第9話 さっきから全く瞬きしていない
「……」
「……」
僕の家から徒歩五分ほど歩いたところにある、静かな雰囲気の喫茶店。
そこで僕は、仏頂面の青年と向かい合うようにして座っていた。
気まずい。
それはもう、気まずい。
これ以上ないってくらいに、気まずい。
ただでさえ内向的で、関わりのない相手とろくに喋れないのに、相手はかつて僕が一度ブチ切れさせた相手だ。
緊張で喉はカラカラ。
運ばれてきた水をあっという間に空っぽにした僕は、胃に穴が開きそうな沈黙の中で閉口していた。
「……なんで俺がお前を呼び出したのか。わかんねぇとは、言わせねぇぞ?」
いえ、まったく分からないです。
心当たりがあるかといえば、それもまた微妙なところだ。
たしかに僕は、この岡田さんの元カレさんのことを、それは大層怒らせたことがあるけれど、あれはもう何ヵ月も前のことだ。
今更、あの日のことを蒸し返してくるとは、あまり思えない。
しかし、僕はこの人に、あの日以来、一度も会っていない。
つまり何が言いたいかというと、もはや僕にボコられる以外の未来は残っていないということだ。
「……お前、紀夏に、なにしたんだよ。お前、紀夏を幸せにするんじゃなかったのか?」
「(?)?」
なにしたんだと言われたら、たぶん色んなことを沢山してる。
同じバイト先ということもあり、岡田さんとは接点がある程度あるので、それはもう暇さえあればイキッている。
ただここ一ヵ月くらい岡田さんには会っていない。
そう考えると、最近はむしろあまりイキッてない方な気がする。
「……正直言って、俺はお前を最初、マジでガチモンの異常者だと思ってた」
はい。僕は正真正銘モノホンの異常者ですよ。
合ってます。正解です。
ここがアメコミの世界だったら、僕は間違いなくヴィラン側だ。
早く誰かに退治して欲しい。
「でも、あれから、お前が紀夏に対して、マジキショ過ぎて鳥肌もんの台詞をぶっぱした日から、あいつはたしかに楽しそうだったんだ。認めたくねぇけど、俺と一緒にいた時よりもな。それでよ、わかっちまった。本当に、俺らは終わったんだなって。俺がいなくても、あいつは幸せになれるんだなって」
ぽつり、ぽつりといった調子で、元カレさんは語り始める。
ムーディなカントリー調の洋楽が流れる店内。
やがて、運ばれてきたのは二つのドリンク。
僕はコーヒーを受け取り、元カレさんは紅茶を手に持った。
「……なのに、最近、紀夏は塞ぎこんでる。あいつは、悩んでる。直接話したわけじゃねぇけど、みりゃわかる。しかも、それはたいてい、あいつがバイトに行く時だ。これまでは、バイトに行く日は、あからさまに機嫌よくて、いつも以上にキラキラしてたのに、ここ一ヵ月くらい、あいつはバイトに行く前になると表情が曇るようになった。これはよ、どう考えても、お前が原因だよな?」
どう考えても、僕が原因、なのか?
というかこの人、もう岡田さんとは、別れてるんだよな?
それにしては、やけに詳しいというか、よく見ているというか、まだそんなに関わりがあるなんて驚きだ。
「どういうつもりだよ、キショカス。お前が紀夏を幸せにするんじゃねぇのかよ。もし中途半端な気持ちで、紀夏に手を出したんだったら、マジでここでお前をぶっ殺す。言っとくけど、冗談は言ってねぇ。ガチだ。ガチで、お前を干からびたミミズに変えるまで殴り続けるからな?」
元カレさんは瞳孔が開いていて、完全に決まってちゃっている。
その眼力に、どこぞの店長を思い出して、僕は身震いする。
というか中途半端も何も、まったく手はおろか指一本出してないんですけれどこれいかに。
もしかして僕は、夏が来る前に、干からびたミミズにされちゃうんでしょうか。
「おい、なんとか言えよ。喋るつもりがねぇんなら、その使い物にならねぇ口を、一生使えなくしてやろうか?」
いやいや、さっきからこの人、怖すぎない?
ずっと真顔。
この過激すぎる台詞を言ってる間、ずっと真顔なのヤバすぎる。
しかも、この人、さっきからまったく瞬きしてないよドライアイだよ。
もしかして岡田さんって、めちゃくちゃ男運悪いんじゃないかな。
「(あの、たぶん、それは何か勘違いをしているんじゃないかと……)ふっ、とんだピエロだな。あんたは何一つわかっちゃいない」
「あ?」
頭が飛んでるピエロはお前だよ森山伊秋。
こめかみがピクピクと脈動する元カレさんは、今にもこの僕という名の愚かな道化をぺちゃんこにしそうな勢いだ。
だけど、正直言って、おそらくこれは大きな勘違いを生んでしまっている。
どうやら元カレさんの話曰く、ここ一ヵ月くらい、岡田さんは調子を崩しているらしい。
しかし、この一ヵ月くらいの間は、むしろ僕は岡田さんに会えていないのだ。
つまり、どちらかといえば、僕という犯罪スレスレの同僚と仕事をせずにすんで、のびのびと元気になっているはずだ。
だから、もし岡田さんが悩んでいるんだとしたら、それはほぼ確実に僕に関することではない。
基本的にはだいたい有罪の僕にしては珍しく、これは冤罪だ。
「(ここ最近、僕は岡田さんに会っていないので、岡田さんが悩んでいるとしたら、別の原因ではないかと……)岡田さんと最後に会った日から、もう30の夜は超えた。憂いの居所は、ここにはない」
「それはつまり、紀夏をほったらかしにして、それも気にもしてないって意味か?」
いや、たぶんそんな意味じゃないです。
ほったらかしというか、そもそも僕と岡田さんはそこまで頻繁に関わり合うような関係性でもないし、そんな資格は僕にはない。
気にしてないもなにも、むしろ僕に気にされる方が迷惑なはずだ。
「ふざけんじゃねぇぞてめぇっ!!!! 紀夏を寂しくさせやがって! やっぱりてめぇはここでぶち殺す!!!!」
――ドンっ! とその時、大きく机が揺れ、僕のコーヒーが少し零れる。
あまりの衝撃に腰が抜け、僕は微塵も身動きができなかった。
とうとう怒りが最高潮に達したらしい元カレさんが、身を乗り出して、僕の胸倉をつかむ。
コーヒー、まだ一滴も飲んでなくてよかった。
飲んでたら、たぶん尿意と恐怖の相乗効果で、僕は今頃失禁していたはずだ。
「……今ここで選べ。今ここで俺にぶち殺されるか、今すぐ紀夏に会いに行くか。どっちかを選べ」
信じられないほどドスの効いた声で、元カレさんは僕を恫喝する。
ここで僕が死ぬか、僕がアポなしで岡田さんの下へ駆けつけるか。
どう考えても、岡田さんを喜ばせるには前者の方が良さげだ、唯一の問題として僕がまだ死ぬ覚悟ができていないというものがある。
というかなんでこの人、こんなに怒ってるの?
もうやだ。
ここで大量の弁明をしたかったけれど、そんなことをしたら、火に油を注ぐだけなのは分かり切っている。
どうすればいいんだ。
ただ生きるだけで、僕は岡田さんに迷惑をかけるのか。
「ほら、選べよ」
完全に目がガンギマリの元カレさん。
僕に選択肢はない。
本当にごめんなさい、岡田さん。
今から僕は、君にイキリに行きます。
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