8月21日

 私が入るなり、静那はにっこり笑った。

「おちつく」

 静那の言葉は、どんどん短くなっていく。

 きっともう、言葉をつなぐ力さえないのだろう。

 私も、言葉が無くなっていく。彼女の現状に目をつむって、好き放題話せるような性格だったらよかったのに。

「あ、あのね、静那」

「ん」

「今日は、今年一番暑いんだって」

「へえ」

「外でね、かき氷とか、売ってたよ」

「かき、氷。いいね」

「ね。夏祭りとか、行……はじまってるみたいだよ。私は、行かないけど」

「行って、きたら?」

「でも、一人で行っても」

「かおる、いるでしょ」

「あいつは……」

「ひかる、と、かおる、仲いいから、楽しい、よ」

「私とあいつが? 全然だよ。仲、別によくない」

 くひっと静那は笑った。

「ひかるは、思ってるより、かおるの、話、してたよ」

 頬が熱くなる。そんなつもり無かったのに。

「私、嫉妬、しちゃうくらい」

 おどけるように静那は笑った。

「やめてよね」

「ひひ」

 静那は、息をこぼすように笑った。しかし直後、一転して唇を結んで、目を閉じた。

「静那……?」

 静那は、かすかに微笑んでいるように見える。

 修学旅行のとき、トイレに目を覚ました時も静那はこんな表情をしていた。普段、あんなにおしゃべりな静那がこんなに子どものように静かに心地よさそうに眠るなんて、と、驚いたのを思い出す。

 お泊りの時もそうだった。私は、寝る気はなかったのに、静那は「寝るよ」と言って、ものの数秒で眠ってしまった。その時も、同じ表情をしていた。内緒だけれどそのとき撮った寝顔は、私の鍵付きフォルダのなかで眠っている。

「静那」

 今も同じように静那は眠る。

 けれど、今はそれが不吉な予感を招いてしまう。いや、現実というべきか。まだ確信のない、その一つの現実が、急速にこちらへ駆けてくるような感覚になってしまう。

「……」

 彼女の頬に触れる。あたたかなやわらかい頬。掌と一緒だ。彼女は、こんなに生きている。

「行かないで」

 また、その瞳を見られるように。私のそれは、もはや祈りだった。


「はあ? 冗談だろ」

「冗談じゃない。暇だったらどう」

 かおるは眉をひそめた。無理もない。私は普段こんなことを言う人間ではないのだから。

「姉貴と、二人で?」

「うん」

「本気?」

 よほど信じられなかったらしく、彼は何度も聞いた。しかし、ここで恥ずかしがったり、言い返したりしたら静那の提案に背いてしまう。

「私と二人で」

「……」

 かおるも何かを感じ取ったのだろうか。しばらく私を品定めするように見つめていたが、やがてため息をついた。

「いつ」

「明後日」

「急すぎるだろ」

「ひまじゃないの?」

「ひまだけどさ」

「じゃあ」

 私は彼を見つめる。弟はまたため息を吐いた。

「わかったよ」

 その後、母にもその予定を伝えた。

「正気?」

 子ども達に対してそれはないと思う。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る