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「くっ!」

 崩壊に巻き込まれないよう、コウは長浦芽衣を抱えて跳躍する。

「千夏ちゃん!」

 溶岩が固まって出来た床が崩れ、落ちて行く千夏に対して、コウが声を上げた次の瞬間――

 ――千夏の落下速度が急に遅くなった。

 見ると、コウの胸の中にいる長浦芽衣が手を掲げている。

「これで大丈夫。あの子の『高度』を『ほんの少しだけ固定』したから、ゆっくりと地面へと下りて行くはずだよ」

「ありがとう!」

 コウは胸を撫で下ろす。

 すると――

「どうせお前は足掻くのだろう? せいぜい最後まで足掻き、無様に死ぬが良い。この私は一足先に逝かせて貰うとしよう」

 ――終楽園が落ちて行く。

「……あの老い耄れとの……勝負も……これで……引き……分け……だ…………」

 満足気に言葉を紡ぐ終楽園の声は小さくなって、やがて聞こえなくなった。

(千夏ちゃんは大丈夫として、僕たちもどうにかしないと。ヒットランドスクエアの時みたいに、瓦礫の上を跳んで地上まで下りるか?)

 コウが思案していると、長浦芽衣が叫んだ。

「『固定ロック高度アルティテュード』!」

 すると、落下しつつあった二人の身体が空中に固定され、それ以上下へ落ちないようになった。

「ありがとう、長浦さん!」

「うん」

 高度が固定されているだけで身体は動かせるため、抱えていた長浦芽衣をコウが下ろす。

 何も無い空中にも拘らず、そこに地面があるかのように立つことが出来るという不可思議な状況ではあるが、コウにはそれに対して意識を向ける余裕は無かった。

「くそっ! 世界中の核兵器を止めるだなんて、無理だ! 人類が滅亡して、世界が終わってしまう! 僕がもっと上手くやっていたら! くそっ!」

 すっかり晴れて美しい夕日が見える中、コウは膝をつき、空中に生まれた透明な地面を叩き、唇を噛む。事実、この時既に世界中に核ミサイルが向かっており、日本も、首都は疎か、このN市にも一発の核ミサイルが猛スピードで飛来し近付きつつあった。

 打ち拉がれるコウを見て、長浦芽衣は胸が締め付けられた。

 今まで、意味も無く虐げられ傷付けられる人々のために命懸けで戦い、大勢の人たちを救って来た少年が、目の前で無力感に苛まれている。

 どうしたらコウ君の心を癒やせる?

 私に何が出来る?

 このまま世界が終わるとしても、せめて最期は、穏やかな気持ちで……少しでも幸せな気持ちで迎えて欲しい……

 そう思った時に、ふと長浦芽衣の脳裏に、ある考えが過ぎった。

 目の前の少年――自分の好きな人が、以前言っていたのだ。

 自分が、『似ている』と。

 そして、彼はその人のことを心から尊敬し、愛していた。

 それならば――

 項垂れるコウに近寄った長浦芽衣は、屈み、コウに語り掛けた。

「光龍、今までよく頑張ったわね。偉いわ」

 ハッとしてコウが顔を上げると、そこには、死んだはずの姉が微笑んでいた。

「お姉……ちゃん!?」

 ――否、それは長浦芽衣だったが、偶然にもコウの名前の呼び方は姉と同じで、表情も瓜二つで――

 ――思わず、コウは語り掛けていた。

「お姉ちゃん。僕、お姉ちゃんの仇を討ったんだ。炎のデビルコンタクトを殺して。それと、ついさっき、デビルコンタクトを生み出した親玉も倒したよ」

「光龍、仇を討ってくれてありがとう。嬉しいわ」

 柔らかい微笑を浮かべる姉――の表情を浮かべる長浦芽衣に、コウは自然と涙が溢れる。

 そして、長浦芽衣はコウの頬を両手で優しく包むと――

「光龍、大好きよ」

 ――コウの唇に自分の唇を重ねた。

 コウの全身を電流が走る。

 ――と同時に、何か温かいものが身体の奥から湧き上がって来る。

 ただ眼鏡を掛けた女性を見るだけで、または直接その肌に触れるだけで、さえも斬って掻き消せる力。

 では、もしも、眼鏡を掛けた女性と、唇と唇で触れ合ったら? しかもそれが、姉に良く似た女性だったら?

 二人の身体を温かい光が優しく包む。

 だが、そんな中、唇が触れたままの二人に、飛来する核ミサイルが迫っていた。

 高度を落とし勢いを増して行く核ミサイル。

 そして、核ミサイルが二人に直撃しようという、正にその瞬間――

 ――長浦芽衣を抱き締めキスしたままのコウが立ち上がり無造作に振るった眼鏡剣グラッシーズソードにより――

 ――核ミサイルは跡形も無く掻き消された。

 更に、核ミサイルを消滅させた後も右腕は消えず、眼鏡剣グラッシーズソードは光速で、一瞬にして地の果てまで伸びて――

 ――世界全体――地球を丸ごと斬った。

 その直後、世界全体が、太陽とはまた別の淡い光に包まれる。

 ――と同時に、世界そのものにが生じ、森羅万象全てのものが、一瞬ブレて、また元に戻る、ということを繰り返し、その存在感が希薄になって行く。

 二人が唇を離す。

 顔が赤くなっているものの、長浦芽衣は普段の表情に戻っていた。

 上気した頬もそのままに、コウが穏やかに話し掛ける。

「さっき、僕がこの世界全体を斬ったんだ。この悲しい世界と悲しい現実を斬ることで、この世界は一度終わる。そして、新しい世界が――今起こってるような、悲しいことが起こらなかった世界へと生まれ変わるんだ」

「……うん。コウ君の唇に触れている時、何となくそうなんだなって感じたよ」

 長浦芽衣が小さく頷く。

 その言葉に微笑むコウだったが、ふと目を逸らすと、表情を曇らせた。

「だから、謝らなきゃいけない」

「え?」

「新しく生まれ変わった世界では、僕も長浦さんもいるけど、この世界での出来事は無かったことになっちゃうんだ。今、こうしてることも、さっきの……ことも……」

 辛そうに顔を顰めるコウだったが――

 ――長浦芽衣は柔らかく微笑んだ。

「好きだよ」

「え?」

「私、この世界じゃなくても、どこの世界だって、コウ君のこと、好きだよ。その世界にリュウ君もいるのか分からないけど、もしいるなら、勿論リュウ君のことも。あ、一応言っておくと、好きって言うのは、さっきの『お姉さんとしての演技』じゃなくて、私自身――『長浦芽衣』としてだよ」

「長浦さん……」

「だから、ね。コウ君がどう思ってるか分からないから、私の想いを受け入れてとは言えないけど……良かったら、私の気持ち……真剣に考えて貰えたら嬉しいかな」

 勇気を振り絞ったのだろう、震えながらはにかむ長浦芽衣。

 全ての生物、全ての事物がブレる回数が増え、少しずつ世界が崩壊して行く。

 そんな中、コウが口を開く。

「僕は――」

 コウの声に、長浦芽衣がビクッと肩を震わせる。

「僕は、今まで姉のために生きて来たんだ。姉こそが理想の女性で、それ以外の女性のことを特別に考えたことは無かったんだ」

 その言葉に、長浦芽衣が俯く。

 が――

「でも……初めての感情で、まだ僕自身よく分かってないけど、きっと……僕も長浦さんのことが――」

 コウが最後に小さく、しかしはっきりと呟いたその言葉に、長浦芽衣が思わず目を見開き、涙し、笑顔になった。

 再度抱き合い、唇を重ねる二人。

 世界を包む光はその輝きを増し、無限に大きくなって行く。

 やがて全てが光に包まれ溶けるようにその形を失って行って――

 ――世界は静かに崩壊した。

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