第28話 聖女の物語
月の地表を衝撃が走る。
衝撃と轟音、上下左右も分からぬほどに振り回される感覚が唐突に途絶えた。
最も最初に我に返ったのは、歴戦の兵士である『硝煙の聖女』エルだ。月での激戦の最中、ハツミ博士の警告の声と同時に全てが崩壊したのを肌で感じた彼女は、とっさに回避行動を取ろうとしたものの、空間自体が崩壊していく衝撃に為す術も無く吹き飛ばされた次の瞬間、彼女は地上にいた。
「……良かった! 成功したんですね!」
「ええ、全員、再召喚ができたみたいだ。みんな、大丈夫かな?」
場所は地上、王城の中庭。心配そうな声とともに駆け寄ってくるのは王女ワンダと勇者ワタルだ。
「……いったいどうやって?」
「実は、皆さんが月に出発した後、万が一の備えをしておいたんです。
王女は、意識を取り戻した他の聖女たちにも改めて、現在の状況を説明するのだった。
王女の得た加護は、回復の力を行使するものだったが、ひとつだけ特別な力があった。それは王家に列なる者として、女神の加護を磨き続けた一族だけが身につけるもの。女神の力を通じて、女神と交信することができるのだ。といっても必ず必要な情報が手に入るわけでもなければ、意味ある情報が得られるわけでもない。女神はこの世界を形作る強大なルールや力の化身であり、人間とは尺度の違う世界に存在する上位存在なのだ。
だが、今回王女はなんらかの警告を交信の中に聞き取った。それを伝えられた勇者ワタルも即座に備えを整えたというわけだ。
実は、一度召喚した相手を再召喚するのは、原理的には簡単だったらしい。ただし、膨大な魔力が必要となったため、急遽王都にいた魔法使いを集め、全ての力を勇者ワタルが結集することで7人の同時再召喚が可能となった。そして、準備が整ったところで、すぐに月からの通信によって月の
王女の決断、周囲の協力、そして即座の判断。どれかひとつでも揃っていなければ、おそらく聖女たちはそのまま飲み込まれて、
「危機一髪だったんですねぇ……」
「まぁ、帰り道をショートカットできたし、ラッキーだったね!」
今更長良に震えが来たのか、天を仰いでいるシズクに、脳天気に喜んでいるリューコ。
だが、次にワタルから告げられた言葉に、聖女たちは再び驚愕することになった。
「今回の再召喚と、月で起きた空間崩壊を観測した結果、ひとつの術式の可能性が浮上したんだ。それは、君たち聖女を元の世界に戻すための「召喚」魔法……皆、元の世界に戻れたら戻る?」
衝撃的な事実に再び聖女たちは固まった。
――――――
聖女たちを元の世界に送り返す魔法、召喚ではなく召還の儀式が新たに作られた。
では、そもそもこの世界に聖女を呼び寄せるための召喚とはどういう魔法だったのだろうか?
そもそも、この世界には勇者召喚の儀式が存在した。
それは、異世界から力ある存在を呼び寄せる禁断の技術であり、
だが、その勇者召喚の秘術には問題があったのだ。まず、召喚者であるワタルがたまたま超高魔力の持ち主だったため、女神の加護が与えられず
ワタルはその召喚術を造り上げる際に、様々な規則を織り込んだ。そのひとつが、聖女の対象は元の世界で命の危機に瀕した状況であるということ。言ってしまえば、元の世界で死の運命が確定している相手をこちらに引き抜くという形で、元の世界に影響を与えないような抜け道を作り出したのだ。
ワタルは、強引に召喚を行うことによって、本当ならまだその世界で為すことがある人間を、奪ってしまうのを避けようとした。異世界の偉大なヒーローたちを奪うことは許されない、そうワタルは思っていたからだ。
だから、ワタルは聖女たちを元の世界に返してあげたいと考え、
召還した人間を元の世界に戻すことは不可能だと、もともとワタルは思っていた。
無限に存在する並行世界から、キーワードを使って絞り込んだ聖女の対象者が元いた世界を特定することは不可能。だが、今回の事件によって、
――――――
「で、みんなはどうするんだ?」
聖女の皆が集まった場合、最年長のエルがもっぱら司会役を務めていたのだが、今回も同じようだった。
エルにそう促されたのは、特に悩んだ様子も無いリューコだ。
「あたしは帰るよ。まだまだやり残したこともあるし……こっちで成長した分を試してみたいからね!」
リューコははっきり、帰ると口にした。同じように帰ることを決めているのは他にもいるようで。
「私も帰ります。こっちに呼び出されたときは、危機的状況でしたけど……こちらで得た力があれば、なんとかなりそうですし」
「私も帰るつもり。……もしかしたら、女神の加護って、帰ったときのことも考えて与えられてたのかも」
シズクとカリンも帰ると決めている様子であった。
「……タマキは?」
「もうすこしだけ、死者の魂たちが落ち着くまではこちらにいようかと思ったんだけど……」
話を振られたタマキは、困ったように眉根を寄せる。彼女は、王都の鎮魂を願う儀式を毎日のように行っていたのだ。
「でも、ワタルおにーさんが言うには、なるべく早く戻った方がいいとか?」
「
「……なら、やっぱりわたしも帰ろうかな。そういうエルおねーさんは?」
「私も帰るよ。こちらの世界でできることはもうやったからね」
タマキもエルも帰ることを決めたようだ。
となると残るは2人。発明家として敵対組織から発明ごと命を狙われたハツミと、はるかな未来社会で反逆者として破壊されかけた戦闘用人造人間のノエルだけが、まだ帰るかどうかを決めかねていた。
「……ノエルは、戻らないのか?」
「当機には、元の時間軸に帰還する理由はありません。新たな力を得ることはできましたが、当機は当該世界においては単なるイレギュラーとして、排除されるしか道はありませんでした。当機にとって重要なのは生存することだけ。元の世界に戻るよりも当世界に残留した方が生存率は高いと判断しました」
「ふぅん……こちらに残るのか。それなら、わたしと一緒に来ないか?」
「当機が、Dr.ハツミの世界にともに向かうというのですか? 可能なのでしょうか」
「ああ、勇者くんに確認したが、わたしときみの世界は近い位相にあるらしいから、可能だということだ。実はね、私の世界にはこれから危機的状況がくると予想されていて、君の力が借りられると嬉しいんだ」
「承知しました。実は、当機のみがこの世界に残留するのは、この世界における遺物として、科学的、文化的な問題を起こしうる可能性が存在します。なので、その可能性を減ずるDr.ハツミの提案のほうが当機の有用性を活かせると判断します。」
「じゃ、一緒に行こうか」
どうやらハツミはノエルを連れて元の世界に帰還するようだ。
「これで全員決まったね……じゃ、長いような、短いような間だったけど、みんな元気でね」
聖女たちは、それぞれの世界に帰ることとなった。
笑いあったり、握手をしたり、別れを惜しんで涙をこぼしたり、ひとしきり騒いでこの世界での最後の数日を過ごした一同。
そして、彼女たちが元の世界に帰る日がやってきた。
――――――
勇者ワタルが聖女召還を発動させる。すると、この世界と彼方の異世界を繋ぐ光の門が、王城前の広場に浮かび上がった。
王城前の広場には、聖女たちの帰還を一目見ようと、大勢の人たちが押し寄せていた。
この国、そしてこの世界を救った英雄の帰還、その伝説の最後の瞬間を前に、群衆は息を呑んで見守っていた。
「兵士たちよ! 私は帰還するが……お前たちの精神と技術に私の痕跡を残せたことを光栄に思う! あとの戦いは任せた!」
『硝煙の聖女』エルは、彼女の大勢の部下たちに一言告げて、元の世界への帰還した。兵士たちは、鬨の声を上げて彼女の出立を見送った。
「楽しかったな! 異世界で修行して強くなって帰るなんて……アニメの主人公みたい!」
「そうですね、みんなまるで主人公みたいでしたね……じゃ、さようなら」
「うん、またね!」
『鉄拳の聖女』リューコと『霧刃の聖女』シズクが気楽にゲートを通り抜けていく。二度と会うことはないと分かって居ても、リューコはまたねと声をかけたのを、王女ワンダは泣き笑いの表情で見送った。
「喚んでくれてありがとう、勇者様!! おかげで、自然と友達になれたみたい」
「私も多くの魂と繋がる事ができたみたい。ありがとう、ワタルおにーさん」
『超能の聖女』カリンの旅立ちを祝うように風が舞い光が踊った。自然の力を携えて、彼女は荒廃した元の世界へと帰還する。そして『霊威の聖女』タマキの周囲には、この世界で縁を繋いだ多くの魂たちがいた。彼女の帰還と同調するように、魂たちは淡い力の奔流となってタマキの背中を押していく。
「最後はわたしたちだね。ノエル、これからもよろしく」
「はい、Dr.ハツミ。当機の寿命が尽きるその時まで、お供させていただきます」
きみの耐用年数は何百年あるんだろうね、と軽口を叩きながら、ハツミとノエルは光の門の中へ消えていく。
王国の民があげる歓声のなか、7人の聖女たちはそれぞれの世界へと帰還した。
そして、最後に残ったのは勇者ワタルと王女ワンダだ。
だが、まだまだ多くの障害が残されている。王国の復興と
それを支える主役は王女と勇者になるだろう。
「勇者様……いえ、ワタル様は帰れたとしたら、帰りましたか?」
「…………いいえ、たとえ帰れたとしても帰りません。こちらに残りたい理由がありますから、ワンダ様」
歓声のなか、王女の質問に対して、真っ正面を向いたままのワタルはそう答えた。
勇者召喚を行った師匠はすでに身罷ったため、ワタルが元の世界に帰る方法は存在しなかった。だが、もし仮に存在したとしても、ワタルはこの世界を離れなかっただろうと、確信していた。
なぜなら、彼には元の世界に戻るより、大切な物がこの世界でできたからである。
「ワタル様、それはもちろん……この国の王になるという決意ができたという
「……………………えっ!?」
にっこりと笑う王女の言葉に、あっけにとられる勇者ワタル。
そういう話は、そのうちゆっくりと詰めていければ、そう思っていたワタルは不意打ちされてたじろぐのであった。
聖女は王国より去り、勇者は王として国を治めた。
だが、この世界を救ったのは、強すぎる7人の聖女たちだった。
そして、王国の危機の物語は終わる。
聖女たちの物語は、まだ続くのだが……それはまた別の物語だ。
――終――
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