第12話『隣人は静かに微笑んだ-④-』
客の男は全身を黒いローブで覆っていた。
「……」
しばらく店内をうろついていた男は、めぼしい物が見つからなかったのか不満げにため息を漏らす。
「何かお探し物ですか?」
藤四郎が声を掛けると「これと同じ石を探している」と男は言い、赤いスエード生地の袋を投げてよこした。
「拝見しても?」
「ああ」
返答を貰ってすぐに藤四郎はレジ横に置いていた手袋を装着し、袋の中身を取り出した。
(銀の……腕輪?)
黒い石のはめ込まれた腕輪が中には入っていた。
(オニキスに似てるけどこれは違うな、スピネル……いやトルマリンか? こうも小さく加工されていては判断付かないな)
藤四郎は今の自分では正確な鑑定が出来ないと素直に話し、凄腕の鑑定士の居る宝石店がこの先にあり、その店ならば探し物も見つかるかもしれないと客に伝えた。
「そうか残念だ」
「お力になれず申し訳ありません」
「いや……」
明らかに落胆した声を出す客に、なんと声を掛ければいいか藤四郎が迷っていた時だ。
男がふと藤四郎の傍らにずっと浮遊していた少女を見上げ不敵な笑みを浮かべた。
「今日は“こちら”を頂いていくとしよう」
男が少女に手を伸ばす。
そしてその手をグッと引き寄せたと思うと次の瞬間には口を開け襲い掛かっていた。
口元に光る鋭く尖った二本の牙。
(新手の変態か!?)
藤四郎は反射的に男を突き飛ばした。
「――邪魔をっ! するなっ!!」
「!」
先程までの態度から一変、突如
「くっ!」
狭い店内。
カウンター内という限られた空間。
そして藤四郎の背に隠され怯え固まっているシルキーの少女。
最悪の条件下に置かれた藤四郎に力む足場も退路も無い。
「ちっ!」
咄嗟にレジ横の小物類を投げつけた。
男が一瞬怯む。
けれど重心はずらせたにせよ、その手は勢いを殺せず短剣は藤四郎の袖を裂き肉を
「ぐぅう!」
「ははっ! 余計な邪魔をするからだ!」
二度目の斬撃が頬をかすめ苔色の着物がみるみる赤く染まっていく。
(あぁ……!)
その惨状に耐え切れず少女は絶叫した――。
***
話し合いを終え店に戻る最中だったアスター達は店まであと信号一つ分という所で大量のガラスが割れる音と“あの声”を聞いた。
つい先刻、嫌と言うほど聞いた超音波のような“シルキーの声”だ。
その音を聞いた途端シオンは風のような速さで飛び出しアスターとステラも急いで後を追う。
「なん、だ……コレ……」
店は酷く荒らされていた。
通り側に面したショーウィンドウは派手に破られ商品は床に散乱していてとても営業出来るような状態ではない。
「主様、主様っ――!」
そして一番の異変は店の奥。
カウンターの傍で倒れている藤四郎と傍らで酷く取り乱すシオンの姿があった。
止めど無く流れる鮮血から放たれるむせ返る程の鉄の匂い。
苦痛に歪む藤四郎の声がその場に居た者の耳と心を締め付ける。
「……うぅっ」
「シロウさんっ!」
ステラが藤四郎に駆け寄った。
ハンカチで傷口を押さえにかかるが、すぐに血で滲み止まる気配は一向に無い。
取り乱すステラとシオン。
そこへ――。
「俺がやる」
「!」
アスターは二人に落ち着くよう声を掛け、ガーゼや包帯、または清潔なタオルが何枚かないかシオンに訊ねる。
「え……あ……あぁ――」
大きな怪我をした事が今まで無いのか、シオンは冷静さを取り戻せないでいた。
しかしそれでは駄目なのだ。
「早く! お前の
「――っ!」
叱咤されたシオンは階段を駆け上がった。
それを待っている間、出来る限りの事をやろうとアスターは手を動かす。
「――回復魔法とか出来たりしないのか?」
「私の魔法は……そんなんじゃなくて……」
あくまでも冷静に彼はステラに問うたがステラは酷く混乱したまま唇を震わせている。
「系統が違う」その答えにアスターは「そうか」と短く返す。
「ご、ごめ、なさい……」
「いや謝ることじゃないよ。……えーと救急車はこの世界にもあったよな?」
「は、はい……」
(震えてる……相当血が苦手なんだな)
真っ青な顔で小刻みに震えるステラに大丈夫だと出来るだけ落ち着いた声音で話すようアスターは心がけた。
その後、自分の代わりに通報出来るかというアスターの問いかけにも、短く、しっかりした返事を返し、ステラは無事救急車を呼ぶことが出来た。
***
「お騒がせしました~」
間延びした藤四郎の声が待合室に響く。
「主様っ!」
その声を聞いた瞬間シオンは駆け出し、よろけた藤四郎を即座に支えた。
「いや~、思ったより聴取が長くかかってしまって……。ごめん心配掛けたね」
「本当に、無茶ばかりして……」
そんな二人を見てステラもアスターの隣で泣きじゃくる。
ボタボタ涙を止めどなく流す彼女をアスターはどう扱えばいいのか分からないで狼狽えていると藤四郎と目が合った。
「本当にありがとう。君のお陰で大事にならず済みました」
「あ、いや……無事で何よりです。それよりそれはあの子にやられたんですか?」
その問いかけに藤四郎は首を振る。
「実は――」
藤四郎はあの時何があったのか順を追って話した。
***
その後一同は店に戻った。
荒れ果てていた店内は、まるでそんな事無かったかのように綺麗に片付けられていた。
店内に少女の姿は無い。
「……」
藤四郎は迷いなくまっすぐ店の奥、もう暗くなったあの部屋へ向かった。
「やっぱりここに居たんですね」
あの扉の上で蹲る少女を見つけた。
シオンが灯りを付け部屋に明かりが灯る。
今までずっと泣いていたのか少女の目は赤く腫れ、未だこぼれ落ちる大粒の涙が頬を伝ってまた一粒ポタポタ床に落ちていく。
「……」
藤四郎が少女の前にしゃがみ込む。
「まだお名前を伺っていませんでしたね」
キョトンとした顔の少女。
そもそも喋れるのだろうかというアスターの疑問をよそに藤四郎はまっすぐ彼女の目を見てその答えを待っていた。
「……」
戸惑いながらも少女が動く。
抱えた膝と自分の胸の間に手をいれ大粒の
そこに何が書かれているのかアスターの位置からは確認できない。
けれど藤四郎がそれを読み上げた事で少女の名はすぐに分かった。
「ナズナさんとおっしゃるのですね」
そう言うと藤四郎は袖に手を入れ何やら取り出した。
伸ばされた手にナズナは肩をビクつかせ一瞬怯えたが髪をすくように撫でるその手に戸惑っていた。
「……やはり片手だと上手くいきませんね」
藤四郎は控えていたシオンを呼び寄せ、協力してナズナの長い髪を赤い組紐で一つに結い上げていく。
「うん。やはり貴女の
そう笑い藤四郎はナズナの頭を撫でた。
呆気にとられるナズナ。
もしや迷惑だったかと藤四郎が慌てて訊ねるがそれにナズナはまた涙を流し首を振る。
とても喜びに満ちた幸せそうな笑顔を浮かべて「ありがとう」と言っているかのようだった——。
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