第20話 収穫祭

 ◇◇◇【Side:マリエラ】収穫祭当日・地母神の神殿/夕──


 ──ゴーン…… ──ゴーン……


 鐘の余韻が柱を這い、石床の微かな冷たさまで震わせた。聖堂中央、彩色タイルの上で跪いていた少女——マリエラは、胸の前で組んだ指をほどき、ゆっくりと瞼を上げる。高窓から射す夕の金が、緑の髪の房にやわく火をともした。


「はぁ……もう、あれから三年も経ったのね」


 吐息は軽い笑みを装い、すぐに溜息に変わる。視線が自然と、自分の豊かな胸元へ落ちた。


「このあいだ街で声をかけてくれた子たち……きっと、私をパーティに誘おうとしてくれてたんだろうな」


 大通りで交わした一瞬の目——同じ年頃、学園の卒業指輪。胸の奥が、忘れかけていた熱でちり、と鳴る。


「神様。もし運命が違っていたなら……私もあの学園に通い、世界を旅することが許されたのでしょうか」


 “地母神”——“豊穣の女神・テラミナ”の像は、今日も豊饒の籠を抱いたまま沈黙している。崔嵬な石の腕は重く、優しいはずの沈黙は時に刃だ。


「ああ……やっぱり、何も答えてはくださらないのですね」


 しばしの沈黙。肩が小さく震え、法衣の胸元に涙が一粒、二粒と落ちて色を深める。


「これはきっと、私が——人々をだましてきた罰。分かっています。でも、でも……」


 嗚咽が声を敗る。祈りの間に彼女の影が細く揺れた。


 ◇◇◇カナン・大広場/夜──


 ——数時間後。


「やぁやぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 果実だよ、甘いよ!」

「今日の摘みたて! 山盛りにするから持っていきな!」

「羊肉の衣揚げだ! できたていかが!」

「酒だ酒! レーヴェンでも通用するか、ここで試していきな!」


 陽が地平線に沈むと同時に、大広場は一気に色を濃くした。屋台の並ぶ通りは油煙と香草の匂いで満ち、笑い声が波のように押しては返す。粉塵が灯の光を受けて金の粉雪みたいに舞い、酔い潰れた大人が石段に転がる。


 “カナン” は決してそこまで小さな街ではないが娯楽に乏しい。


 そのため、年に一度のこの収穫祭は、ここに住む者達にとっては唯一と呼べるほどの娯楽なのだ。

 現在俺とラミーはカナンの街の大広場で祭りを楽しんでいる。


「もごもご……そろそろかな?」


 口いっぱいに何かを詰めたラミーが、尻尾をぴんと立てて言う。


「ああ、陽は落ち切った。そろそろ“豊穣の儀”が始まる。頼んだぞ、ラミー」


「……ん、ゴキュ。オッケー! いっぱい練習したもん。絶対に成功させるよ!」


 鼻からふんふんと息を吐いて気合いを入れる。俺は念押しする。


「いいか、何度も言うけど——」


「わかってる、でかい声は出さない」


「あれ? いつかもそんな事を言ってたような……う、頭が──?」 


「どーしたのかしらフィン?? ふふふふ〜?」


「えっ? その笑い方なんか怖い!」


 ◇◇◇“豊穣の儀”──


 ——ゴーン…… ゴーン…… ゴーン……


 鐘が儀式の始まりを告げると、ざわめきが潮のように引き、広場に静けさが降りた。中央の特設壇の松明が一段と高く燃え上がり、火の羽が夜空に舞い上がる。


 シャーン、シャーン——。


 鈴の音とともに、緑・黄・白の儀礼衣に身を包み、金の髪飾りを戴いた緑髪の神官——マリエラが現れる。足裏が石を撫でるたび衣の裾が波打ち、腕の弧が風の軌跡を描く。観衆の喉から、自然と小さな嘆息が漏れた。


「お美しい……」

「まるで豊穣の女神そのものだ……」

「なんてたわわに実った“果実”なんだ……」


 舞は静から動へ、動から静へ。呼気と呼吸のあいだに世界が縮み、観客の意識が一つに束ねられる。クライマックスにさしかかった頃——一本の松明の炎が、まるで意思を持ったかのようにふっと伸び、マリエラの周囲に輪を描いた。


「おい、いま……動いたか?」

「精霊様だ!」

「初めて見る……」


 歓声が抑えた驚きに変わる中、炎はひとひらの舌のように揺れ、鈴の音に重なる。


『──マリエラ……』


『…… !!』


『聞こえていますね、マリエラ……』


 彼女の頭の芯に、澄んだ女性の声が落ちる。舞の歩を崩さず、マリエラは目を伏せて小さく応じた。


『……聞こえております 』


 マリエラは戸惑いながらも踊りを続け、その声に返事した。


『私は……自由と風、そして勤勉を司る女神・アネリア』


『…………!! 』


『貴女は何をしているのです。貴女が仕える神は、“彼女テラミナ”ではなく“私”のはずでしょう?』


『──そ、それは……!!』


『真実を明かして、自分のやるべき事を行いなさい』


『で、ですが……彼等は私を、 “豊穣の女神” としての私を、求めています…… 』


 炎が一度、強く脈打つ。熱が頬を撫で、涙の跡を乾かした。


『どうして……どうして今まで、私のもとへ現れてくださらなかったの……? なぜ今なの……』


 舞が解け、彼女は膝をつく。広場にざわめきが戻った瞬間——炎がぱちりと、焔柱みたいに伸びた。


『──この……』


『……? 』


『この、甘えん坊!!』


『──!?』


『あんたはエルフ、“自由の民” の子でしょう!! 自分じゃない誰かに、あんたの運命を決めさせてんじゃないわよ! 』


『……え? 』


『本当は、冒険に出たいんでしょう? そのために、たっくさん頑張ってきたんでしょう?

 なら自分の心の声を……もっとあんたは聞くべきよ。自分の心の声に、従いなさい』


『……ま、待って…… 貴女は──』


 手が無意識に炎へ伸びる。指先が熱に触れる寸前——焔は音もなく縮み、松明の炎に戻った。頭の中の霧が、朝の風みたいに抜けていく。


「そ、そうか……私、私は……」


 マリエラはゆっくりと立ち上がり、まっすぐ前を見た。瞳の色が、曇天を割ったあとの空みたいに澄む。


「皆さん、聞いてください!」


 張りのある声が広場に広がる。


「私は、これまでずっと皆さんをだましていました!」


「え?」「どういうことだ?」「女神様の化身じゃ……?」


「私はエルフです。人間でも、“豊穣の女神”でもありません。この耳が──その証です!」


 彼女はヴェールを外し、結い上げた髪をほどく。夜風が緑を梳き、長く尖った耳が星明かりを受けて白く光った。


「な、なんとエルフ……伝説の」「本物か?」「いや、あんな胸のエルフ、聞いたこと……」「そ、そうだ! エルフは“貧乳”のはずだ!」


(おい観衆、焦点がズレてるぞ。……人気の要因、明確だったな)


 マリエラは、顔を真っ赤にしながらも、自身の胸元に手を差し入れた。そして引き出された彼女の手には、2つの金色をした果実が握られている。


 そして、彼女の胸は、何というかとても……そう、としている……!!


『これは──これは、つまり……ですね』


 言い淀むマリエラ。だが群衆の一人が気づく……。


「ま……まさか! あれ、エルフの御伽噺に出てきた林檎じゃないか……!?」

「……本当だ!! 聞いたことがあるぞ……で、伝説の……」


 マリエラの胸から出てきた果実。その林檎は万病を退け、あらゆる生命の命を倍にさえ伸ばすという、人族も知るほど有名な伝説の 、“金の林檎エデンの果実” そのものであった。


 ──しばらくの沈黙のあと、全ての観衆が辿り着いた答えは、 “” しかなかった。


「「「「ほ、本物(偽物)だぁ!!」」」」


 広場が一斉に沸騰する。誰かが笑い、誰かが泣き、誰かが「ご利益ありそうだ」と手を合わせた。儀式は混乱のまま幕を閉じたが、宴はむしろ勢いを増した。酒樽が空き、羊肉が消え、歌が夜通し続く。消火の水桶を抱えた冒険者ギルドの職員まで動員され、どうにかお開きになったのは昼前──鐘がまた、静かに時を告げる頃だった。


 この夜の騒動は、やがて“カナン”の街で長く語られることになる。豊穣の女神と緑髪の神官、踊る炎と金の林檎。どの語りにも、必ず最後に付け足される笑い話がある。


 ──この日を境に、マリエラにはもうひとつ、長く忘れられない二つ名が付いたという。


 “豊胸ほうきょうの女神”。


 めでたくも不名誉なその渾名は、祭の夜空に打ち上がった火花みたいに、人々の記憶に明るく焼きついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シミュラクル!〜強くて(?)ニューゲーム──リセマラしたデータは全てパラレルワールドになった様です〜 やご八郎 @yagohachiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ