第27話 転機

 壮行会があった日から数日後、高校サッカー地区予選が開催される。

スタメンでキャプテンを張る俺、箕輪将太は張り切っていた。


 この日も雲一つない晴天――

午前中は公式練習で、各チームはタイムスケジュールに従ってピッチで汗を流す。うちの学校は、朝一番に練習するように指示されており、チームメイトも限られた時間の中で、所狭しとピッチを走り回る。


「おい! 山崎、そこはカバーに入れ!」

「行ったぞ、将太!」


チームメイトと声を掛け合いながら、ピッチの状態や、フォーメーションを確認する。

皆の動きは上々で、この調子なら一回戦通過も容易たやすいだろう。


ピーッ!


ホイッスルがピッチに鳴り響き、練習時間の終わりが告げられる。

俺たちのチームは素早く下がり、次練習する相手チームと入れ替わった。


「ちょっと、ロッカールームへ戻る」

「おう」


俺はチームメイトに断ってロッカールームへ下がった。

理由は言わずと知れている。

恋人、西島唯奈にしじまゆいなからのメッセージを確認したいからだ。


着信:29件――


画面を見て俺はイラついた。

友人や、良い寄ってくる女子から大量のメッセージが届いていたからだ。


(どのメッセージか分からないじゃないか!)


その場に突っ立って、根気よく一通、一通、差出人を確認していく――


(あった! 唯奈からだ!)


うちの学校の応援団は開始時間直前にスタジアムへ来ることになっている。

もし、彼女と逢うならば、今しか時間は無い。

そのことは彼女に伝えてあるし、来て欲しいとも。


――そう、俺は認めなければならない。


(俺は本気で唯奈が好きだ)


画面を乱暴に指で突きながら、目的のメッセージを開く――


『スタジアム外の自販機の前で待っている』


(やった! 来てくれた!)


有頂天になって、スタジアムの外へ飛び出した。

何処の自販機なのか指定されていなかったから、探すのに手間取ったが遠目に特徴的なスレンダーボディを見つけると、俺は全力で走り出した。


学校一の美少女、その名声を欲しいままにしている唯奈――

制服のブレザーの上からピーコートを着込んで佇む姿は儚げで誰よりも美しい。

俺は気付かれないように彼女へ近づくと、後ろか抱きすくめた。


「ひっ!」

「あはは…… 待て、待て俺だよ」


そう声を掛けると、目尻に涙を浮かべた唯奈が振り返った。

くそ可愛い。

辛抱堪らず正面から抱こうとしたら、唯奈は一歩後退った。


イラッとしたが、悪いのは俺だ。


「ごめん。嬉しくてつい、な?」

「私に触れないで……」

「――は?」


機嫌を損ねてしまったか?

それでも、俺たちは恋人同士だろう?


「私、やっと気付いたの。将太と別れなければ、優斗は昔の様に接してくれないと思うの…… 別れましょう、私たち。このままじゃ、優斗も私も、それに将太だって幸せになれない。」


おいおい、また幼馴染の三島かよ……


「なんだよ。怒っているのか? よせよ。こんな日なんだし仲直りしよう!」


イラッとしたが、我慢して飲み込んだ。

しかし、彼女の表情はまるで汚い虫でも見たかのように歪んでいた。


「私、馬鹿だった。友達に煽られて貴方に抱かれて…… でも、もう限界。これまでの行動で私の事を大事に思っていないのが良く分かった」


確かに、最近はやり過ぎたと思う。

でも、それはお前がうさぎの様に可愛すぎるからいけないんだ。


だが、そんな俺の気持ちは通じない。

唯奈は自らの身体を庇うように抱くと、さらに数歩、俺から後退った。

待ってくれ……


「ごめんて。ちゃんと直すからさ……」


媚びつつ、唯奈へ近付こうと一歩踏み出した瞬間――


「もう二度と声をかけないで! 気持ち悪い!!」


唯奈は叫んで走り去った。

もちろん後を追ったが、信号に阻まれて唯奈の姿は小さくなって行く。


「唯奈ぁ! 待てって! 待ってくれええ!」


恥も外聞も無い。

お前がいなきゃダメなんだ。お前さえいてくれれば、俺は何度でも……


ギリギリまで彼女の姿を求めて探し回る。

それでも、唯奈が俺の元へ戻ってくることは無かった。


精神的にダメージを負った俺がまともにプレイできる訳がない。

試合中はミスを連発――

結果、3-0で予選敗退となった。


「は、破滅だ……」


そう、俺は何もかも失った。

チームメイトからの信頼も、プロチームからのスカウトも、推薦入学も、そして唯奈も――





 追いすがる元彼の将太を振り切り、赤信号に変わったばかりの通りを突っ切った。このまま真っ直ぐ行けば最寄り駅へ着くだろう。

振り返ると、信号や車に進路を遮られた将太が必死に叫んでいる。


「唯奈ぁ! 待てって! 待ってくれええ!」


応えることなく私は走る。

何度も聞こえてくる声が怖くて、一段と走るスピードを上げた。


(危なかった)


彼はサッカー部のキャプテン、まともに走ったら彼の方が早い。

信号に救われた私はそのまま駅へ入り、ホームに入ったばかりの電車に飛び乗った。


(終わった……)


私を縛っていた鎖が、すべて切れて無くなった。

自由になった私は、懐かしい優斗の家を真っ直ぐ目指した。

優斗は小さい時からの幼馴染だ。


小さい頃、結婚の約束を取り交わすほど仲が良かった私達。

中学生になった時、優斗の告白で恋人関係はスタートしたのである。

大人になるまでエッチは無し――


そんな約束までさせて優斗を縛った。

本当は行為に及ぶのが、怖くて仕方なかったからだ。

しかし、そんな優斗を私は裏切り、さっき追ってきた男、将太と付き合いはじめた。


一時の感情で将太にすべてを差し出した私は女になった。


私を煽った友人たちは、何をしたかとか、過程とか、詳細に聞いて来た。

気持ち悪い……

今なら分かる、たぶん彼女らは処女だったのだ。


まことしやかに嘘をつき、私がまんまんと乗せられただけ。


本当の友達って何だろう?

私を大切にしてくれるのは誰だろう?


考えた時、私の頭に浮かんだのは優斗の顔だった。

私に寄り添い、みさおを立てていた幼馴染。

私の意見をちゃんと聞いて、さりげなくサポートしてくれる縁の下の力持ち。


最近になって、ようやく自分が彼にした裏切りの重大さに気が付いた。


小さい頃から知っている恋人が、自分を振った挙句に他の男に抱かれてる。

そんな事実を突きつけられて、優斗は何を思ったのだろう。


(もう昔の様には戻れないか……)


馬鹿な私でも理解している。

将太と付き合い始めた時、ちゃんと普通に別れていたら、りを戻せたかな。

将太に身体を求められた時、断っていれば許してくれたかな。


そんなことを考えて――


気付いたら自然と足は優斗の家へと向かっていた。

自宅には帰りたくない。


あそこには私を玩具にした将太の痕跡が残っているから。


三島家の玄関口まで来て、今まのようにドアを開けるのを躊躇ためらった。

将太と別れて身軽になったつもりが、一層この身を重く感じている。


ガチャ、ガチャ


玄関には鍵がかかっていた。


(誰もいないんだ……)


踵を返そうとして思い止まる。

鞄の底にあった合鍵を取り出し、そっと鍵穴に差し込んだ。


カチャリ


小さな音を立てて鍵が外れ、難なく玄関のドアは開いた。

恐る恐る入った優斗の家からは、微かに優斗の匂いがした。


(優斗……)


それだけなのに懐かしさがこみ上げてきて涙が零れそうになった。

階段を登り、真っ直ぐ私たちの部屋を目指した。


部屋は何も変わってなくて、昔と同じように優しい匂いがした。


位置こそ変わっていたが、子供の頃から何度も一緒に寝たベッドがあった。


ボフン!


昔の様にダイブする。

小さい頃はお昼寝に、大きくなってからはセックスの予行練習に使ったベッド……


まさか、その成果を別の男子に使ったなんて……

本当に馬鹿だ……


恋人になったばかりの頃、練習と言ってセックスの体位を研究した。


もちろん本番はなし。服すら脱がない。

それでも――

正常位、後背位、対面座位、松葉崩し――

エッチな本を見ながら、体位だけをひたすら試行した。


スカート越しに感じた、優斗のカチカチになったアソコは可愛すぎた。

挑発して、それでも交わした約束を守って苦しむ悠人を見るのが好きだった。


――可愛すぎた


ベッドから優斗の匂いがする。

一人で先に大人になってしまった私。


(あるかな?)


枕元へ手をやり、孫の手を握った。

その歪な棒を眺め、そっとスカートの中へ差し込む。


「んっ……」


優斗――

なんで約束なんか破って、私を襲ってくれなかったの?

妄想の中の優斗は、積極的で硬くて逞しい。


(やっぱり彼が好き)


子宮が疼き、喜びに跳ね上がる。


「はあ、はぁ… はっくっ…  許して優斗……」


はにかむ笑顔で私を見つめる、彼の目が好きだった。

優しく私の名を呼ぶ、彼の声が好きだった。


ガチャ


「ただいまー」


達する前に、階下から女性の声がした。

瞬時に身支度を整えて部屋を出る。

荷物を持って階段を降りようとした時、声の主と鉢合わせした。


「近所の子?」


目の前の少女は不思議そうに首を傾げた。

違和感を感じる。

少女のような外観に、大人のような雰囲気――


「誰?!」


黙っていたら、敵意の籠る目で睨まれた。


「そっちこそ誰?」


そこで分かった。

察することができた。


多分この中学生は優斗の新しい恋人だ。

だったら――


「私は優斗の幼馴染よ。ほら合鍵だって持っている。私から優斗を奪おうったってそうは行かないよ」


私は彼女へ一歩近づいた。


「そうか、貴方が優くんを振った幼馴染ね? 今更、この家へ来て何をするつもり?」


理解したように少女が迫る。

どうやら、優斗は少女に私との間に何があったのか話したのだろう。

そこまでの仲なんて……


悔しい――


「何をしようと勝手でしょ! この泥棒猫め!」


悔しくて吠えた。


「うるさい! 散々さんざん優くんに酷いことをして、今更幼馴染面とかふざけるな! お前なんて優くんが許したって、私が絶対に認めない! 私達の家から出て行け! 出て行かないと警察に電話するよ?!」


スマホを取り出し操作しだす少女――


完全に私の負け。


急に涙が溢れ出した。

少女に言い負かされた私は、涙を見られないように顔を伏せたまま階段を駆け下り、そのまま優斗の家を飛び出した。


居場所が無くなった。


――家に帰りたくない

行き場を無くした私は、あてもなく駅へ向かって歩き出していた。


「もう、どうでも良いや…… でも、優斗…… やっぱり諦められないよ……」


ずいぶん歩いて駅前に着き、なんとなくガードレールに腰かけた。

十分、十五分――

ぼーっとしていた。


「ねえ君、可愛いね! 俺、芸能事務所の者だけど、芸能界に興味ある?」

「うるさい!」


そっとして置いてくれ。


「またまたぁ、分かっているって。俺怪しい物じゃないし。ほら、名刺だってあるよ。な? 有名な歌手だって輩出しているんだ。話だけでも聞かないか?」


のべつ幕無まくなくしゃべり続ける男にうんざりしていると、いきなり手を引かれた。


「なっ? 事務所が近いんだ。話だけでも聞いてくれないかなぁ!」


力任せにぐいぐい引いていく。


「や、やめっ!」


本当に怖い目に合うと、声が出なくなるんだ。

頭の隅っこで何となく感じていた。


ハイ〇ースの後部ドアが開かれ、そのまま男に押し込まれて乗せられた。

窓にはスモークが張ってあり、外から中は見えない。


「やってくれ!」


男が叫ぶと車は急発進した。


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