森の試練
獣人の隠れ里にある集会所を出た俺たちは、長老会から課された試練……「腐蝕の沼のヌシ」の討伐(あるいは鎮圧)のため、ヴェッツオの案内で獣人の森のさらに奥深くへと足を踏み入れていた。
ルソミラは里に残り、長老たちへの報告と、万が一の際の連絡役を務めてくれることになった。
「ここから先は、我らの中でも特別な許しを得た者しか立ち入れぬ領域だ。気をつけて進んでくれ」
先導するヴェッツオが、背後を歩く俺たちに鋭い声で注意を促す。
彼の言う通り、先ほどまでの比較的開けた森とは違い、木々の密度は増し、陽の光はほとんど届かない。
地面は湿った腐葉土で覆われ、足を取られそうだ。
時折、見たこともない奇妙な鳴き声や、巨大な何かが移動するような地響きが遠くから聞こえてくる。
「うへぇ……なんだか空気が重いっていうか、嫌な感じがするね」
グラッサが、辺りを警戒しながら顔をしかめる。
「ええ……魔素の流れも淀んでいるように感じます。それに、瘴気のようなものも……皆さん、
ニッカも顔を蒼白にさせながら、魔力の流れを探っているようだ。
「おいおい、マジかよ。こんな所で長居はしたくねぇな」
エニシュも杖を構え直し、周囲への警戒レベルを上げる。
リファは黙ったままだが、その全身からは普段以上の緊張感が放たれている。
「腐蝕の沼は、この森の汚染された魔素が集まる場所だと伝えられている」
ヴェッツオが説明を加える。
「そこに棲み着くヌシは、その汚染された魔素を喰らい、より凶暴化しているという。沼自体も危険だ。不用意に近づけば、足を取られて沈むぞ」
「鎮めるか、討伐するか……どっちにしろ、厄介な相手なのは間違いなさそうだな」
俺は剣の柄を握り直し、覚悟を決める。
道なき道を進むこと、およそ一時間。
木々の切れ間から、視界が開けた場所に出た。
そこには、ヴェッツオが言った通り、どす黒く濁り、異臭を放つ広大な沼地が広がっていた。
沼の表面からは絶えず気泡が上がり、不気味な音を立てて弾けている。周囲の木々は枯れ、地面は灰色に変色しており、生命の気配がほとんど感じられない。
まさに「腐蝕」の名にふさわしい光景だ。
「ここが腐蝕の沼か……ひどい場所だな」
俺が思わず呟くと、ヴェッツオが厳しい表情で頷く。
「ヌシは普段、沼の底に潜んでいる。だが、縄張りに侵入者が現れると、必ず姿を現すはずだ」
その言葉通り、俺たちが沼地に足を踏み入れた瞬間、沼の中心部の水面が大きく盛り上がり始めた。
ゴボゴボゴボッ。
異臭を伴うヘドロのような泥水と共に、巨大な何かが水面からその姿を現す。
「で、でかい!」
グラッサが悲鳴に近い声を上げる。
それは、巨大な鰐(ワニ)と、百足(ムカデ)を無理やり融合させたかのような、おぞましい姿の魔獣だった。
全長は十メートルを超え、全身はぬめりのある黒い甲殻で覆われ、背中には無数の短い足が蠢いている。
そして何より目を引くのは、その巨大な顎だ。
鋭い牙が何重にも並び、開かれた口からは腐蝕性の高いであろう緑色の唾液が絶えず滴り落ちている。
これが腐蝕の沼のヌシか。
『グギャルルルルルルルッ!』
ヌシは俺たちを認識すると、甲高い、耳障りな咆哮を上げた。それだけで、周囲の空気がビリビリと震えるほどの威圧感だ。
「来るぞ! 全員、散開!」
俺の指示と同時に、俺たちは一斉に左右へ飛び退く。
直後、俺たちがいた場所に、ヌシの巨体が突進し、その巨大な顎が地面を抉った。
「リファ、エニシュ、左右から攻撃! グラッサ、動きを攪乱しろ! ニッカ、回復と防御支援! ヴェッツオ、弱点を探れるか!」
俺は即座に指示を飛ばしながら、自身も剣と杖を構え、ヌシに向かっていく。
「任せろ!」
「派手に行くぜ!」
リファとエニシュが左右からヌシに斬りかかり、魔法を放つ。
ガギン! ドン!
しかし、ヌシの黒い甲殻は想像以上に硬く、リファの渾身の斬撃も、エニシュの魔法も、表面を僅かに傷つける程度で、決定的なダメージには至らない。
「硬すぎる!」
リファが舌打ちする。
「だったら、柔らかいところを狙うまでだ! 口の中だ!」
エニシュが叫び、連続して
『グギャ!?』
口の中に直接炎を叩き込まれたヌシが、苦痛に身を捩る。
「今だ!」
その隙を見逃さず、グラッサが持ち前の俊敏さでヌシの側面や背後に回り込み、短剣で甲殻の隙間を狙って突き刺す。
「こちょこちょしてやる!」
彼女の攻撃は致命傷にはならないが、確実にヌシの注意を引きつけ、動きを乱している。
「トーア殿! 奴の弱点は、おそらく背中にある複数の『目』のような器官だ! だが、甲殻が硬すぎる!」
ヴェッツオが、獣人ならではの鋭い嗅覚と観察眼で弱点を見抜き、叫ぶ。
背中を見ると、確かに甲殻の隙間から、赤く光る複眼のようなものがいくつも覗いている。あれが弱点か。
「よし! ニッカ、全員に
「はい!」
ニッカの補助魔法で俺たちの身体能力が向上するのを感じながら、俺はヌシの正面に回り込む。
「こっちだ、化け物!」
俺は挑発するように叫び、杖を掲げる。ヌシの巨大な顎が、再び俺を目掛けて迫る。
「
俺はヌシの足元の地面を隆起させ、強制的にその巨体を持ち上げる。
バランスを崩し、無防備な背中を晒すヌシ。
「今だ! リファ、エニシュ!」
「おおおおっ!」
「砕け散れぇ!」
俺の合図に合わせ、リファとエニシュが同時にヌシの背中目掛けて跳躍。
リファの大剣が赤い複眼の一つを叩き割り、エニシュの最大威力の
『ギシャアアアアアアアアアッ!!!』
ヌシが、今までとは比較にならないほどの絶叫を上げ、のたうち回る。 その衝撃で周囲の地面が割れ、沼の水が激しく跳ね上がる。
「まだだ! とどめを刺す!」
俺は剣を構え直し、弱って動きが鈍ったヌシの、残りの複眼目掛けて突撃する。
グラッサも、ヴェッツオもそれに続く。 ニッカが後方から回復魔法と防御結界で俺たちを支援する。
五人の連携攻撃が、次々とヌシの弱点を捉え、その巨体を確実に破壊していく。
そして、最後の一撃。俺の剣が、ヌシの額近くにある、ひときわ大きな赤い複眼を深々と貫いた瞬間――
『………………』
ヌシの動きが完全に止まり、その巨体はゆっくりと腐蝕の沼の中へと沈んでいった。後には、異臭を放つ泡だけが残された。
「はぁ……はぁ……やった……のか?」
俺は剣を杖代わりに、荒い息をつきながらその場に膝をつく。仲間たちも、皆、泥と返り血に塗れながら、疲労困憊の様子で肩で息をしていた。
「……ああ。間違いなく、ヌシは沈黙した」
ヴェッツオが、厳しい戦いを終えた安堵と共に、しかしどこか複雑な表情で頷いた。
「この試練……我らだけでは、到底達成できなかっただろう。トーア殿、そして仲間たちよ。貴殿らの力、確かに見届けさせてもらった」
腐蝕の沼のヌシ討伐。それは、俺たちパーティにとっても、これまでで最も過酷な戦いの一つだった。
だが、この勝利によって、俺たちは獣人族からの信頼と、連合軍への参加という、大きな一歩を勝ち取ったのだ。
俺は仲間たちと顔を見合わせ、泥まみれの顔に、確かな達成感と安堵の笑みを浮かべた。
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