6
「……何かいない?」
翔が声を殺してジンに訊いた。
「そうか?」
「足音が聞こえるよ。少し離れて、一緒についてくる」
ジンは目を細めて、辺りを見た。そして言った。
「何もいないようだが」
「そんなはずは……」
翔とジンはそんな会話をしながら歩き続けた。翔が言った。
「……デイノニクスっていう恐竜がいるんだ。肉食で、立派なかぎづめがあって、でも大きさはそれほどでもない。けれども彼らは頭がよくて、群れで狩りをするっていう話もある。群れで――人間を襲うこともできるだろうな」
「そんな恐ろしい生き物はここにはいないよ」
足音らしきものが増えたような気がした。翔は横を見た。デイノニクスの尖った鼻先が、木の向こうから現れ、そしてたちまち引っ込んだように思った。
今や、翔の胸は大きく脈打っていた。翔は立ち止まった。手が汗ばんでいる。ずっと歩いて暑くなったからではなかった。
翔はジンのほうを振り返った。視線を上げて、ジンの目を見る。恐怖に駆られて、翔はしゃべった。
「いるかもしれないよ! だって、ここは恐竜の世界なんだ! 恐ろしい肉食恐竜がたくさんいるんだよ! デイノニクスに、ティラノにそれに――」
「翔!」ジンが叫んだ。その顔が真剣なものになっている。「考えるな! 想像するんじゃない。ここは君の夢なんだ。君が思い描いたことが反映され――」
ジンの言葉が途切れた。何かが、木の枝からジンの肩に跳び移ったからだ。くすんだ黄色とオレンジの縞模様の毛に覆われた、鳥のようなトカゲのような生き物だった。大きくはない。カラスくらいだ。手足の先はうろこでおおわれ尖った爪がついている。長い尾を持ち、鼻先が、くちばしのように前に突き出ている。
それは一匹だけではなかった。森の中から、複数匹わらわらと現れた。ジンと翔の元に近寄ってくる。そのうちの一匹が口を開けた。びっしり並んだするどい歯が見えた。
「ジン!」
翔が叫んだ。もう一匹、木の上から跳んで、ジンの頭にしがみついたものがいる。ジンが振り払おうとするも、なかなか落ちない。また、その足には森の奥から現れたものたちが、ジンを引き倒そうかとするように群がっている。
ここは君の夢なんだ。ジンの言った言葉が、はっと翔の頭に蘇った。そうだ。これは俺の夢。つまり俺が作り出したもの。
怖いと思ったからだ。怖い恐竜を思い浮かべたからだ。だから彼らがやってきたんだ。翔は気配を感じて上空を見た。そして、息を呑んだ。
そこには巨大な肉食恐竜が、あの神聖なるティラノサウルスが、木々の間にどのようにしてか立っていて、じっと翔を見下ろしていたのだ。
赤みを帯びたオレンジ色の目が、こちらを見ている。そっと口が開く。あの口の中に俺はすっぽりと入ってしまうだろうなあと翔は思った。けれども――恐れることなんてないんだ。これは全部幻だ。
視線を下げると、ジンが、小さな恐竜の群れに悪戦苦闘していた。そして翔はまた再び上を見た。ティラノと目が合う。その顔はさっきよりもさらにこちらに迫っていた。
「お前なんか怖くないぞ!」翔はティラノサウルスに向かって叫んだ。「お前なんか――お前たちなん
か、全部、ただの幻だ!」
――――
耕太と芽衣も引き続き森の中を歩いていた。会話が途切れ、両者とも何も言わずに黙々と歩く。と、突然、芽衣が声をあげた。
「あそこに何かいる!」
右手前方を指差す。耕太もそちらを見た。
近眼な上に、木々が邪魔になって非常に見づらい。けれども、よくよく目を凝らすと、たしかに何かが見えた。動くものだ。大きいものと小さいもの。あの形は……人だ。
「あれって、たぶん……」
「ジンと翔ね!」
芽衣がきっぱりと言った。耕太もそれに同意する。
二人はそちらに向かって呼びかけた。二対の人影はほどなく耕太と芽衣に気づいた。そして、生い茂る植物をかきわけ、ジンと翔が二人の元へやってきた。
「俺たち、大変な目に会ったんだよ!」
開口一番、翔が言った。芽衣が尋ねる。
「何があったの?」
そして翔は、先程の出来事を二人に話したのだった。恐ろしい恐竜たちが現れたこと。けれども翔が、これは幻なのだと思ったら、それらはたちまちいなくなってしまったということ。
「翔に助けられたんだよ」
ジンが言った。「翔の意思の力が恐竜たちを追い払ったんだ」
「でも……」耕太は反論した。なんとなく、気持ちがもやもやする。「恐ろしい恐竜が現れたのは、翔がそれを想像したからだよね?」
「そうだ」
「だったら、そもそも翔が悪いというか……」
「まあ俺も多少悪かったかもしれないけどさ」
珍しく、申し訳なさそうな顔で翔が言った。けれども横で、ジンがフォローした。
「夢の中で不安になることはよくあることだよ。けれどもそういった不安や恐怖を追い払えることは……そんなにできることではない」
「なんか、俺、褒められちゃってるな!」
翔がはしゃいで笑った。耕太も笑顔の形を作ったが、もやもやは消えなかった。というよりも、さらにそれが大きくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます