2
明後日帰るということだ。最初から予定でそうなっている。翔の言うとおり時間はあまりない。
家に帰るということは、芽衣やジンと離れることになる。芽衣はずっとここに住んでいるわけだから、また会えるだろう。お正月にまた兄弟たちとやってくる予定だ。けれどもジンは――。
修行の期間は数日ほどって言ってたっけ。そうすると、僕らが帰る頃にはジンも魔界に帰るのだろう。そして――もう人間の世界に来ることはないのだろうか。
――――
昼食の後、耕太は居間でそっと芽衣に声をかけた。曾祖父は魔法使いだと思うか、と。
「どうしたの急に」
芽衣が驚いた顔をする。耕太は言った。
「いや、ちょっと気になってね」
「おばあちゃんが言ってた話でしょ。そんなこと信じてるの?」
「だって!」耕太は思わず大きな声になった。が、離れてるとはいえ、食堂には祖母が、台所には芽衣の母親がいるので、声をひそめる。「……だって、ジンがいるんだよ。魔物だよ。魔界があって、そこに暮らす生き物たちがいて、そのうちの一人が今ここに来ている……」
「そうね」
「魔法は存在するんだよ!」
小さな声ながら、耕太は力強く主張した。
「魔法は存在するみたいね。でもひいおじいちゃんは魔法使いじゃないと思うわ。普通のおじいさんよ」
「でもおばあちゃんがそう言って……」
「私たちをからかってるのよ」
耕太は少しため息をついた。
「もし、ひいおじいちゃんが魔法使いだったらさ……」
「だったら?」
「魔法使いだったら孫の自分にもひょっとしたら魔法の力があるかもしれないし……」
芽衣が笑った。
「何? 魔法の力が欲しいの?」
「うん、まあ……そうなのかな」
「魔法の力で何をするの?」
「それは……」
そこで耕太は口を閉ざした。魔法の力があれば、魔界に行くことができるかもしれない。魔界に行くことができれば、ジンがあちらに帰ってもこちらから訪ねることができるし……。
そのような考えが頭をめぐったけれど、耕太は何も言わなかった。
「そうね、魔法の力があればいろんなことができるかもね」耕太が黙っているので、芽衣が言った。「テストでいい点を取ったり、体育祭で活躍したり」
「あ、そうだよ! 宿題も早く終わるかも!」
茶化すような芽衣の口調に合わせ、耕太も明るく言った。
「夏休みの宿題終わったの?」
芽衣が耕太に尋ねる。耕太は苦笑した。
「うーん、それがまだ……」
「私はだいたい終わったわよ」
「早いね!」
「早くないわよ。だって、夏休みはあと一週間くらいで終わるじゃない」
「うん……」
夏休みの終わりごろはいつも少し悲しい。そして、耕太は残りの時間でちゃんと宿題が片付くだろうかとやや不安になった。
が、とりあえず今はそのことに頭をわずらわせたくない。それよりも気になるのはやはり曾祖父のことだ。
「この家にどれくらいひいおじいちゃんのものってあるのかな」
「それなりにあると思うけど。昔使ってた部屋はほとんどそのままだし」
「そこに何かないかな……日記とか」
「それに、自分が魔法使いであることが赤裸々につづられている、とか?」
「うん」
一瞬、芽衣が呆れたような顔をしたが、すぐにその表情を変えた。
「でもまあ悪くはないかもね。ちょっと調べてみるのも。ひいおじいちゃんの部屋に行ってみる?」
芽衣が尋ね、耕太はたちまち同意した。
――――
一階にある六畳ほどの和室が曾祖父の部屋だった。部屋の主はもうこの家にはいないが、部屋だけはあまり手をつけられることもなく、残されている。
古いたんすに古い本棚。そこにあせた背表紙の本が並んでいる。低い棚にテレビがちょこんと置かれている。以前はベッドもあったのだ。けれどもそれはなくなっていた。もう使うことがないだろうと判断されたために。
曾祖父は現在、施設にいる。90代後半なのだった。だいぶ身体が弱っており、ほとんど眠るばかりの毎日らしい。何年か前から物忘れがひどくなり、今では大半の人の顔がわからない。喋ることも笑うことも怒ることも、あまりなくなってしまった。
朝から雲の多い、蒸し暑い日だった。時間の経過とともに雲は厚みを増し、今では空はべったりと灰色だ。蓋をされてるかのように空気が淀んで、重い。雨が降りそうだな、と耕太は思った。雨は降るだろうけど……涼しくはならないだろうな。湿度が増すだけかもしれない。
部屋に入り、耕太はまず本棚に向かった。そのうちの一冊を取り出す。しっかりとした表紙の本だ。小ぶりな植物図鑑のようなもので、中には木の写真と、その説明があった。それを耕太はぱらぱらと見る。
「ね、ひいおじいちゃんって、どんな人?」
耕太が芽衣に尋ねる。芽衣は怪訝な顔をして言った。
「どんな人って、知ってるじゃない」
「いや、知ってるけどさ。でも僕は大人しいほうだし、ひいおじいちゃんも無口なほうだし、あんまり交流がなくて……。優しいいい人だなというのはわかるんだけど」
ほとんど話した記憶がない。一緒に遊んだことなど全くない。そもそも耕太が物心つくころには曾祖父は少しずつできないことが、物を忘れたりするようになっていた。耕太の記憶には、ぼんやりと悲しそうな顔をした曾祖父の姿がある。もっともそれだけではなくて、穏やかに笑っていたこともあったけれど。
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