現実:20


「目を覚ましたか。他人の死を不得意とするという話は本当らしいな」 


 熱のない言葉と共に目を開ければ、燃えるような真紅の髪をした女が興味深そうな表情で俺を見下ろしていた。

 僅かに感じる頭痛。

 俺はゆっくりと上半身を起こして、そこで初めて自分がソファに寝転がっていたことに気づく。

 

「……また俺は気を失ったのか」


「はい。そのようですね。もしこれが演技ならば大したものです」


 どこか疲れた様子を感じさせる声が、隣から聞こえる。

 瞬きすら億劫な俺の横には、黒髪の神経質そうな少女が座っていた。


「トーチにインク、だけか。ということはやっぱり……」


「はい。また犠牲者が出てしまいました。プレイさんです」


 治癒能力者ヒーラーのプレイ。

 儚げな印象だが、確かな芯の強さを持った翠色の瞳をした少女。

 オゾンが殺された時に、俺を庇ってくれた数少ない相手は、もういない。

 その事実は俺の心に深く染み渡り、何だかもう全てがどうでもよくなってきたような気がしていた。


「まずはトオルにも現状を伝えておいた方がいいだろう。情報は共有しておいた方がいい」


 そしてオゾンの時と同様に、無機質なまでにトーチが言葉を連ねていく。

 どこにもプレイを失ったことによる喪失感のようなものは見えない。

 それが俺は無性に腹が立ったが、あえて口にすることはしない。

 オゾンが死んだ時にも、すでに反論は受けている。

 俺たちは友人でも、何でもない。

 遠くのネットニュースで知らない誰かが死んだのと、何も変わらない。

 きっとトーチは、あの赤い目でそう言うだけだろう。


「今回はオゾンの時とは違って、得られた情報が多い。まず殺人鬼の対象の殺害方法がわかった」


 トーチは顎をしゃくりあげ、俺に立ち上がることを促す。

 悲嘆に浸る時間は、彼女には必要ないらしい。

 そんな非情な雰囲気が、少しアキラに似ていて俺は嫌気が差した。


「プレイの遺体はこっちだ」


 俺が立ち上がるのを確認すると、トーチは大股で歩き出す。

 一度だけインクの方に目を向けるが、視線は合わない。

 やけに口数の少ない彼女は、物思いに耽るような表情で心ここにあらずといった様子だった。

 トーチに導かれるまま、吹き抜けの広間を抜け、階段を登っていく。

 プレイが殺されるなら、いっそのこと俺を。

 なんて悲観的な思考ばかりに俺は支配されていると、トーチが吹き抜け廊下の四つある扉に手をかける。


「プレイは、ここで死んだんだ」


 それは二つある廊下に続く扉でも、俺がずっといたテラスのある外部に続く扉でもない。

 残された扉はたった一つ。

 洋風大便器がある小さな個室。

 特に目立った点はない、普通のトイレ。

 だが今、唯一明らかな異変が一つ。

 それは大便器に座り込んだまま、口を半開きにさせて胃液のようなものを垂れ流しているプレイがいることだった。


「……おぇ」


 あまりに生々しい姿に、思わず嗚咽が漏れる。

 開いたままの瞳は虚空を見つめ、充血している。

 舌がだらしなく垂れ下がり、両腕は弛緩し投げ出されていた。


「まず、注目すべきは、プレイのうなじだ」


 扉を開けっぱなしにして、トーチが何事もないかのようにプレイの頭部を掴み、捻るようにして首の裏側がこちらに見えるようにする。

 どこまでも、冷静に。

 生物学の実習をこなすかのように、理知的な面持ちでプレイを観察している。


「ここに、小さな切れ込みが見えるか? 出血もしている。間違いなく死因はこれだ。首筋に鋭利な刃物でひと突き。少なくとも、プレイの殺害方法は刺殺だろう」


 直視することができない俺は、すぐに目を逸らしてしまうが、確かにトーチの言う通り切り傷のようなものがプレイに刻まれいることは薄らと理解できた。

 刺殺。

 それはこの異能が当然のように存在するこの館では、酷く陳腐に思えた。


「そして、ここで前提条件を一つ付け足そう。プレイ殺害時、この個室には鍵がかけられいた。つまりは、簡易的な密室状態にあったというわけだ。それはインクが証言している」


「本当なのか?」


「……そう、ですね」


 付け足された前提条件。

 インクに確認してみれば、苦々しい面持ちで彼女は同意を示した。

 密室での刺殺。

 確かに謎に満ちたオゾンの殺害場面に比べれば、かなり限定的なシチュエーションに思える。


「この時点で、まず三人が容疑者から外れることになる。それはもちろん、私とトオルだ。まず密室の時点で、外部で私に見張られていたトオルには不可能。そして密室という点では、私は外部からでも燃やせるが、死因は刺殺。つまり犯行方法としては、私には不可能だ。最後の一人は、あえて言わせてもらうが、オゾンだ。死んでるままなのは、私とトオルで確認済みだからな」


 犯人の候補から、俺とトーチとオゾンが消えた。

 あえてオゾンをまだ犯人候補に残しているのが少し気になったが、それ以外は妥当な推察に思えた。

 となると、残されるのは、被害者であるプレイを除いた三人。

 インク、フウカ、スノウ。

 この三人の中に一人、殺人鬼がいる。


「そしてここで、最初の殺人を振り返る。私たちをこの館に閉じ込めているアキラの言葉を真実だと仮定すれば、七人の内、連続殺人鬼は一人だけ。つまり、最初のオゾンを殺したのも、同一人物。となると、また一人容疑者から外せることになる」


 その時、俺は自然と祈っていた。

 淡々と綴られるトーチの推理。

 そこに論理的な破綻がないゆえに、その続きに俺は怖れすら抱いていた。

 頼むから、インクを。

 俺はもう、後ろを振り返る勇気すら出ない。


「次に外せるのは、スノウだ。あくまでこれはトオルの言葉を真実だと仮定した場合にはなるが、スノウにプレイは殺せても、オゾンは殺せない」


 しかし、俺の祈りは届かない。

 次に容疑者から外れたのは、いまだに謎の多い転移能力者テレポーターだった。


「少なくとも、死の直前までオゾンはトオルのすぐ傍にいたはずだ。それにも関わらず、スノウの転移と殺害にトオルが気づかないのは不自然すぎる。オゾンとプレイ、その両者を殺し得るのは、まだ異能が不明なフウカか、或いは念動力者サイコキネシスのみだろう」


「ま、待てよ。それはいくら何でも消去法すぎるんじゃないか? 念動力者だからって、殺せるとは限らないだろう?」


「ああ、確実に殺せるとは言っていない。私はあくまで、殺せる可能性を持つと言っているだけだ。説明するほどではないと思うが、一応共通認識のため、言葉で示そうか」


 念動力があれば、オゾンとプレイを殺せるのだろうか。

 俺にはすぐにその手段が思いつかないが、トーチからすればそれは自明のことのらしい。

 自分の指をナイフに見立てているのか、トーチは細長い指を一本立てる。


「まずプレイから。この扉は内側から閉じられていた。だが念動力者には関係ない。自分の異能で鍵を回すことは容易だし、そんなことをせずとも先に個室の中に凶器を仕込んでおけば扉を挟んだ状態で殺害することは可能だ」


「そ、それは」


 言い返す言葉が思いつかず、俺は口ごもるばかり。

 逃げるように俺は斜め後ろに視線を送るが、そこには無言で佇むインクがいるだけ。


「次に、オゾン。これも前にトオルには説明したが、彼の予知能力には致命的な弱点がある。それは彼にとっての死角には、彼の予知能力が意味をなさないという点だ」


 ぞくり、と冷たい感覚がした。

 俺は実際に、トーチにその仮説を身をもって実証されていた。

 ちょうどうなじのあたり。

 首筋のところに火の玉を忍ばせられても、俺は気づけなかった。

 

 ——もしあれが、火でなく、鋭利な刃物だったら?


 念動力で、オゾンは殺せた。

 その事実が、俺の鼓動を早くさせる。


「周知の事実だが、この館は六つの塔に分かれていて、それぞれが廊下でつながり円を描くように設計されている。ちょうどテラスの反対側から、凶器を念動力で投擲すれば、オゾンは殺せる。念動力者は、予知能力者を、殺せるんだ」


 念動力者インク予知能力者オゾンを殺せる。

 トーチは簡単な数式の解を導いただけ、といった特に感慨のない表情で自論の説明を終える。

 満たされるのは、沈黙だけ。

 反論は、どこからも聞こえない。

 いつもの生意気で、少し悪戯げな彼女の声は、俺の後ろから全く聞こえなかった。


「さて、ここでトオルには、意見を聞きたい」


「俺に意見だと?」


 真っ赤な瞳が、俺に真っ直ぐと見定められる。

 心の内側まで見透かされたような感覚。

 理知的で、自らの思考をここまで正確に言語化できるトーチが、俺のような凡人に何を望むのだろうか。

 

「この時点で、もう連続殺人鬼はインクかフウカの二人に絞られている。どうだ。いっそのこと、ここでインクを殺すのは?」


「……は?」


 言っている意味が、わからなかった。

 ここで、インクを、殺す?

 どうしてそんな発想になるのか、全くもって理解ができない。


「な、何を言ってるんだ?」


「あくまで私の視点で言わせて貰えば、連続殺人鬼はほとんどインクで確定だ。これ以上被害者を増やされる前に、ここで殺すのが最適解。もし低い確率で彼女が連続殺人鬼ではないとしても、残る容疑者はフウカだけ。インクを殺した後に、フウカを殺せばそれでもう安全だ」


 言葉はわかるのに、意味がわからない。

 トーチがつらつらと語るたびに、同じ人間ではない未知の生命体のような不気味さを感じた。


「ま、待てよ! 自分で何を言ってるのかわかってるのか!? インクを殺す? 殺人だぞ! そんなことが許されるわけないだろっ!」


「いや、許されているはずだ。少なくとも、この館の中では。事実、もう二人も死んでる。それにも関わらず時間はこれまで通り過ぎていくだけ。司法の類の存在は感じない。殺さなければ、殺されるだけ。連続殺人鬼だけが、人を殺していいなんてルールは、不平等だろう?」


 トーチは心の底から不思議そうに首を傾げている。

 彼女からすれば、俺が理解不能な意味のわからない妄言を口にしているように感じているらしい。

 おかしいのは、トーチか、それとも俺の方か?

 連続殺人鬼が人を殺したなら、俺たちも人を殺していい?

 異能なんてものが当たり前に存在しているこの館で、普通を謳う俺の方が異常なのだろうか。


「私は、殺してない。連続殺人鬼は、私じゃない」


 しかし、ここでやっと、俺がずっと待ち望んでいた声と言葉が聞こえる。

 振り返れば、身体を宙に浮かべているインクがいる。

 どこか縋るような、寂しそうな瞳で、俺を見つめている。


「それは嘘か? 私は嘘が嫌いだ。嘘なら、殺す」


「本当です。というか、今のその確認、意味あります?」


 灼熱が、迸る。

 気づけば大きな火炎が目の前で燃え盛っていた。

 慌てて俺は一歩踏み出すが、あまりの熱に本能的に足が止まる。

 先ほどまでインクが立っていた場所にはもう、誰もいない。


「次にあなたが殺されるまで、私は大人しくすることにします」


「それはつまり、お前が犯人ということか?」


「違いますよ。私には殺せたかもしれないけれど、私は殺してない」


 強い決意で断言する言葉、遠く離れたところから聞こえる。

 テラスへと続く扉の前に立ったインクは、自分の手を使うことなく、念動力でドアノブを捻る。

 通り抜ける、ぬるい空気。

 どこにも行けない、狭い空。

 俺はただただ、祈るだけ。

 友人になれるかもしれないと思っていた、少女の無事を祈る。



「……さよなら、トオル。次会う時は、お互い死体じゃないことを祈りましょう」



 その言葉を最後に、少女は飛んでいく。

 インクもまた、俺と似た祈りを捧げたことが、少しだけ嬉しかった。

 


 

 


 


 


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