第5話 裏・自室にて
私こと
だって……だって…………
この部屋の隣に、あのまさ君がいるんだもんっ!
「……って落ち着け私、これじゃあさっきと同じでまたバカになっちゃう」
思わず呆れた口調で自分自身にそう言い聞かせると、私は心を落ち着かせようと大きく息を吸う。
つい先ほどのリビングでの話し合いの時は、まさ君に久しぶりに会えた嬉しさと恥ずかしさで、まったくといっていいほど彼と話すことができなかった。
けれども落ち込むことはない真理愛。
だってこれからはいつだってまさ君と話せる機会がたくさんあるんだから!
そんなことを思うと私は、自分の気持ちと同じく心機一転した部屋の中をぐるりと見渡す。
以前の自分の部屋は悲しいほど素っ気ない感じだったけれど、今回はオシャレが好きな
ベッドや勉強机などの家具はカントリー風の木目調に揃えてみたし、足元に広がるのはふわふわで気持ちいい真っ白の絨毯。カーテンには可愛くアクセントになるライトピンクの色を入れつつも、あえて無地を選ぶことでちょっぴり大人っぽさも演出。
そしてふんわりとこの部屋を包み込むように漂うのは、窓際に飾ったフレグランスのホワイトフローラルの香りだ。
「もしかしたら、まさ君がこの部屋に来ることもあるかもしれないもんね」
生まれ変わった自分の部屋を見つめ、思わずふふっと笑みが溢れる。そしてベッドにちょこんと腰を下ろすと、同じく隣に座っていたコアラの抱き枕をふとももの上へと乗せた。
昔から夜寝る時には何かに抱きついていないと落ち着かない私にとっては、かれこれ10年以上のお付き合い。
ちなみにこの子の名前が、『まさ坊』というのはもちろん私だけのヒミツ。
「でもこの子が本物のまさ君だったら、さすがに緊張しちゃって寝れないよねぇ」
そんなシーンをリアルに想像しては、誰も見ていないことをいいことに一人きゃっきゃっと盛り上がる私。
だが直後、ジタバタさせていた足の小指をローテーブルの角に思いっきりぶつけてしまい、私は思わずまさ坊を手放すと声にならない悲鳴を上げながらベッドの上でうずくまる。
ダメだダメだ。こんなどんくさい姿はまさ君の前ではぜったい見せられないっ!
年上なんだしもっとしっかりしないと、と私は足の小指をさすりながら自分のことを叱咤する。
「あぁ、まさ君と早くお話ししたいなぁ……」
指先の痛みもひいてきて少し冷静さを取り戻した私は、今度はベッドの上で寝ころびながらそんな願望を口にしてみた。
今までと違って、その気になればすぐにでもまさ君と話せる環境にいるというのは、何度考えても信じられない。
付き合っている時でさえ、電話はおろかラインでメッセージを送るだけでもあれだけ緊張していたのに。
そんなことを考えてぼんやりと部屋の中を眺めていた時、ふと視界に入ってきたのは、勉強机の上に飾っている写真立て。
フレームに白い貝殻があしらわれているその可愛らしい写真立ては、去年まさ君が私の誕生日にプレゼントしてくれたもの。
そして中に収められているのは、私たちがまだ付き合っていた時、一緒に撮った唯一の写真。
――ごめんね、やっぱり別れよう。だって本当は私……
半年記念日に遊びに行った帰り、私が一方的に告げてしまった言葉があの時の光景と一緒にフラッシュバックしてしまい思わず胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
本当は、最初からちゃんと伝えるべきだったんだと思う。
彼のことを信頼していたのであれば、大好きだったのであれば、正直に何もかも話すべきだったんだと思う。
なのに臆病で卑怯な私は、まさ君とちゃんと向き合うことから逃げて、彼のことをひどく傷つけてしまった。
「だから、今度こそは……」
写真の中でぎこちないながらも嬉しそうに笑っている自分たちの姿を見て、私は胸の中でそっと誓う。
もう一度、まさ君にとってふさわしい彼女になるために一から頑張ろうと。
「うん」と小さく頷いた私は、手放してしまった過去ではなく、これから始まる新しい生活に思いを馳せる。
シェアハウスでまさ君と一緒に住めるなら、彼のことをもっともっと知っていける。
まさ君が好きなことや喜んでくれること、そして、どんな彼女が理想なのかも。
そう。大切なことは、相手のことをどれだけ知って理解できるかだ。
隣の部屋へと続く壁を見つめながらそんなことを思っていた時だった。
もっと彼のことを知ってみたいと願う乙女心が、ふとあることを閃く。
……これってもしかして、隣の部屋にいるまさ君の声が聞こえるのかな?
真っ白な壁を見つめながら、ちょっと黒いことを閃いてしまった私。
さすがにそれはマズいでしょ、とすぐさま意識を切り替えようとするも、一度心に浮かんでしまった願望はそう簡単には消えてはくれない。
気づけば私は上半身を起こして、ゆっくりゆっくりと壁の方へと近づいていた。
「ま、まあ私はこの家の年長者だからみんなの生活を見守る義務があるもんね!」
だからちょっとだけ……とそんな言い訳と共にごくりと唾を飲み込むと、私は右耳を壁の方へとそーっと近づける。すると……
『えー……まさ兄と……行けると思って……調べとっ……』
『んなこと言……てもな……』
――あれ? もしかして、
まさ君の声が聞こえるかと思いきや、何故か一緒に聞こえてきたのは妹の声。
どうして心晴ちゃんがまさ君の部屋に? と彼のプライベートをちょっと覗くつもりが、ちょっとよろしくない状況を知ってしまい急に胸の中がそわそわし始める私。
さらには、
『……遠慮する必要ないや……ウチと……仲やで』
そのまま壁に耳を当てていると、次に聞こえてきたのは何やら親しげで怪しげな会話。
いやいや落ち着け私、まさ君と久しぶりに会った心晴ちゃんが昔みたいに楽しくお喋りしているだけだから。
「うん、きっとそう」と無理やり自分に言い聞かせる私。そして二人が無邪気で健全にお喋りしているイメージを慌てて頭の中で描きながら心を落ち着かせていると――
『……まさ兄……もう……めっちゃおっき……立ってる……』
「………………」
え…………えぇぇぇぇ―――ッ!?!?
こ、心晴ちゃん⁉︎ ど、ど、どういう状況なのッ⁉︎
まったく予想だにしなかった言葉が壁の向こうから聞こえてきて私は思わず絶句する。
それどころか、なんかベッドがリズム良く軋む音まで聞こえてくるんですけどっ⁉︎
あまりの衝撃に気づけばいつの間にか壁に張り付くような格好になっていたのだが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
急速に混乱していく頭の中と同じく、壁越しに聞こえてくる二人の会話もヒートアップしていく。
『なん……懐かしい……昔もまさ兄とよく…………ごっこしてたやん!』
ごっこ? ごっこって何? 二人で今なんの遊びをやってるの⁉︎
もはや言葉を失う私は、壁にくっついたまま微動だにすることができなかった。
いやいやいや、だから落ち着きなさい真理愛。心晴ちゃんは昔からまさ君と遊ぶのが好きだったから、たぶん小さな頃を思い出して部屋で普通に遊んでいるだけだ。
だって『ごっこ』が付く懐かしい遊びなんてたくさんあるからね。
たとえばほら、『おにごっこ』とか『ヒーローごっこ』とか。それに他にも――
「お……お医者さん、ごっこ…………」
不意に唇からこぼれ出た言葉に、私の全身からさぁーっと血の気が引いていく。
いやいやちょっと待って、いくらなんでもそれはないでしょ。だって二人は幼稚園児じゃないんだから。さすがにそんなごっこ遊びはしないでしょ。
仮に幼稚園児だったとしても、まさ君と心晴ちゃんがそんな遊びをしていたらモヤモヤするのに、今の二人がもしそんなごっこ遊びをしていたら、きっと私はすぐに発狂すると思う。
「そ、そうよね。さすがにそんな遊びはしないよね……」と狼狽える声で呟くも、そんな私の心をさらに掻き乱すかのように壁の向こうからは、
ギシ……ギシっギシ……ギシィッ!
ベッドのスプリングがさっきよりも激しく悲鳴を上げていた。
まるで二人が激しく絡み合っているみたいに。
同じく悲鳴を上げそうになったのをぐっと堪えて、私は真っ赤になる顔を両手で隠す。
けれども残念ながら、それでも二人の怪しげな会話は止まらない。
――まさ兄待っ……本気で押し倒……
――ちょ……そんなとこ……入れるとか……あかん……
――うるさい…………黙って受け入れ………
「………………」
これってまさか……もしかして、もしかするやつなのっ⁉︎
壁の向こうから途切れ途切れに聞こえてくる言葉を聞くたびに、得体の知れない羞恥心がぞわぞわと背筋を這い上がっていく。
まさ君、私と付き合ってた時は何もしてくれなかったくせに……って違うちがうっ! 今はそんなことをひがんでる場合じゃないっ!
「こ、ここは私が止めないと……」と壁から耳を離すと、不安と恐怖でぶるぶると小刻みに震える指先にぎゅっと力を込める。
だ、大丈夫……たとえまさ君と心晴ちゃんが何かの間違いで清き道を踏み外すようなコトを始めていたとしても、私ならきっとあの二人を正しい道へと導けるはず。
だって保健体育の成績もいつも5だったし!
そんな根拠を僅かな自信に変えて自分の部屋からそっと出ると、すぐ隣にあるまさ君の部屋の扉の前に静かに立つ。
そして少しでも心を落ち着かせるために大きく深呼吸をすると、ゆっくりと右手を伸ばしてドアノブを握った。
きっとあの二人のことだからちょっと遊びが盛り上がり過ぎてしまっているだけで、たぶん私が勝手に勘違いしちゃってるだけ。うん、きっとそう。
そんなことを考えながら祈るような気持ちでぐっと右手に力を込めると、私はゆっくりと扉を開け――
「おい朱華! 今からこいつを縛りつけるのを手伝ってく…………れぇぇぇぇーーッ!?」
突如視界に飛び込んできたのは、まるでムンクのように叫んでいるまさ君の姿。
どうやら事態は、私の想像をはるかに越えていたらしい。
何故か片手にタオルを握りしめているまさ君は必死になって何かを訴えかけてきているのだが、おかしいな、今の私の耳にはぜんぜん何も聞こえてこないや。
というより、心晴ちゃんはまさ君のベッドの上で何をやってるのかな?
妙に色っぽい表情を浮かべて、「もうやめちゃうのぉ?」と謎の発言をする妹を前に、私の心が奈落の底へと沈んでいく。
ああそっか、これは夢だ。私はきっとまだ寝ていて、悪い夢を見ているんだ。
ふふっ、早く目覚めなくっちゃ☆ と再び思考が壊れていくのをリアルタイムで感じていた私だったが、まさ君の前だということ、そして妹の前だということに気づき、年上の姉としてわずかに理性を取り戻す。
そうだ。こんな時こそ心を落ち着かせよう。心を落ち着かせればきっとこの状況でも最善の選択肢が頭に浮かんで――
無。
私はただ機械のように、感情も音なく静かに扉を閉めた。
そして断ち切った悪夢の前で、すぅーと息を吸う。
だいじょうぶ、真理愛は負けない。
こんなところで挫けない。
だって……だって私はみんなのねーちゃんなんだもんっ。……ぐすん。
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