第9話 しょ、食堂が、おじいちゃんの食堂が!

(お腹空いた……喉が渇いた……)

 優希は廃墟を一人彷徨い続けていた。

 やけに喉が渇く。お腹が減る。

 隠れていたお肉を見つけて食べようとお腹が膨らまない。

 喉を潤そうと見つけたお水を飲んでもまったく潤わない。

 隠れたお肉を見つけてどのくらい食べた?

 隠してあったお水を発見するなり、どれだけ飲んだ?

 分からない。分からない。

 ああ、ただ餓えを満たしたい。渇きを癒したい。

 そのためだけに当てもなく彷徨い続ける。

 足取りが重い。頭が上手く回らない。視界がぼける。

(あ~父さんたち、どこにいるんだろう?)

 歩きながら漠然と家族を想う。

 両親と弟の安否は今なお不明。

 ちゃんと避難所にたどり着けただろうか。ケガはしていないだろうか。

 不安はあるのに、餓えと渇きが増殖する形で上書きする。

(あ~ご飯だ~)

 ふと立ち寄った家屋で優希は食事にありつけた。

 ちょっと食事が暴れたけど、食べた。食べた。飲んだ。飲んだ。

 汚れた。けど気にしない。身一つ残さずきれいに平らげた。

(こんな状況だし、しっかり食べないとね)

 けど、すぐお腹が空いた。喉が渇いた。

 足下に散らばる骨を踏みつぶしながらふらりと外に出る。

(あ~龍夜じゃないの。もう今までどこに行っていたのよ)

 家屋を出るなり、幼なじみと出会う。

 一ヶ月も行方を眩ませていたことは腹に来るも怒りより空腹が先に来た。

(龍夜――美味しそう)

 久方ぶりに再会する幼なじみは美味しそうだ。

 一齧り、いや片腕だけでもいいから食べさせてくれないだろうか。

「……すまない」

 龍夜を抱きしめんと大きく腕を広げて近づいた時、銀閃が走る。

(あ、あれ? なんで私、龍夜を真上から眺めて――え!)

 気づけば優希は宙を舞っていた。

 空腹と渇きのあまり空に浮かんでしまったのかと錯覚する。

 だが、家屋の窓ガラスに映る自身の姿が現実を突きつけた。

 宙を舞うのは自分の首。眼下には自分の身体が首もとより血を噴き出している。

 すぐ側には日本刀構えた龍夜が悲しそうな表情で顔を歪ませていた。

(ああ、そうか、私、もうゾンビになっていたのね)

 自覚はなかった。不思議と納得はできた。諦めがついた。

 今まで餓えや渇きを満たしていた糧は生きた人間だった。

(まあ仕方ないか)

 ようやく餓えから解放される。渇きから解放される。

 優希が最期に見たのは、泣きじゃくる龍夜の姿だった。

(男の子が泣くんじゃないわよ)


「夢!」

 机の上に突っ伏していた優希は唐突に目を覚ます。

 次いで確かめるように首と身体が繋がっていること、身体が血塗れでなく腐っていないことも確認する。

 服装も制服姿から一転、ジャージ姿へと変わっていた。

 アンコウのように吊された時、濡れる目に遭ったため着替えたのだ。

 今、優希はどうにか自宅までたどり着き、隠れ潜んでいた。

「い、生きてる。ん、ちょっと匂うわね」

 現実を確認する。

 潮に晒され、火に晒された。お風呂に入れぬこの現状、匂ってしまうのは致し方ない。

「そうよ、私、あれからどうにか家までたどり着いたんだったわ」

 暗闇の中、息を潜め、ゾンビを幾度と無くやり過ごした。

 どうにか家までたどり着けば玄関で謎の靴痕がお出迎え。

 血で刻まれた靴痕は勇の部屋から始まっていた。

 何者かが勇の部屋に窓ガラスを貫き侵入した。

 その際に割れたガラスで負傷したのか、おびただしい血が床を汚している。

 血の量からして生きているか怪しいものだ。

「そうよ、それで私は、拾ったハードディスクを調べていたんだった」

 厳重に戸締まりをして父親の書斎にあるノートパソコンと接続した。

 相変わらずネットワークに繋がらないがデータの読み込みだけならバッテリーさえあれば可能だ。

「自分の家が一番落ち着くなんて皮肉ね」

 実家の安心感により、うっかり眠りに誘われたようだ。

 気を取り直すように、ハードディスクに保存されたデータを閲覧する。

「あれ、議事録とか嘆願書とかこれ、これ虎太郎おじいさんのサインが入っているじゃないの?」

 なら件の武装集団は比企祖父宅から盗み出したことになる。

 導き出される現状に身体の体温が急激に奪われていく。

「おじいさんは本土にいるけど、屋敷や道場には人がいる。サト姉さんだって……」

 唇を噛みしめ、否定したかった。

 だが、この現状で否定できなかった。

 頭を振っては今一度モニターと向き合った。

「なによ、これ!」

 ただ絶句するしかない。

 保存日時が新しく、重要というファイル名。

 閲覧すればソーラーパネル設置事業について記されているが、目を見張るのはその範囲だ。

「エンジュの山の一部だけ削るんじゃなかったの! 山丸ごと削って全部にソーラーパネルを設置するなんて、この業者、なに考えてんのよ!」

 比企夫婦が知らぬはずがない。

 いや下手をすれば業者の独断の可能性だってある。

 実際、施工業者が計画以上に山肌を削り、自然を破壊するニュースは少なくない。

 揃って下請けが勝手にやったことと、指示を否定して責任逃れをする始末。

「だからおじいさんは度々本土に足を運んでいたのね」

 確固たる証拠を掴み、事業中止に追い込むため。

 ソーラーパネル設置事業は議会で承認されている。

 確固たる証拠がなければ止めることは難しい。

「議会もこれならおじいさんも動かざるを得ないわ」

 あまり痛ましすぎる資料に優希はしらけ笑うしかない。

 ソーラーパネル設置事業について議員の誰もが賛成に票を入れているが、業者側から色々と便宜を図られているときた。

 資料には和室かどこかで何かを受け取る写真が貼付されている。

「これだけでも議会の不正として告発すれば十分中止に追い込めるじゃないの」

 社長である島田にとっては致命的だ。

 故に、主不在の隙を突いて証拠となるデータを確保せんとした。

 証拠を破壊しなかったのは、掴まれた証拠内容を把握するためなのだろう。

「とりあえずバックアップ」

 一人の高校生にこの事実は荷が重すぎる。

 だが、島に住まう者として看過はできない。

 今すぐできることは証拠となるデータをコピーし、保険として父親のパソコンに保存しておくことだ。

「これでよしと」

 ひとまず胸をなで下ろす。

 次いでどう行動するか、どこに避難すべきか、思案した。

「この様子じゃどの学校もダメでしょうね。下手すると公民館も……」

 両親は公民館に避難するとの書き置きがあった。

 この島の現状を踏まえれば、素直に足を運ぶのは得策ではない。

「信じたくないけど、誰が生きていて誰が死んでいるのか分からない今、下手に足を運ぶのは自殺行為だわ」

 両親が公民館にいて無事でいると前提して、優希は敢えて単独行動を選ぶ。

 心配かけるのは心苦しいが、無事ならまた会えると確信があった。

「避難していればあの武装集団に襲われる。もちろん、外を動き回ればゾンビに狙われる。なら敢えて動き回って逃げ続ける」

 次の疑問はどこを逃げ回るか、顔をうつむかせて思案する。

「……そうよ、エンジュの山」

 幼き頃、泥だらけになるまで駆け回った山。

 土地勘もある。聳える木々の間隔は身体が覚えている。

「よし、なら行きましょう!」

 思い立ったら即行動。

 優希は椅子から立ち上がるなり、非常用リュックを背負った。

 漁港から脱出する際、落ちたままになっているのを回収したのだ。

 底部が血で汚れているが中身が無事なため気にせずにいた。

「何の音かしら?」

 いざ玄関から外に出ようとした優希は遠くから響く音に眉をひそめた。

 ヒュルルル~と映画か何かで聞いたような音。音は秒単位で大きさを増しては、爆発音と共にこの家を激しく揺らす。

 とっさに壁に手を当て、揺れをやりすごそうと無視はできなかった。

「すぐ近くだけど、まさか!」

 音の発生源へ血相変えて向かう優希。爆発音は家の反対側。つまりは閉鎖された食堂側から聞こえてきた。

 イヤな予感に胸を軋ませる優希は店舗へ繋がる扉を開けた瞬間、網膜に映る炎に絶叫した。

「う、嘘、でしょ、しょ、食堂が、おじいちゃんの食堂が!」

 亡き祖父の思い出詰まった食堂が炎で焼かれている。

 祖父が丹誠込めて自ら作り上げた自慢のテーブルやカウンターが爆発で砕け散った。

 コンロやオーブンもまた爆発で原形留めぬまで破壊された。

 多くの人たちの憩いの場となった食堂が瓦礫となった。

「あ、ああああっ!」

 優希は両膝から崩れ落ち、その頬に涙を伝わらせる。

 大人になって亡き祖父の食堂を再開させる。

 夢に向かって努力を重ねてきた。腕を磨いてきた。

 それが今、炎一つに呆気なく全てを奪われていた。

「ぼ!」

 珍妙な声が外からした。

 涙流す優希は引き寄せられるように顔を上げる。

「ひっ!」

 破壊された出入り口に立つ存在に絶句し後ずさりする。

 怪物だ。怪物がいる。

 炎に照らされた怪物が、出入り口から中をのぞき込んでいた。

 その顔は割れた仮面を何枚も重ね合わせ、覗き見穴越しに眼球が壊れた機械のように動いている。

 その身体は黒く、タールを煮詰めたように濁りきり、豚のように肥え太っている。

 その腹から覗くのは脂肪ではなく、わき腹まで開いた鮫のような口。鋭利な歯並びを見せつけ、時折歯ぎしりを響かせる。

 その一〇本の腕はイカのように伸びながら触腕以外の腕は胸部でひとまとめにされ繭状となっていた。

「ぼ! ぼぼぼおおおおおおつううううううっ!」

 怪物が叫ぶ。叫び、イカのような触腕を優希に向けて叩きつけてきた。

「ひっ!」

 持ち前の反射神経で咄嗟に避けるも、背後にあった扉が紙切れのように粉砕される。

「ゾンビの次は怪物とか冗談じゃないわよ!」

 足を笑わせる暇も、腰を抜かしている暇もない。

 優希はすぐさま身を立ち上がらせれば、室内に駆け込んだ。

「きゃああああっ!」

 だが怪物はその巨体で壁を突き破り優希を狙う。

 壁という壁を突き破り、リビングにまで巨体をねじ込んできた。

「でーみたけす、ぼつのれお、ぼおおおおおおっ!」

 玄関から飛び込む形で外に出た優希に怪物は片言で発している。

 炎が怪物の陰影を作り、優希を呑み込んだ。

 仮面より覗く目が優希のポケットに集っている。

「まさか、こいつの狙いって……」

 ポケットの中にはハードディスクが入っている。

 怪物が知的な行動を――なんて考える余裕はない。

「しししししし、らつんえ、ぼぼぼぼぼぼぼつつつつつっ!」

 怪物は空気を破裂させんばかりに吼え、優希に襲いかかった。

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