ、という鈍い音が、小さく響く。
真紅の炎が、消える。
トーチが、死んだ。
四人目の犠牲者は、
また薄れていく意識の中で、俺は塔のテラスの上で、白い髪を靡かせる少女が思案げな表情でこちら見つめている姿を最後に見た。
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