騒乱が終われば平穏が戻る。

 黄泉討家の一室で、珪孔と逢祢は向かい合う形で肴を突いていた。

「終わりよければ総てよし、だな。ひとまずお疲れ」

「終わり方が最悪でしょう。誰も死ななくて良かったけど……跡が残るわねこれ」

「戦士の誇りってことにしとこうぜ」

 治療用の呪符や包帯が体の至る所に巻き付けられ、苦い顔をする逢祢に珪孔は笑うが、彼も似たり寄ったりの惨状。揺らしただけで体内から激痛が走って箸を取り落とす。

 滑稽な痙攣を繰り返して顔を青くする珪孔の様に、溜息を溢した逢祢は慎重に箸を繰って盛られた白菜の漬物を口に放り込む。

 控えめな咀嚼音を奏でて嚥下し、一息ついた時。彼女の表情には再び憂い。

 風切鈴羽の救出と討幕派の捕獲。集団の長こそ死亡したが、情報の獲得には大きな障害を生まず、青龍の核も奪還した。

 結果を文字に起こしてしまえば、二人の仕事に非の打ち所は無い。憂いなき祝勝会を盛大に催しても何ら不思議ではないのだが、彼等の間で広がる空気は重い。

 救出対象の鈴羽が『神墜』を抜き、青龍を一刀の下に斬り捨てた。

 召喚者の素養の問題で不完全な召喚になろうとも、青龍は二人の御三家当代を纏めて相手取る強さを持っていた。あのままでは長期戦に縺れ込み、勝率を算する以前に無関係な人間を巻き込む惨事に発展していただろう。

 駆け付けた者には伝えなかったが、大きな犠牲を出さずに最悪の状況を脱したのは、鈴羽の決断と彼女の一撃があったからこそ。


 しかし、決断で彼女の未来が捻じ曲げられた事実が、二人にとって非常に重いのだ。


「神墜に選ばれたってことは、戦いの歯車から一生抜けられなくなった。……日ノ本云々関係なく、すずは屍山血河を歩む人生を送らなきゃいけない」

 珪孔の呻きに、逢祢は唇を噛んだ。

 将軍が恐怖し、憎悪した刀工『村正』が鍛えた刀は、発見次第破壊が命じられている。鈴羽が振るった結果を目の当たりにすれば、理由は如何な愚者でも完璧に理解する筈だ。

 才に満ち溢れ、素晴らしい剣豪に成り得る可能性を秘めているとは言え、戦場に出たことのない六歳の少女が軍神を、一振りで完膚無きまでに破壊する。常識を疑う光景を易々と描き出す破壊力は、珪孔や逢祢ですら実現不可能。

 存在自体を抹消された業物の持つ物と、初の実戦でそれを引き出した挙句に意識を手放す程度で済んだ鈴羽の組み合わせは、主観を排しても脅威という他ない。

 二人を遥かに上回る力を、彼女が手にするのは最早確定事項。そして、力を持つ者は命の価値が著しく下落する世界へ否応なく引き摺り込まれる定め。

 二人が望んでいた平穏な未来を鈴羽が得ることは、死が彼女を絡め取る瞬間まで叶わない。数多の死と悲哀、憎悪を背負って泥沼の戦いを続ける道しかないなど、希望に胸を膨らませて眠る鈴羽に言える筈もなかった。

 雑に注いだ酒を喉に流し込む。喉を熱が走り、滑り落ちていく感触に珪孔は顔を歪める。酒精との戦いで毎度負ける上、この卓で供された酒はかなり度数の高い代物。

 しかし、圧し掛かる現実は酒精に依る逃避すら彼に許さない。正気を保ったままの珪孔は思わず天を仰ぐ。

 空の代わりにそこにある、天井の木目が妙に歪んで見えるのは自分の心が歪んでいるせいだろうか。横道に逸れつつあった思考を引き戻して口を開いた。

「当主は多分変わらない。一度公表された以上な」

「簓ちゃんを嫌っている訳でもないし、すずちゃんも道理が分かる子だから、今更望むとは思えないものね。……今まで以上に、あの子は戦う道を望むだろうけれど」

「そこなんだよなぁ」

 美辞麗句で飾り立てても、剣の道は他者を害する道だ。

 当主に就任する可能性が断たれた事で、そのような道から鈴羽が外れる事を二人は心から望んでいた。

 神墜を手にした事でその道は消え失せ、妖刀が最後に遺した言葉は十代の若さで数多の戦と死をその身に刻んで来た二人に、大きな影を落としていた。


「適合してるだけじゃ、俺は応えなかったさ。コイツも力を手にする事を望んだから、俺はコイツを呼んだ。答えはいずれ分かる……その時に、お前らが生きているかは知らないけどな!」


 強大であるが故に他者からの理解を得られず、孤独な戦いの道を往く事を理解しながら、その先の何かを鈴羽は求めている。

 正体を解せずとも、武器が無ければ届かない道など美しい筈が無い。それを望んだ以上、鈴羽は幼くとも二人の理解を超えた領域に立っている。

 亀裂が走る程に酒杯を強く握りしめ、珪孔は大きな溜息を吐く。

「難しいなぁ、人生の歩き方って奴は」

「そうね。私達が思うよりずっと複雑で、そして残酷な物なのでしょう。……届かずとも、手を掴んで貰えなくとも、あの子を支えなきゃ」

「それぐらいしか出来ないが、そうだなぁ」

 倦んだ声で合意が交わされ、二人は暫し黙々と箸を進める。外から届く祭りの喧騒をやけに遠く感じながらも食事は淡々と進むが、既に味など二人の意識から排除されていた。


 ――なぁすず、お前の望みって一体なんだ? 俺や逢祢にすら言っていない、神墜を使わなきゃ出来ないことって、どれだけデカい夢を見ているんだ?

 

 答えの出ない問いを、二人の御三家当代は脳内で巡らせ続ける。

 妹のように思っていた少女が、届かない存在になっていた事実に、酷く惨めな気持ちになりながら。


                 ◆


「……と、こんなところかな。少しでも楽しんで貰えたなら僥倖だ」

「六歳であの物騒なカタナ使いだしたのか。やっぱアンタおかしいだろ」

 アークス王国首都ハレイドの片隅。 

 格式も何もあったものではない、大衆向けの喫茶店で金髪碧眼の青年、クレイトン・ヒンチクリフが渋面を浮かべる。年下の同僚の反応をにこやかに受け止め、レザージャケットに細身のパンツを纏うスズハは紅茶を口に含む。

 先日の任務で対峙した敵が極東出身だった事に端を発し、ささやかな祝勝会の席でクレイが投げかけた問いに答える形で、スズハは自身の過去についてざっくばらんに語っていた。

「私が特別だった訳じゃない。珪孔さんや逢祢さんだって、私と同じぐらいの年齢で刀を振るっていた」

「そう言われてもなぁ……戦う相手が違い過ぎる」

 理由こそ異なれど、クレイは物心付いた頃から守る為に力を行使していた。

 食糧を奪いに来る同類や警邏の者と戦略兵器では、格が違い過ぎるせいで共感し難いのだ。そのような類の主張を溢して、クレイは目を泳がせる。

 凶暴性と独自性が強い戦闘能力を持つが、節々に十八歳の若さが滲む同僚に目を細めながら、スズハは小さく頷いた。

「こうして話すと、やはり祖国や旧知の人達が懐かしく思えるね」

「ヒノモトは遠いからなぁ。『転瞬位トラノペイン』の座標とかも、そん時は刻めてなかっただろうしな。その二人には会ってないのか?」

「逢祢さんとは知っての通り。珪孔さんは……蓮華君、息子さんが生まれた後に一度会ったきりだね。便りも絶えて久しい」

 アークス王国に自分を引き上げてくれた恩人、ハルク・ファルケリアと結ばれた逢祢とは未だに交流が続き、クレイ達と引き合わせた事もある。

 反面、政変を経てアメイアント大陸に渡った事もあってか、珪孔との交流は無くなったと言って差し支えない状態だ。最後に会った時も、何処か自分への怯えが滲んでいたようにも見えたが、それを解消する機会は未来永劫ないだろう。

 交流があると言えど、一線を退いた事は逢祢も等しく、同じ志を共有出来ていなかった事もまた然り。悪感情に基づく物ではなくとも、敬愛する者と道が分かれた事実には寂寥の情が浮かぶ。

「そんな顔をしないでくれ。過去は過去で、今は別だよ。今の私は君やルチア、そしてオズと共に歩める事が一番の幸せだ」

 心に過った痛みと、同僚の顔に浮かんだ負の感情を吹き払うように、スズハは大袈裟な所作で手を振る。

 わざとらしい振る舞いだと自覚しているが、抱いた感情は紛れもなく本心だ。

 過ぎ去った時間や離れてしまった者への懐古は、恐らく何があっても消えない。されど、ここで共に歩んでくれる彼等への愛情を上回るかと問われれば、答えは否。

 彼等と共に歩むことは、スズハにとって何物にも代え難い宝になっていた。

 四天王の肩書を手放した後も。現状の生き様で辿り着けるか怪しいが、老境の域に達した頃も。スズハ・カザギリは、友と呼べる者達との時間を過ごせる事を心から望む。

 願いを実現させる為に成すべき事は、過去の自分が、神墜を抜いた頃から抱いていた理想と奇しくも等しい。

「そういや、ムラマサは人の素質や力量。そんで願いの内容で使い手を選ぶんだろ? スズさんは、何を望んでたんだ?」

「あぁ、良い質問だね……」

 供されたパンケーキを放り込みながら。とは思えぬ核心に切り込む問いに、スズハは微笑を湛えて応じる。

 音にすればあまりに安く聞こえてしまう、単純かつ物騒な代物であっても、父の手から刀を受け取った時から神墜を手にした瞬間まで。

 そしてクレイ達と共に戦う日々の中でも、失われた事のないそれは、確かにスズハの根源であり、どのような苦難にも立ち向かえる原動力になっている。


 ――言うような場所でもないが、恥じることもないな。


 背筋を正し、小さく息を吸う。

 緊張で身を跳ねさせて食器を置き、真剣な面持ちに切り替えたクレイをしかと見据え、風切鈴羽は心からの笑顔と共に自身の根源を告げる。


「全ての悪を打倒して、世界を平和にする。今も昔も、私の望みはこれだけだよ」

 

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