そして翌々日の昼間。

「まったく何してくれたのよ、あの馬鹿は！」

　両扉を力任せに蹴り開いて叔母が登場した。

　知人に頼んだ伝言を受け取るなり、駆け付けてくれたらしい。

「叔母様…。その扉、寿命が尽きそうです。もう少し優しくしてあげてください…」

　正面玄関の扉がなくなるとかなり困る。

　ただでさえ底値である建物の価値が掘っ建て小屋以下になるだろう。

「はっ。ごめんなさい。悪かったわ、ヘレナ」

　正気に戻った叔母が素直にわびる。

「いえいえ…。お気持ちは十分にわかりますので」

　父の二つ下の妹であるカタリナは才色兼備で名を馳せ、国政で要職に就いているストラザーン伯爵家へ嫁いだ。

　実家の窮状に心を痛め続けているうちに、少々、気性が荒くなってしまったらしい。

　いつもは国一番の淑女と尊敬のまなざしを一身に浴びているというのに気の毒なことだ。

「それで。アレはどこに行ったの」

「『戦い続けるのが男だ！』だとか」

　走って飛び出して、消息不明だ。

「…ああ。ソレで殺してしまえたならどんなにか」

　カタリナの視線の先には、ヘレナが握っている長箒があった。

「すみません。あっけにとられてしまって」

「そう、そうよね。この期に及んでそんな呪文繰り出す馬鹿がどこに…いるのよね」

　このままでは叔母自ら手を下しかねない。

「まあ、あてにはしていません。なのでクリスは今日、退学の手続きの書類をもらいに行っています。ただ、私としてはまだ迷っていて…。せっかく頑張っているのにもったいなくて」

「それについては少し待っていただけるかしら。夫と色々話を詰めているところだから」

「…ストラザーン伯爵家に、これ以上頼るわけには」

　母が亡くなった途端制御不能になった我が家は急滑降の勢いで没落し、ヘレナの就学もすぐにままならなくなった。

　その時にストラザーン伯爵夫妻が援助を買って出てくれ、なんとかしのげた。

　しかしあまりに申し訳ないので、ヘレナは特例に次ぐ特例を学校に願い出て、通常六年の学校生活を三年で修了させた。

　ただ、成長期に徹夜の連続を重ねた弊害か極端に発育が遅く、十七になった今もヘレナはちんまりと小さく胸もぺたんこで、四、五歳は下に見られることが多い。

　それでもぎりぎりその頃は使用人がまだいたので勉学に全力投球できた。

　ヘレナはクリスに比べてまだましな状況だったと言える。

「とりあえず昨日、知り合いに引越先を探してもらっているのですが、学校に近いとなると少し賃料が高めで…」

　羽振りの良いころに先々代が購入したこの邸宅は学校まで徒歩圏内で、都の中ではかなりの優良物件だ。

　しかしその所有権を失った今は早々に立ち退くしかない。

「デイビッドのクソ野郎は夫が追跡している。でもまあ、回収はできないでしょうね」

　カタリナがとうとう「クソ野郎」などと口走ってしまった。

　不自然に輝く金髪と白い歯がうさん臭さを増幅させていたデイビッドの顔を思い浮かべる。

　彼は父より早くあの世へ渡ることになるだろう。

「で、家探しを任せたのはラッセルかしら」

　ラッセル家はヘレナと親しくしている商会だ。

「ええ。私がお願いするよりも早く、あちらが駆け付けてくれました。もうすでに噂になっているみたいで」

「あそこは情報屋も兼ねているから早いでしょうね」

　その時、また二人の背後で玄関のドアが勢いよく開く。

「カタリナ！　ヘレナ！　大変だ」

「叔父様…。テリー様とマリアム様まで。どうされました」

　現れたのは叔母の夫であるエドウィン・ストラザーン伯爵とラッセル商会の姉弟の三人で、彼らはいちように慌てている様子だ。

「あなた？」

「…二人とも、落ち着いて聞いてくれ」

　いつも冷静沈着なストラザーン伯爵らしくなく、明らかに動揺していた。

　そして、何度かためらって口を開いたり閉じたりした後、意を決してヘレナを見据える。

「…ヘレナ、君は明日、結婚せねばならない」

「……は？」

　ヘレナは箒を握ったまま、こてんと首をかしげた。

「エド、それってどういうこと」

　叔母が夫に駆け寄る。

「つまり、ハンスがヘレナを売り飛ばした」

「どこに！」

「リチャード・アーサー・ゴドリー伯爵」

　ヘレナの頭の中で勢いよく貴族年鑑がめくられ、『ゴドリー』で止まった。

　確かつい先日まで植民地で提督を務めた人物で、まだ二十代ではなかったか。

「彼は最近、秘密裏に結婚相手を探していた」

　若くて地位もある男が、秘密裏に探す。

　それだけで、ろくでもない話の予感が漂う。

「条件は三つ。金に困っている貴族令嬢。婚約期間はなし。黒髪青い目ならなおよし」

「ビンゴですね」

　ヘレナが己を指さすと、重々しくストラザーン伯爵はうなずいた。

「ああ。ハンスがその話に飛びついて」

「はい」

　父ならたやすく釣り上げられただろう。

「契約して金を全額受け取るなり、どこかに消えた」

「ああ……」

　ヘレナは深々と息をついた。

「それは、もう、どうしようもないですね」

　がらんとした玄関ホールにしんと冷たい空気が降りてくる。

「わかりました。嫁ぎましょう」

　ヘレナ・リー・ブライトン、十七歳。

　彼女はただただぼんやりと、虚空を見つめた。

　お母様。

　なぜあなたは。