第一八話「ロードスターと掟」
日の出と共に家を出る。まだ世間が動き出す前。駐車場から、回転数を上げずに住宅街を静か抜け、大通りに出る。
非力なファミリアのエンジンを積んだロードスターでも、三〇〇〇回転以上をキープすれば、それなりに楽しめる。三速、三〇〇〇回転、六〇キロ。柿本マフラーから響くエキゾーストに酔いしれる。
空いてる国道を駆け抜ける。夏の早朝はオープンカーが気持ちいい。
集合時間の六時前にいつものコンビニに着き、タバコを
「おはよう」
「おはよ。ひらめ、テンション低いぞ」
今日の真央はリジッドのタイトなデニムパンツに白いTシャツ。
朝早いのにテンションが高い。
「今日も、かわいいね」
「ありがと」
「荷物、トランクで大丈夫?」
「うん。お願い」
「あれ? なんとなくカエルちゃん、かわいくなってる・・・」
「分かる?」
「口が大きくなって笑顔になった気がする」
「ナンバーの位置が変わったのです。ナンバーステーのオフセット」
「そうか、ナンバーが真ん中じゃないんだ。かわいい・・・。カエルちゃん。良かったね・・・」
「もっとスポーティになる予定だったんだけど、はちゃめちゃ、かわいくなってしまった」
「私のカエルちゃんは、カッコ良くなる必要はないよ。どんどんかわいくなってね」
「真央さん、僕のクルマ・・・」
「よし。行くか」
「うん」
エンジンをかけて、ゆっくりと発進する。
「真央さんがロードスターを気に入ってくれて嬉しいんだけど『カエルちゃん』はどうかと思うんだよね?」
「え〜、かわいいと思うんだけどなあ。カエルに乗るひらめちゃん・・・笑える」
「いやいや、『カエルちゃんに乗るひらめ』だから。というか、カエルちゃんも、ひらめちゃんもやめて」
「真央は、もう『カエルちゃん』にしか見えない。しばらく『カエルちゃん』で良いでしょ? お願い」
七時前に、談合坂サービスエリアに入り、休憩する。
「はい、コーヒー」
「ありがと」
二人でベンチに座り、休憩を取る。
「カエルちゃん、飲み物を置くところもないし、普通の人は使いにくいだろうな」
「そうだね・・・」
ロードスターは全然快適ではない。見た目は美しいが乗る人を選ぶ車だ。
「髪の毛はボサボサになるし、乗り降りのときはスカートを気にしないといけない」
「ごめんね。この娘と新しいロードスターの二択だったから。なんで他のクルマを候補に挙げなかったのん・・・か」
「でも、真央はカエルちゃんが好きだよ。派手で目立つけど、何か魅力を感じる。古いクルマだからなのかな?」
「なんだろうね。乗っていて楽しいんよね」
「ところで、他のクルマは、なんで候補に挙げなかったの? 何か隠してるでしょ? ちょっと語尾がおかしかったんだけど・・・?」
真央が
「別に隠していた訳じゃないんだけど・・・。ディーラーでさ、店長は新しいロードスター、かわいいお姉さんはコイツを勧めてきたの。なんかその時にどっちかを買わなくちゃいけない気になって、コイツに決めた」
「そのお姉さん、かわいかったんでしょ?」
「うん、まあ、そうね・・・」
「・・・」
真央が人一倍大きな瞳で、僕を睨む。
「でも、それだけじゃないんだよ。この娘の方が、安かったし・・・。見た目のエロさが好みだったし・・・」
「エロい? そのお姉さん、エロかったんだ?」
「違う違う、クルマが! なんかエロいでしょ? ゾクゾクするデザインでしょ? あの
「分かった。分かったよ。エロいかは別として、カエルちゃんで良かったよ。ひらめらしいクルマだよ。でも普通の人は選ばないと思う」
普通の人は選ばない。確かにそうだ。雨が降れば、雨漏りはするし、外が暑ければ暑いし、寒ければ寒い。エンジン音も風切り音も大きく聞こえ、真央と二人で大声で会話をしなければならない。でも、僕はロードスターが好きだ。
離れてロードスターを見ていると不審なおじさんたちが、オープンにした車内を物色しはじめた。
ひらめは、真央と小走りでクルマの元に急ぐ。
「ひらめ、
「うん、大丈夫。俺、大人だから」
「誰が大人だって?」
「おはようございます。それ、俺のクルマなんすけど、何かありました?」
ひらめが、不審なおじさんたちに声をかける。
真央は全身で、ひらめの左腕をしっかりとおさえる。
「お兄さんのクルマか。俺らもロードスター乗り。綺麗に乗ってるね。ほぼノーマルだよね、この子」
おじさんの指差す方向には、数台のロードスターとオーナーらしき人たちが何人か談笑している。
「クルマ離れるときは幌は閉めた方がいいよ。ゴミとか入れられるから」
「マジっすか? そんなクソみたいな
「いるいる」
「それより、お兄さんたち、ロードスター乗りの
「なんすか、それ?」
「ロードスターを見かけたら、手を振って挨拶するんだよ。俺らマイノリティじゃん? だからお互いに挨拶をして仲間だと認識する。結構、楽しいからやってみなよ」
「マジっすか? やってみます」
「うん。やってみて」
おじさんの一人が、僕のロードスターのナンバーを見て何かに気づく。
「川口ナンバーか、真美ちゃん、川口じゃなかった?」
「ああ、そうだね。Jリミの」
「ディーラーのお姉さん! 真美ちゃんって黄色のJリミに乗ってるお姉さんですよね? 知ってますよ。この子、そこで買ったんです」
「おお、マジか! 世間は狭いな。よろしく伝えておいてよ。これ、俺の名刺、連絡して」
「僕は、みんなからは『ひらめ』って呼ばれてます。よろしくっす」
談合坂でロードスター乗りの方々と別れ、ロードスターは僕と真央を乗せて走り出す。
「今日、何台のロードスターに会うかな? 手を振ってみたい。ウズウズする」
「うん。楽しみだね」
ロードスター乗りは多数派ではない。マイノリティ同士、お互いをリスペクトする。そんな関係も悪くはない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます