第16話 夜風に消ゆ音

 ◇◇◇ “カナン” 大衆食堂“金色亭”・二階——


 藁の匂いがほんのり残る部屋。壁は厚い土壁で、昼の熱を少しだけ抱えたまま、窓の隙間から入る夜風でゆっくり冷えていく。遠くの鐘の余韻がまだ空気に薄く漂い、階下からは食器の触れ合う音や、遅い客が笑うくぐもった声がかすかに上がってきた。寝台は硬めで、ぎし、と身じろぎ一つに反応する。梁の走る天井は煤でうっすらと色づき、ランプの火が小さな舟みたいに揺れる。


「——ステータス」


 視界の前に、半透明のウィンドウがすっと立ち上がる。俺とラミーの名前が並び、夜気の中でその光だけが人工的に清潔だ。


(とりあえず、俺からだな)


 指先で自分の欄をトンと叩く。指は空を押しているだけなのに、触覚は確かに“そこにある”。


 ⦅フィン⦆

 性 別:男

 種 族:人間ヒューム

 職 業:戦士ファイター

 レベル:20

 H P:172(172)(金)

 M P:84(84)(青)

 S P:20(20)

 攻 撃:168(金)

 防 御:125(銀)

 敏 捷:137(銀)

 技 力:133(銀)

 隠 密:89(青)

 魔 力:77(黒)

 精神力:92(青)

 ────────

[スキル]

 ⦅体術C+⦆⦅投擲C+⦆⦅剣術D⦆⦅棍棒術D+⦆⦅火魔法D⦆⦅神聖魔法E+⦆⦅統率D⦆⦅薬草学C+⦆⦅調合C+⦆

[耐性]

 ⦅熱C+⦆⦅毒C+⦆⦅呪C⦆

[ユニーク]

 ⦅タイマン⦆⦅駿脚⦆⦅自動HP回復:小⦆⦅自動MP回復:小⦆⦅取得経験値up:小⦆⦅取得熟練度up:小⦆⦅取得絆量up⦆⦅念話⦆


「ふむ。継承はちゃんと生きてる。学園都市の育成パートで取った分に、いくつか別アバターのスキルが上乗せだな」


 一方で、数値の方は——


「HPや攻撃力みたいなレベル依存は引き継げてない。……つまりアバター依存の数字、ってことだ」


 ベッドがぎし、と鳴る。学園都市編は座学と交流が主体で、ダンジョンは少なめ。上限も20止まり。虹・金・銀——“資質色”の段差が、ここではそのまま生存性に直結する。ウィンドウをスワイプして、隣に移る。


 ⦅ラミー⦆

 性 別:女

 種 族:人虎タイガリアン

 職 業:探索者シーフ

 レベル:20

 H P:168(168)(金)

 M P:24(24)(黒)

 S P:20(20)

 攻 撃:169(金)

 防 御:78(黒)

 敏 捷:200(虹)

 技 力:174(金)

 隠 密:132(銀)

 魔 力:28(黒)

 精神力:45(黒)

 ────────

[スキル]

 ⦅体術D⦆⦅短剣術C+⦆⦅罠探知B⦆⦅気配探知B⦆

[耐性]

 ⦅毒C⦆⦅痛覚D⦆

[ユニーク]

 ⦅野生の嗅覚⦆⦅健啖家⦆


「こっちも育成パート終了時点の素直な数値か。……スキル面は俺の継承ブーストに及ばないが、素体が強い。敏捷200は伊達じゃない。さすが人気7位」


 とはいえ——


(完全に前衛寄りの二人。回復と補助が薄いのは、正直しんどい)


 俺は転生のとき、魔法育成の記録から神聖魔法と薬草学を引っ張ってきた。だが数値は引き継げない。このMPと魔力で連発はきつい。ランプの火がふっと揺れて、ウィンドウに薄い影が走る。


「……方針が見えてきたな。こっちの世界では、レベル上げよりスキルの取得・成長が軸。転生の強みを活かすなら、魂に刻める要素を増やすべきだ」


 梁の節目を目で数えながら、指先で目標の枠を開く。夜風がランプの火をそっと撫で、芯が小さく息をつく。


「それと、災厄。どの周回も手は抜けない。本命で詰んだらやり直し不可だ」


 俺はこの周回の目標を打ち込む。ウィンドウの下辺に、静かな光の罫線が引かれる。


【この周回の目標】

 ● “始まりの災厄”ディノケンタウルフの情報収集および討伐

 ● 既存スキルの熟練度+1〜2

 ● 新規スキルの取得

  ⦅体力増大:小⦆⦅魔力増大:小⦆


(まず、災厄)


 前回は転生直後に発動。今回は一日経ってもワールドクエストが沈黙——ということは、発動条件がある。時期か、場所か、或いは他の何かトリガーか。黒い靄とアナウンス——あの前触れを待ちながら、こちらからも糸口を探す。


 さらにルシフェルの言葉——ラミーは復讐を果たし、次の災厄で最初に倒れた。

 つまり、力は届く。俺の“タイマン”が通った手応えもある。適正レベルは高すぎない。パーティが整えば落とせる相手だ。


(次、既存スキルの強化)


 継承が“スキル限定”なら、今ある芽は片っ端から太くする。全部を欲張らず、+1でも積む。数字が魂に刻まれ、次の周回の“標準”になる。


(最後に新規)


 即死を避ける基礎強化が急務。⦅体力増大:小⦆と⦅魔力増大:小⦆は取りやすく効く。ここを押さえれば、次の生存率が跳ね上がる。回復の底上げは“生き残って学ぶ”ための最低条件だ。


「——ま、こんなところだな」


 ウィンドウを閉じ、隣を見る。毛布から覗くオレンジ色。ラミーは寝台で丸まり、耳だけがぴくぴくと夢の電波を受信している。尻尾の先が時々くいっと動いて、夢の中で何かを追いかけているのが分かる。


「ん……んん。フィ〜ン。もう食べられないよぉ……むにゃむにゃ」


「よく食べて、よく寝る。——強いわけだ」


 毛布を肩までかけ直し、ランプの芯を指でつまんでふっと消す。闇が静かに部屋を満たし、窓から入る星明かりが床板に冷たい四角を落とす。ワールドクロックが22:01を示し、ステータスの⦅疲労:軽⦆が点いた。藁のマットが背に素朴な硬さを返す。


(おやすみ。明日は情報と仲間と装備、順番どおりに)


 木枠が小さく鳴り、意識がすべり落ちる。


 ──…………


 ◇◇◇◇


「……ん。んん」


 暗がりの中、鼻先に木と藁の匂い。階下のざわめきはもう遠く、夜風がカーテンもない窓からさらりと入り込む。


「……ぐすっ。——」


 その寝言は、誰にも届かず、夜の闇へほどけていった。

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