第22話 お酒美味しい
そもそも、前提が間違っているんだ。
僕はいつも店長の飲み会の誘いを、厳密にいえば断っているわけじゃない。
ただ、参加を表明していないだけなのだ。
バイトの打ち上げ飲み会は、たいていメトロポリターノの店内にある黒板に、参加者が名前を書き込むシステムになっている。
茂木さんや岡田さん、津久見さんはよく、談笑しながらそこに一緒に名前を書き込んでいたけれど、僕は違う。
そもそも、これまでは皆の話の輪に加わるなんてことが、ほとんどなかったのだから、当然名前を書き込まなかった。
それは僕なりに空気を読んだというか、僕のような退屈で暗いだけのつまらない奴が紛れ込んでも、盛り上がりを落ち込ませてしまうだけだと思っていたので、遠慮していたことが大きい。
だから、理不尽とまではいかないけれど、僕が今襟元を掴まれているのは、ちょっと不当な扱いだと思うのだった。
「ナア? おかしいヨナ? あたしが開く飲み会には一回も来たことないくせに、こいつらとはなんで普通に飲んでんだ? あたしはこう見えてもな、いつもお前のことを気にかけてたんだぞ? 森山にはもっと店に馴染んで欲しいなって思ってたけど、お酒が苦手なら仕方ないか、とか考えてたのに。それなのに、お前、この前も茂木と飲んだんだろ? そんで今日は津久見と? やっぱりおかしいよナア? どうしてあたしを呼ばないんだ? おかしくね?」
いや、全然おかしくないと思います。
普通、バイト帰りに飲む流れになって、店長を呼ぼうとは思わないだろう。
わざわざ休みの日に、こんな刺激的な人物を積極的に呼ぶ人がいたとしたら、中々の強者だ。
とりあえず人類屈指の弱者である僕ではできない。
ちなみに理由は不明だがなぜかこの場にいる茂木さんと、そもそもの元凶である津久見さんは、さっきまで死んだような状態でヘッドロックされていたのに、ビールを一杯飲んだ途端に目の輝きを取り戻し、今はニタニタといやらしい表情で僕らのことを観察している。
「ごめんねぇ、森山くん。今日、メトロポリターノに寄る予定があったんだけど、その時に店長に私と森山くんの関係がバレちゃって。うふふ。そしたら、こうなっちゃった」
私と森山くんの関係ってなんだよ。
こうなっちゃったって、凄い楽しそうに言わないでください。
変な言い方をする津久見さんは、暢気にレバーを頬張っている。
「いやあ? モテる男は大変だなあ、森山。店長みたいな乙女をこんなに嫉妬させるなんて、ヒュウッ! 憧れるねぇ!」
絶対憧れてないだろ嘘つくな。
指笛ほんとに止めて欲しい。
茂木さんは案外お酒にあまり強くないらしく、まだ一杯しか飲んでいないはずのなのに若干酔い始めているらしい。
「あ、串カツの盛り合わせとジンジャエールくださーい。他なにか注文する方いますか?」
そして岡田さんは、なぜか若干不機嫌そうで、僕の方を全く見なくなった。
おかしいよ。絶対おかしいよ。
どうして僕が岡田さんの不興を買っているんだ。
店長を呼び寄せたのは僕ではないし、そもそもこの飲み会自体最初は来る気がなかったのに、このカオスな状況は全部僕のせいみたいになっている。
「そ、れ、で? なんかあたしに言わなくちゃいけないことあるよなあ? こんなキュートな女子の誘いを全無視して、ノコノコ他の奴の飲み会には行くことの説明、あるんだよナア? ないわけないよナア? なかったら、さすがのあたしでも、笑っちゃうぜ?」
店長が笑ったら、終わりだ。
僕は迷う。
どうする?
イキるか?
個人的にはいつも通り、店長にはとにかく徹頭徹尾低姿勢で謝り倒したいところだが、今の僕が普通に喋ろうとすると、自動でふざけたことを言ってしまう。
茂木さんや津久見さん、岡田さんという他のメンバーと違って、店長は冗談が通じないタイプだ。
わりと本気で、五体満足では帰れないかもしれない。
「うふふ。ほんと店長って、森山くんのこと好きですよねぇ。前から飲み会のたびに、店長だけは森山森山うるさかったし」
「メンヘラヤンキー怖すぎんだろ。森山、ご愁傷さまだ」
完全に他人事だと思って、茂木さんと津久見さんはまったく僕に助け船を出す気配がない。
やはり、イキるしかないのか。
店長相手にイキったら最後、本当に人生が狂うかもしれない。
僕はもう一度、縋るように岡田さんの方を見る。
目と目が合って、秒で逸らされた。
終わった。
本当に嫌だけれど、僕は素直に謝ることにする。
(すいませんでした。これまで店長の飲み会にいけなくて。これからは可能な限り参加しますので、どうか許してください)
「悪かったな。これまで店長のことを寂しくさせて。これからは必ず会いに行くから。俺を信じろ」
ワーオ。
死んだな、こいつ。
本当に自分のこと誰だと思ってるんだろう。
よくこんな恥ずかしい台詞がすらすら出てくるものだと、僕は感心してしまう。
「まあ、さすが森山くん」
「この状況で信じられねぇ。でもそれでこそ森山だぜ」
「はあ、森山先輩って、ほんと」
襟を掴まれてにじり寄られている僕を、周りの人々が皆生温かい目で見ている。
時は止まり続けている。
さすがの店長も意表をつかれたのか、いつもは常に誰かを睨みつけている美人というよりはイケメンフェイスをぽかんとさせていた。
店長の三白眼が僕を捉えて、離さない。
「……きゅん」
「え?」
「え?」
「え?」
え?
なんか今、聞こえるはずのない変な音が聞こえた気がする。
店長の方から聞こえた気がするけれど、何の音だろう。
とうとう、口だけでなく鼓膜まで馬鹿になったのかな
僕はいつ顔面を殴られるのかと、戦々恐々としながら、黙り込んだまま動かない店長のことを眺め続ける。
「……許す。帰る」
「え?」
「え?」
「え?」
え?
許す? 誰を?
帰る? 誰が?
頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになるが、その回答が明かされる前に、店長はふと僕の襟から手を離すと、ゆっくりと立ち上がり、踵を返した途端に全力でダッシュして店から出ていった。
――ガラガラガッシャン!
現れた時と同じ様に、何の前触れもなく突如消え去った店長。
残された僕は、どうすればいいのかよくわからず、とりあえず心を鎮めようと、混乱のままハイボールを一気飲みする。
あー、お酒美味しいなあ。
「……なんか店長から最後、恋に落ちる音、聴こえなかったかしら?」
「……これは予想外の展開だな。森山、がんばれよ」
「……いやいや! いやいやさすがにそれはないですよね!? だって、店長って元々、一番森山先輩と絡みありましたよね!? だったら、こういう森山先輩の変なことを言う癖も知ってるはずじゃないですか! だからあんなふざけた台詞、真に受けるわけないし!」
アルコールが脳に染み渡っていく。
僕は今日色々あったことを、今はどうにも考えたくなかった。
どうして店長がいきなり帰ったのかとか、本当に知りたくない。
とりあえずハイボール追加しよう。
あー、お酒美味しいなあ?
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