変人魔術師に一目惚れされて結婚しました

ミダ ワタル

第1部 婚約と攻防

第1話 幸せ者のマリーベル

 王家の方々が代々その婚儀を執り行ってきた、由緒正しき大聖堂に集うとされる神々と精霊にわたしは誓った。


 ――絶対、穏便に離婚する!


 いままさに司祭長様がわたしと婚約者の結婚を認める、祈りの言葉を唱えている真っ最中だけれど。

 名前も知らない上に新郎新婦に縁もゆかりもないご参列の紳士淑女の皆様が、「本当に素敵ね」とか「あれが噂の……」とか「陛下の取り計らいらしいぞ」とか。

 羨望と好奇心と呆れと感嘆がないまぜになった言葉をひそひそと囁き合っている、婚儀の真っ最中でもあるけれど。

 それにしても、普段はほぼ無人で静かな大聖堂が、お集まりになった人々でずいぶんと華やかかつ賑やかだ。

 王都中の貴族が集まっているのじゃないかしら。

 招待客はなし、しかし、祝ってくれる者は歓迎すると婚約者が婚儀の公示に付け加えたものだからこうなった。要は野次馬だ。


「――ルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォート!」


 祝詞を終えた司祭長様が声を張り上げ、わたしの隣に立つ婚約者の名を呼んだ。

 長いドレスの裾を引き、祭壇前までやってきたわたしに向けて、ひっそりと浮かべた悪徳な忍び笑いはどこへやら。

 俯いたままのわたしの視界の端にちらりと見えた、神妙な面持ちは他者の目には緊張しているようにも見えるだろう。

 祈りの言葉をこうべを垂れて受けていた彼が頭を持ち上げ、一段高い場所にある祭壇の前に立つ司祭長様を仰ぐ気配がした。

 

「マリーベル・ド・トゥール・ユニ!」


 続いて、わたしも名前を呼ばれて、ゆっくりと頭を上げた。

 そっと隣に立つ婚約者の姿を横目に見る。

 真っ先に目に入った、肩まで伸びる、月光を紡いだような真っ直ぐな銀色の髪。

 賢者然とした美貌。

 底深く光を潜める青みがかった灰色の瞳。すっと通った鼻梁に、品よく締まった口元。肌は滑らかな象牙色で、頰から顎先にかけて差す淡い陰りが憂いを帯びた色香を漂わせる。

 地厚な白絹に金のラインを織り出す、式典用ローブが薄明かりの中で目にまぶしい。荘厳な大聖堂を背景に佇む、すらりとした姿は恐ろしいまでに美しく、完璧だ。本当に、鑑賞するだけなら申し分ない。

 

「祈りを捧げ、生涯渡る加護を汝らに」


 司祭長様の言葉に、二人揃って儀礼に従い頭を下げる。

 この大聖堂は特別に神聖な場所だ。

 この王国で最も古く、そのいしずえは神々と精霊と人と魔物が、まだ棲む世界を分けていなかった頃のものらしい。

 ここで婚儀を執り行えるのは、本来王家の方々だけ。

 もちろん、わたしは王女様ではない。もっと言えば貴族の娘ですらなかった。

 田舎の、小領地の、爵位無しの領主の娘。

 ご先祖様の功績で、一帯を治める大領地の領主様から土地を与えられ、その地の呼び名を家名にすることを許された平民。

 独立してはいるけれど、村長の娘みたいなものだ。

 本当のわたしの名前は、マリーベル・ユニという。

 “ド・トゥール”というのは、わたしを養女に迎え入れてくれた王妃様の一族の伯爵家の姓だ。わたしは田舎から行儀見習いとして王宮に出仕し、王妃様の第一侍女に抜擢されてお仕えしていた。

 そろそろお年頃となる王女様の婚儀に、王妃様のお供で参列できる日が来るかもしれないと考えたことはあっても、まさか自分が豪奢な花嫁衣装をまとい、大聖堂で婚儀を挙げるとは思ってもいなかった。

 

「素晴らしい花嫁の姿を、この目に焼き付けておかねば……」


 顔を上げたわたしの耳に、婚約者の声が聞こえた。

 姿が良いと声もいいのねと感心してしまう美声だ。

 素晴らしいって……思わず、わたしは自分が着ている花嫁衣装の胸元からスカートを見下ろした。

 美しい青と淡い黄色に染め分けられた絹の婚礼衣装は、王家御用達高級服飾職人の手によるもの。

 ドレス全体を惜しみなく飾る最高級レースや貴石のビーズが美しく、上品で可憐な雰囲気は保ち、金糸や銀糸を贅沢に使用した刺繍はもはや芸術の域。

 そりゃ、こんな花嫁衣装を身にまとい、日頃は王族にお仕えする熟練の美容の技をお持ちの方々の手で全身お手入れ、お化粧をされれば誰だって、そう誰だって素晴らしくもなるでしょうとも。

 ありふれた栗色の髪に、これまたありふれた緑色の瞳。

 健康であること以外に取り立てて特徴もない小娘であっても。

 白々しい言葉にため息が出そうになった。顔をしかめなかった自分を誉めたい。

 

「次に、生涯寄り添う夫婦の証の指輪を」


 司祭長様が祭壇に捧げられていた指輪を持ってくる。

 夫となる人がわたしの手を取り、わたしは彼を上目に見上げた。

 歳は三十八。十九のわたしの丁度二倍。

 これまで妻も愛妾も、特定の恋人すら持たずにいたらしい。

 刹那的なお相手は複数いたようだけれど……年齢を考えたら、なにもないのもちょっと不審だからそれはいい。

 ともかくあまり人と深く付き合う人ではないようで、近づいてくる者に対し完璧な社交辞令かとりつくしまのない態度であしらい遠ざける。

 ここ何ヶ月かは王都に滞在しているけれど、いつもはご領地の森の奥深くにある屋敷に引きこもり、滅多なことでは公の場にも出てこない変わり者。

 

『逃げ出されなくて、ほっとしました』


 耳ではなく、頭の中で聞こえた声に、ひくっと自分の頬が引きったのがわかった。

 “密談の魔術”だ。掛けられた相手は考えていることが筒抜けになってしまう。

 それを防ぐ方法もあるらしいのだけど、わたしは知らない。


『逃げられない状況に人を追い込んで、よく仰いますね』


 うっとりするような甘い微笑みを浮かべていらっしゃいますけれど。

 本来、王家の者にしか許されていない大聖堂での婚儀の最中に、祭壇と司祭長様を前でをわたしに掛けて話しかけてくるなんて……。

 いくら領地の森に棲まう竜を従わせ、すべての精霊の加護を受けるとか受けないとかいった、最強と名高い伝説めいた魔術の使い手だからって、神も精霊も恐れぬ不遜さでは?


『本気で逃れる気になれば、状況もなにも関係ありません。貴女は様々な事柄を天秤にかけ、私と婚儀を行う事を選択した。そうでしょう?』


 人の指に指輪を嵌めながら伝える言葉じゃない。

 

『まあ、王が後ろ盾になってくれている婚儀など、すっぽかすには相当な思い切りが必要でしょうがね』


 この人! 夫用の指輪をいますぐ床に投げ捨てて、いまこの場でこっぴどく振ってやろうかしら!

 頭に血が上りかけたのをかろうじて抑える。そんな事をすればわたし一人のことでは済まない。

 貴族と平民の身分差解消のため、養子縁組を取り計らったのは国王陛下。

 こうなるともう王命も同然、逃げられない。

 この結婚を反故にすれば、実父や故郷の領地はもちろん、名目上でもわたしを引き受けた王妃様のご一族も巻き込んで大変なご迷惑をかけることになる。


『貴女が身分差を大いに気にして結婚を承知してくれないと、王に相談したのはやはり正解でした』

『この……悪徳魔術師っ!』

『誰が悪徳ですか。貴女との結婚を阻む数々の障害をがんばって排した私に……』 

 

 大体、花嫁の一族の権威や立場を誇るための、無駄に豪奢な衣装を着ているだって、王立法科院を修めた実父が払ったことになっている莫大な結婚支度金だって。

 全部、全部、全部っ! この人が画策したこと!

 結婚支度金は婚約者が父様に持ちかけた、法務顧問契約支払われた契約金だ。

 茶番もいいとこ。正直、もう好きにしろといった気分になる。

 わたしの婚約者、結婚相手のルイ・メナージュ・ヴァンサン・ラ・フォートという人は、そういった性格がかなり素敵にひねくれた人だ。


『ただお立場と権力とお金の力を使っただけじゃないですかっ』


 高名な魔術師というだけではない。王国成立前から続く、大変に高貴な血筋の貴族だそうで、王国広しといえど王家の縁者でもないのに公爵なのはこの人だけだ。


『すべて合法的かつ真っ当で穏当な手段ですよ』

「えっ……」


 彼の指に指輪を嵌めた手をくいっと引っ張られて、わたしは半歩彼に向かってよろめいた。 


「貴女に、限りない祝福を」


 取られた手の甲に口付けられる。

 ほぅ……と、大勢の人のため息が漏れて聖堂の空気が鈍く揺れ、司祭長様が困ったようにごほんと咳払いをした。


「祭壇を前に私としたことが……ようやくと抑えきれず」


 我に返ったように、彼は司祭長様にそう言って詫びるように軽く目を伏せる。

 この場にいる皆様の目から見れば。

 長く独身を貫いてきた孤高の魔術師にして公爵でもある彼が、自ら見染めた花嫁に対する思いあふれての振る舞い……にしか、きっと見えない。

 あの日と同じ。

 王の誕生祭の日。

 設えられた玉座からも見える大廊下のど真ん中。

 王国中の有力者達が行き交う場で、王妃様の側に付いていたわたしの手を取って、いきなり求婚してきたあの日あの時と。

 どこかから、「幸せな娘だな……」と呟く声が聞こえた。

 

 ――ああ、幸せ者のマリーベル。


 この言葉を、同僚、友人、周囲の方々、父までも……一体、何度言われたことか。

 爵位なしの田舎領主の娘でありながら、王妃様の第一侍女に抜擢されただけでなく。高貴で見目麗しい魔術師で公爵の彼に一目惚れされ、皆の前で求婚。

 果ては国王陛下の後ろ盾も得て結婚なんて。

 お伽話でしかありえないようなお話しでしょうとも。

 当の伴侶となる魔術師が大変に腹黒く、わたしを断れない状況へとあっという間に追い込んだ。


「汝らの婚姻を認め、神々と精霊の祝福を!」


 結婚を寿ぐ言葉に声を張り上げた司祭長様へ、再び二人揃って儀礼に従い頭を下げる。


『これでもう、簡単には逃げられません――』


 人々の喝采に紛れて聞こえてきた言葉に、わたしは布地に皺がつく程ドレスのスカートを摘んでいる手に力を込めた。

 

「絶対……」

「ん?」


 ――絶対、穏便に離婚する!


『まったく……貴女も懲りませんねえ』

『放っておいてください』


 別にこの人のことは好きでも嫌いでもないけれど、やり方が酷すぎる。

 あらゆる手を使って、婚姻に承諾せざるを得ない状況に追い込まれたのが悔しい。

 わたしに一目惚れしたなんて言って、求婚してきたけれど怪しいものだ。

 こうなったら。

 この結婚を覆す理由を必ず見つけ出してみせる!

 決意も新たに、わたしは大聖堂に集うとされる神々と精霊に再び誓った。

 

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