10

 かばんの上に手を置いて、芽衣はやはり冷ややかな表情のまま、ジンの言葉を待っていた。けれどもジンは言うべき言葉が見つからない。待ちくたびれたのか、芽衣が口を開いた。


「ここはあなたが来ていい場所じゃないのよ」

「うん……まあそれはそうだと思う」


「ここは私の夢の中」芽衣がつぶやくように言う。「でも今日の夢は失敗ね」


 芽衣は教室の窓へと歩いていった。ジンも後に続く。


 教室は二階にあった。芽衣は窓から外を見下ろした。ジンも同じように見下ろし、そして、はっとした。外にもう一人、芽衣がいるのだ。


 けれどもそれは、ジンが今まで夢の中で見ていた、あの孤独な少女ではない。同じ制服を着た少女たちに囲まれ、楽しそうにしている。かばんを持って、校門に向かって歩いていく。下校するようだ。


「あれが夢の中の私」芽衣が言った。「ここにいるのは――現実だわ」


「うん……」


 よくわからず、ジンは曖昧にうなずいた。芽衣はもう一人の自分から目を離さず、続けた。


「それが夢だとわかっていても――目を覚ましたら消えてしまう、意味のないものだとわかっていても――夢の中ならなりたい自分になれるわ。ここにいる私じゃなくて――」


 芽衣は隣に立つジンを見上げた。


「今日、失敗したのはあなたがいたからよ」


 その表情に怒りの色が混じる。


「どうして入ってきたの、私の夢の中に。あなたは見たい夢を私たちに見せてあげるって言ってた。でもいらないの。私は私の見たい夢を作れるわ。あなたの力なんて借りなくても」




――――




 ジンはたじろいだ。芽衣に好かれていないことはわかっていたが、これは明らかな、怒りと憎しみだった。ジンは混乱する頭で、今の状況を理解しようとした。


 芽衣のこと。芽衣が二人いて、片方は現実で片方は夢の中の芽衣だという。この、目の前にいる芽衣が現実。外を、少女たちと歩いている芽衣が夢。


 ぽつねんと孤独な芽衣。友人たちに囲まれ楽し気な芽衣。二人の芽衣が、重なることなくジンの周りにいて、頭を混乱させる。


 けれども――次第にジンは理解してきた。芽衣は――おそらく一人ぼっちなのだ。家にいるときはそんな気配は感じない。けれども学校に行けば、そこには親しい友人がおらず、一人ぼっちで時を過ごしているのだ。


「芽衣――」ジンは優しく芽衣に声をかけた。「学校が……好きじゃないのかな」


「ええ。嫌いよ」


 芽衣はふいとジンから顔をそむけた。ジンの頭の中でさらに物事がはっきりし始めた。夏休みが終わるのだ。耕太がそう言っていた。今は夏休みで、長期休暇で、もう何日かすれば学校が始まるのだと。


 そして29日には僕らは家に帰らなくてはいけないのだと。


「夏休みが……終わるんだね」

「そうよ」

「ずっと夏休みだったらいいなって思ったんだ」

「そう。それのどこがいけないの?」

「君が……君がそう思ったから……」


 だから時が止まったのだ。ループを始めたのだ。夏休みが終わらないように、ずっと、28日のままでいられるように……。


 ジンは再び窓の外を見た。そこには芽衣の、夢の世界の芽衣の姿はなかった。一緒にいた少女たちもおらず、見える範囲で人の姿は全くなかった。


 なぜか、さっき見たときと風景が変わっているように思った。校舎や木、道などの様子は変わっていない。ただ、そこにある物たちがくっきりとせりあがるようにして見えるようになったと思ったのだ。ジンはよくわからず、目を凝らした。


 光の加減も変わったように思う。光が――上手く言えないが、重たくなったように思われたのだ。光が重たくなるなんてどういうことなのだろう、とジンは考える。


「……学校が始まれば、また変わるかもしれない」ジンは芽衣のほうを振り返って言った。「それはこれまでの続きだけど、そうではなくて、君がそれを変えることができる……」


「できないわよ」


 芽衣が冷たく言う。


「できるさ。そう、周りの子たちにもっと声をかけてみるとか……」

「簡単に言わないで!」


 芽衣が怒りの声をあげた。まずいことを言ってしまったと思いつつも、ジンは話を続けた。


「でも君はどちらかというと物怖じしない、積極的なタイプじゃないか。私ともすぐ仲良く――」


 仲良くなったのだっけ? とジンは思った。今は、とても仲良くない状況にある。けれども、ものすごく嫌われてはいないと思っていたのだ。そんなに好かれてもいないだろうが。


 ジンの言葉は、芽衣の耳には入っていないようだった。


「無理よ! 私と仲良くしてくれる人なんていない! 私はこんな性格だから――意地が悪くて人の気持ちを考えるのが苦手で、言いたいことをずけずけ言って――こんな、嫌な性格だから!」

「そんなことはない。仲良くしてくれる人もいるよ」

「誰も私を好きになったりしない!」


「いや」ジンはきっぱりと、声を大きくして言った。「君を好きな人たちはいるだろう。砂原家の四兄弟は君のことが好きだ。だって、現に――」


 私は頼まれたのだ。君を助けてほしいと。耕太に。彼は君のことが好きなんだよ。ジンはそう言いたかったが言葉を呑み込んだ。砂原家の四兄弟、という言葉が出て、芽衣ははっとした表情になった。

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