12
不意に、集会所と玄関を隔てる扉が開いた。
そこに居たのは水上だった。
「どうも、遅れてすみません。自治会長さんが留守電入れてくれとったの聞いて、やってきたんですが、まだ会議は終わってませんよね?」
警察官である水上が入ってきて座るなり、東と佐藤が同時にいくつもの質問を水上に浴びせかけた。どうなってるんだ、とか今後の見通しは、という言葉が次々に発せられるが、水上は両手を振って困惑した様子を示した。
「皆さん、とりあえず落ち着いてください。私に答えられることはほとんどありません。だって私、白バイ乗りなんですよ。若いころに一時刑事課に配属されたことはありますが、すぐに移動願いを出して半年もいなかったんだから、何にもわかりませんよ。もちろん捜査にも参加できません。私みたいな素人が入ったら、刑事課も迷惑でしょう」
「じゃあ、署のほうはどうなんですか? ちゃんとやってる様子なんですか?」佐藤が問い詰めるように言った。
「上のほう……、えっと、刑事課は
「何か、新しい情報はないんですか?」
「ありません。もしあったとしても、私が勝手に申し上げることはできません」水上はきっぱりと言った。
「じゃあ、これからどうなるんですか?」福井が問う。
「知りませんて。刑事に聞いてくださいよ」
「奥様も警察官なんですよね? 奥様から何かうかがってませんか?」五島が言った。
水上は眉を顔の中央に寄せた。
「いえだから、言えないっていうのに……。何も聞いてません」
「言えない、言えないって、ちょっと無責任じゃないか。あんた公僕じゃろ」東がなぜか怒りを含んだ口調で言う。
「無責任って、私に何の責任があるんです。私は刑事でもないし、警察署長でも県警本部長でもありません。重箱の隅を突くような交通違反を挙げて、市民の皆様に蛇蝎のごとく嫌われるのが私の責任ですよ。いいかげんなことは言わんでいただきたい」半ばヤケ気味に水上が答えた。
「まあ、両者とも落ち着いてください。東さん少し言葉が過ぎます」五島が言う。
五島にたしなめられて、すみません、と東は頭を下げた。
「じゃあ、今回みたいことがあった場合、警察の捜査というのはどうやって進行していくんですか? 一般論でいいので、教えていただけませんか?」美咲が言った。
まあそういうことなら、と水上はひとつ咳払いをした。
「あくまでも私の知ってることですよ。今は違うかもしれません。それを前提に聞いてください。……まず事件があって一一〇番通報があると、署の通信指令センターというところに連絡が行きます。そして次には、最寄りの地域課つまり交番や駐在に連絡が行って、すぐに現場に駆け付けます。同時に、関連する課、要するに殺人事件や強盗ならば刑事課、少年事件なんかだと生活安全課、交通事故だったらもちろん交通課ですが、担当する課に連絡が行くんですね。……でもまあ、今回みたいなケースだと通報があったのは朝早くだったみたいなので、当直の人間が真っ先に現場に行ったと思います」
美咲は朝現場にいた警察官の姿を思い出した。あの人たちが、地域課または当直の人たちだったのだろう。
「そして、担当する課の人間と、必要があれば鑑識が行きますね。鑑識ってのはご存知でしょうけど、写真を撮ったり指紋やDNAを採取したり、証拠の確保をして、科学的に分析する部署です。現場に真っ先に入るのは、この鑑識ですね。刑事ドラマなんかでは、刑事がホトケさんの姿を確認したり鑑識に指示を出したりする場面がありますが、ああいうのは実際には有り得ません。鑑識が最優先です。そして、重要事件であるということが確定すると、所轄と県警本部が合同で捜査本部を組織することになります。捜査本部は、署の講堂や大会議室に設営されることが多いです。捜査本部の本部長は、刑事部長が就任することになってますが、刑事部長が実際に指揮を執ることはないですね。殺人などを捜査する捜査一課長か、その下の管理官が行います。そうして捜査本部に情報を集約して、所轄の署員と県警本部からやってきた一課の刑事がやってきて、犯人検挙に向けて動くということになります」
水上は言葉を途中で絶やすことなく一気に言った。
「これでよろしいでしょうか。何か、ご質問があれば答えられる範囲でお答えしますが」
五島が小さく挙手した。
「どうぞ」
「あの、で、その捜査本部というのは、今回はできそうなんですか?」
「たぶん、できるんじゃないでしょうかね。本部の一課の連中がすでに何人か来てたようですから」
「被害者について、何かわかってることはあるんですか? たとえば、死亡推定時刻とか」と佐藤が問う。
「さあ……そもそも、まだ遺体を解剖してないでしょうから、具体的なことは何にもわかってないんじゃないでしょうか」
「まだ解剖してないんですか?」
「解剖って医者なら誰でもできるわけではなくて、大学の法医学の先生に来てもらってやるんですけど、もちろんあちらさんのご都合もあるでしょうし、けっこう着手までに時間がかかるもんなんですよ。それに、高齢化のせいか、あちこちで孤独死や道端でぽっくり行ってしまう人が増えてて、解剖してくれる医者は慢性的に不足してるんです。下手したら、三日とか四日後になる場合もあるようですよ」
「そんなに……」
「具体的な死因や死亡推定時刻はそれまでははっきりしないと思います」
「あの、私もいいですか?」と福井が挙手をした。
「ええ、どうぞ」
「うちにも今日の昼過ぎに、おまわりさんが聞き込みに来たんですけど……、その、ちょっと態度が高圧的というか、怖いみたいに感じて。刑事さんというのは、ああいうものなんでしょうか」
合いの手を入れるように、佐藤が、
「うちもそうじゃった。何か、私らが悪いことしとるような感じで」と言う。
美咲も同感だった。
福井が話を続ける。
「あっちからはいろいろ聞いて来るくせに、こっちから何か質問したら、『答えられません』の一言ですまされたんです。具体的に言うと、『凶器は何だったんですか?』とか、『不審人物の目撃例はあるんですか?』とか聞いても、何も教えてくれませんでした。近所の住人としては、そういうことも知りたいじゃないですか。でも、『答えられません』とか『捜査上の秘密に当たるためお話できません』とか。捜査に協力するつもりで聞き込みに応じて正直に答えてるのに、こっちには何も教えてくれないのは、その、フェアじゃないと思います」
それを聞いて、水上はため息を吐いた。
「おっしゃる意味は良くわかります。刑事はどうしても人当りが強くなってしまうので、悪い印象を与えてしまう……。正直言って私も刑事課、特に組織犯罪対策の人間は、見てるだけで怖いくらいですから。捜査の情報に関しては、公式には広報を通して以外では発表できませんし、一刑事が自分の判断だけで情報を漏らすなんてことは、あってはならないことです。それに捜査の情報を公開しないのは、ちゃんと理由があるんです」
「どんな理由なんですか?」五島が問う。
「秘密の暴露、というんですが。例えば、犯人が使った凶器のナイフが、川底から見つかったとしましょうか。この情報はマスコミに発表せずにあえて伏せておくんです。そして、被疑者を逮捕して、『ナイフを使って殺し、あとで川に捨てた』という自供が取れたとしましょうか。すると、真犯人しか知り得ないことを自供したということで、裁判で犯人であることを立証する最有力の証拠となるわけです」
「なるほど、わかりました」
「ですので、皆さんが捜査本部からもたらされる情報が少ない、あるいはぜんぜんないと不満に思う気持ちは理解できますが、最優先はあくまでも被疑者の検挙です。捜査というのはそういうものだと諦めてもらうしかないと思います」
福井は眉間にしわを寄せながらうなずいた。
「あの、自治会長さん、ちょっとええですか」それまで一言も発していなかった佐伯が言った。
「なんでしょう?」
「あの、十年以上前になると思うんですけど、自治会で集落の交差点などの要所要所に防犯カメラを設置してはどうか、ということが提案されたことがあるんですよ。私はそんときに防犯担当役員じゃったけん覚えとるんですけど」
「そんなことがあったんですか?」
「ええ……。賛成する人が多かったんじゃけど、業者に見積もりを頼んだら、かなりの額になってしもて、しかも電力会社に電柱一本一本ごと借りる申請をせにゃいかんということで、立ち消えになってしまったんです。こんな物騒なことが起こるようなら、もう一回検討してもええ気がするんですけど、いかがじゃろか」
五島はしばらく考えていたが、
「難しい問題ですね。防犯カメラ設置するとなったら、自治会費も値上げせにゃいかんことになるじゃろうし……、役員と班長だけで決めてええことじゃないでしょう。たぶん住人総会特別決議が要るじゃろう。今ここでは、何とも言えんです」
「そうですか……」
発言する人がいなくなり、集会所は静まり返った。外から窓を隔ててカラスの鳴き声が聞こえてくる。
「それじゃ、臨時の回覧板を回すとして、文面はどうしましょうか」美咲が言う。
「えっと……、戸締りはきちんとすること、不要不急な外出はなるべく控えること、警察の聞き込みには協力すること、気が付いたことがあれば警察に連絡すること、くらいかね」と佐藤が言った。
敏子がメモ帳にボールペンを走らせる。
「えっと、たぶんこれだけ現場近くだと、聞き込みは複数回来ると思うので、そのことも書いておいていただけますか?」水上が言った。
「わかりました」と敏子が答える。
「それじゃ今から家に帰って、文書を作って、いつものように広報さんのお宅に届けたんでいいですか?」美咲が言った。
「いや、まあ今日はもう遅いし、明日でもいいじゃろう。あんまり出歩くと、物騒じゃから。明日のお昼くらいまでに、広報の島本さんのところに持って行ってもらえばええでしょう。島本さんには、私のほうから知らせておきます」
「あ、はい」
「では、ほかに何もなければ散会とさせていただきますが」
発言する者はいなかった。
集会所の下駄箱前で靴を履きながら、美咲は、
「そういえば、うちにやってきた刑事さんは一人だけだったんですけど、刑事ドラマでは捜査は二人一組でやるみたいな描写が多いですけど、そんな決まりはないんですか?」と水上に訊いた。
「私が刑事だったころ、今から二十年前はそうだったんですけど、最近ではベテランだと一人で地取りに出されることが多いみたいですね。どこも人間が足りてないので。今回もたぶん捜査本部ができれば、本部だけじゃなくて隣の警察署の刑事も動員されるでしょうね。そのぶん、あっちが手薄になるんでしょうけど」
「どうして、刑事をやめて交通課に移ったん? 刑事は花形じゃろうに」と佐藤が尋ねた。
「いやあ……それが、向いてないというか、とにかく刑事はハードワークなんですよ。まあそれはいいんですが、刑事ってね、臭いんですよ」
「臭い?」
「ええ……。私が刑事になったばかりのころ、県南のほうで殺人事件があったんですが、捜査本部ができると、人が会議室に集まってぎゅうぎゅうになるでしょう。それに、本部から来てる連中や応援に駆け付けた人間は、武道場とかにせんべい布団並べて泊まり込みになるんです。人が多いから、風呂なんかまともに入ってる余裕はないんで、もうシャワーで水をかぶるだけ、みたいな」
「へえ。たいへんなんじゃね」
「最近はだいぶ女性警察官も増えてきたとはいえ、まだまだ男が仕切ってる世界です。泊まり込みだとコンビニ弁当や出前なんかの脂っこいものばかり食べることになるし、当時は署内は禁煙じゃなかったから、捜査本部はもう、タバコの煙と中年の汗と脂の臭いで満ちていて、吐きそうになってしまって。で、これじゃ俺には刑事は勤まらんということで、移動願いを出したんです」
それを聞いて、喫煙者である美咲は少し耳が痛かった。
集会所を出ると、水上は現場の見張り番をしてる制服警官に近寄って、「ご苦労様です」と言って敬礼をした。
「あの方、ひょっとして寝ずに番をするんですか?」美咲が尋ねる。
「もちろんどこかのタイミングで交代するでしょうが、まだ鑑識が必要みたいなんで、二十四時間体制で続けるでしょうね」
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